【シオンの議定書】#05

□強力に集中化した政府の樹立□メーソン員による権力奪取の方法□国家間の一致が不可能な理由□ユダヤ人の「宿命」の国家□金・・国家機構のエンジン□批評の役割と「ショー」団体□言説混乱による疲労困憊□世論を制御する法□個人の独創性の処置□超政府 

 

 

至る所で腐敗が広まっている社会、富者だけが詐欺同然の悪賢い奇策に富んだ社会、たるみ切った社会、道徳が進んで守られるのではなく懲罰厳罰によって維持される社会、信仰心や愛国心が無国境主義的信念に一掃された社会に、どんな種類の統制支配なら適用できるか? 

後で述べる様な専制支配以外に、どんな支配形態ならこの様な社会にあてはめられるか? 

 

我々は社会の全勢力をこの手に掌握せんがため強力に集中化した政府を樹立し様と思う。

我々は新たな法律によって、国民の政治生活全てを手加減する事なく律し様と思う。

それらの法律は、ゴイムが許してきた寛大とか特典とかを一つづつ全部取り潰すだろう。

いかなる時にもいかなる場所でも、行動や言葉で我等に盾突くゴイムを一人残らず一掃する立場で臨み専制という事の強力さを遺憾なく発揮するのが、わが王国の特徴である。
 
私が述べている様な専制は、時代の推移にはそぐわないという意見も聞くが、事実は正反対である事を証明しよう。
 
人民が王は神の意志を純粋に体現した者だと見ていた時代には、なんの不平不満も鳴らさずに王の専制権力に従った。

だが、人民には権利と云うものがあるという考えを我々が彼等の心に植え付けてからは、彼等は王座に座る者を単に普通の人間にみなし始めた。

『神権による王』の聖油は人民が見ている前で王達の額から消え失せてしまい、我々が人民から信仰心を奪った時に、権力の強力な力は飛び散って公共の所有権となり、我々がそれを押収したのである。 

加えるに、巧妙に仕組まれた学説と詭弁により、社会生活の制約やその他ありとあらゆる方便により、或いは、ゴイムにはまるで解らない手段を動員して群集や個々人を支配する技術は、他の技術と相並んで我等が支配の中枢である専門家が元々手中にしていたものである。

分析、観察、精緻な計算に育てられ、この種の熟練技術に関しては我々には肩を並べる者がいない事、練り上げられた政治行動と固い結束のどちらかでは我々の競争相手がいないのと同じである。

いるといえば、イエズス会だけは我々と比べられるだろうが、我々は無分別な群集の目には観得る組織として存在するとは信じられない様に工夫してきた。

その裏で我々は終始一貫秘密の組織を維持し続けてきた。

カトリックの首領であろうとシオンの血を受けた我々の独裁者であろうと、専制君主は専制君主である事に変わりはない。

が、神の選民である我々にとっては、この事は無関心ではいられないのである。 

ほんの一時は、我々が全世界のゴイム連合にうまくしてやられる事もあったやも知れぬが、ゴイムの間には今では決して取り返しのつかぬ程深く根を張った不一致があるので、我々はついぞ危険に晒されずに居る。

我々は、ゴイムを宗教的・人種的憎悪によって個人も国民も対立反目応報を繰り返す様に仕組んだ。
 
この事を過去2千年に渡って営々と積み重ねて来たので、手が付けられない程激しいものになっている。

これが、我等に腕を振り上げたとしても、支持してくれる国は何処にも唯の一国もない理由である。


我々に対抗する同盟を結べば自分が不利になる事を、どの国も肝に銘じているからである。

我々は余りにも強力である・・我々の力を逃れおおせるものはない。

国家は我々の蔭の関与無しには、ほんの些細な協定を結ぶ事すらできない様になっている。 

Per Me reges regnant.(王は我によりて支配する)


