【シオンの議定書】#03

□象徴の蛇とその意味□国政機構の天秤は不安定である□宮殿のテロル

□権力と野望□議会、3百代言、パンフレット□権力の乱用・経済奴隷・「人民の権利」□独占主義者のやり方と貴族政治□メーソン/ユダヤ軍

□ゴイムの弱化□飢餓と資本の権利□群集と「全世界の統治王」戴冠

□未来のメーソン学校計画の基本方針□社会構造についての科学の秘密

□普遍的経済危機□「我々のもの」(即ち我が民ユダヤ人)の秘密保持

□メーソン員の専制・・理性の王国□メーソン員とフランス大革命

□シオンの血の暴君□メーソン員の不可視の原因□秘密のメーソン代理人の役割 □自由

 

 

今日、我々は後数歩で目標に到達せんとしていると言ってよい。

横切るべき空間は後僅かを残すのみであり、我々が歩んできた長い道程は、今正に象徴の蛇の輪を閉じ様としている。

その蛇は、わが民を象徴している。

 

この輪が閉じられる時、ヨーロッパの全ての国家は強力な万力によって締め上げられるのである。
 
当今の国政機構の天秤は殆ど破壊しているも同然である。

何故ならば、我々が支点を軸として揺れ動き転回させるべく、正確な均衡を欠く様に設定してあるからである。

ゴイムはしっかり固定してあると思い込んでいて、天秤が釣り合いを取り戻す筈だと、ずっと期待し続けている。

だが支点・・王座に即いている王達・・は、自分達で押えが利かず無責任極まりない力に困惑する阿呆の役を演じる代議員達に取り巻かれている。

この力は、宮殿内に吹き込まれてきたテロルに負うている。

王達には人民に近付く手だてがない。

正に取り巻き連中のド真中で王位に就いている王達は、最早人民を受け入れ、権力を追い求める者達に対抗する強い力を与えてやる事ができない。

明敏な統治権力と人民の盲目の力との間に、双方ともがあらゆる意味を失う様に、我々は深い溝を設けた。

盲人と彼の杖の様に、両者は離れ離れにされれば全くの無力となる。

権力を追い求める者達を煽動して権力を誤用させるため、我々は、全ての勢力を相対立させ、独立を得ようとする自由主義傾向を鼓吹する様に仕向けてきた。
 
この目的に向って、我々はどんな形の企てでも指示しそそのかし、あらゆる政党に戦闘準備させ、どんな野望の目的をも権威に対して向ける様にさせた。

国家というものを、我々は混乱した問題の大群が争乱する競技場と化せしめたのである……程なく、混乱と破綻があまねく広がるであろう。 

後から後から出てくるおしゃべり屋達が、議場と行政会議の場を討論会場に変えてしまった。

向う見ずなジャーナリストと破廉恥なパンフレット屋が毎日の様に政府当局を攻撃する。

権力に対する悪口雑言は全ての制度を転覆させる最後の一太刀となり、尽くが狂乱した群集の滅多打ちに会って空中に吹き飛ばされるであろう。
 
なべての人民は、奴隷や農奴として縛り付けられていたかつての時代よりも厳しく、貧困なるが故に重い労働の鎖につながれている。

なんとかして彼等はこの束縛から逃れ様とするかも知れないが、この重荷を取り除く事はできず、決して貧困からは脱却できない。

我々が憲法に書き込んだ大衆に関する権利という様なものは、虚構であって実際に使える権利などではない。


所謂「人民の権利」なるものは、単なる観念、実際生活では決して実現される筈のない観念としてのみ存在する事ができる。

おしゃべり屋には無駄口を叩く権利があり、ジャーナリストには良い事も書くが阿呆な事を書き殴る権利があるとして、生活の重荷に打ちひしがれ、重き犠牲に腰を2重に折り曲げているプロレタリア労働者には、何があるというのか。

かつてプロレタリアートは、我々が説き付けた事に賛成し、我々が権力の中に潜ませておいた我等が代理人団の手下に賛成して投票した見返りに、我等が食卓からパン屑を恵んでもらっただけで、憲法からは何の利益も得られなかった……

 

貧者についての共和国の権利とは、皮肉以外の何ものでもない。


なぜならば、殆ど一日中働いている労働者に必要