預言者達によれば、我々は世界の全てを支配すべく神自身に選ばれたのである。

神は我々がこの使命を遂行できる様に、我々に天与の才を授けられた。

仮に反対陣営に天与の才が授けられたとしたら、我々に闘いを挑んでいたであろうが、駆出し者というものは所詮古くから定着している者には太刀打ちできない。

我々と彼等のと闘いは、この世が始まって以来見た事もない様な熾烈を極めたものとなったであろう。

その様!彼等の天才は現われるのが遅過ぎたのである。

全ての国家機構を動かす車輪はエンジンが駆動する。

エンジンは我等の手中にある。
国家機構のエンジンとは・・である

我が学識ある長老達が創造した政治経済学は、長期に渡って資本に君主の様な威信を与えてきた。
 
資本、それが束縛なく相携えて力を発揮するには、存分に工業と商業の独占が謀らねばならぬ。

その事は既に世界のあらゆる隅々で、観得ざる手によって実践に移されている事であり、その事は人民を圧迫する助けとなろう。

今日では、人民を武装解除させる事は、戦争に赴かせる事よりも重要である。

更に重要な事は、我々の都合から言えば、人民の焔を抑える事よりも燃え上らせる事である。

更に重要な事は、他人の考えを根絶するよりは、その考えを素早く掴み取り我々に都合が好い様に翻案する事である。


我々の役員会が採択している原理に次の事がある。

  • 非難によって大衆を意気阻喪させる
  • 抵抗心を掻き立てる真面目な思考をさせない様にする事
  • 心の力空理空論の論争に逸らさせる事

いつの時代でも世間の人民は、個人も同様であるが、言論と行動とを混同してきた。 

競技場で見る事に満足しているが、約束された事が実行されているか否かを考えてみ様とする者は滅多に居なくて、専らショーを見るだけで満足している。

そこで我々は、人民の利益が進歩に向っていると、声高く証明するショー団体を作るだろう。 

我々は、あらゆる問題について、リベラルな顔つきを装おって全政党に入り込み、聞き手が嫌になる程喋り立てて、弁論に対する嫌悪を植え付けるだろう。 

世論を我が方に引き寄せるには、あらゆる角度から意見続出させ、相反する説を幾つも並べ立て、ある期間、十分ゴイムの頭を迷路に迷い込ませて、一番いいのは政治上の事には何も意見をもたない事だと思い至らせなければならない。

政治の事は一般大衆には解らない。

何故なら、大衆は自分達を導く者を通じてしか理解できないからである。これが第1の秘訣である。
 
統治に成功するのに必要な第2の秘訣は、次の事に掛っている。

即ち、広い範囲に渡り国民の欠点、習慣、情欲、市民生活の状態を増殖させ混沌に陥れ、その中にあっては自分が何処に居るのか見当がとれない有様にさせると、その結果、人民相互の理解ができなくなる

これこそ別の意味で我等にとっては有利な事となる。

即ち、諸党派の中に軋轢の種子を蒔き、まだ我々に従わおうとしない集団を撹乱し、どの程度のものであれ我々の仕事を妨害する様な個人の企てに対して片っ端から気勢を削ぐ事になるのである。

個人の企て程またとなく危険なものはない。

その裏に天才が在ろうものなら、この様な企ては、我々が軋轢の種子を蒔いた人民何百万人にも勝る力を持つのである。


我々はゴイム社会の教育を指導する際には、彼等が何か創意を示す徴候があれば、いつでも気力を失って絶望してしまう様に仕向けなければならない。

自由奔放な活動というものは、別の自由奔放さに出会うと無力になる傾向がある。


衝突すると、容易ならぬ精神的打撃、失望、意気消沈が起こる。


これらありとあらゆる手段を駆使して、我々はゴイムを疲労困憊させた挙句、国境を越えた現実の力を我々に提供せざるを得なくなるだろう。

その現実の力は、いかなる暴力も用いる事なく、世界中の国家支配力を次第に吸収して、超政府を形作るのである。

 

今日の支配者達に代わって、我々は超国家管理機関という怪物を設けるであろう。


その手は鉗子の様にあらゆる方向に伸び、その組織は巨大な規模に広がり、世界中の人間という人間を制圧せずにはおかないだろう。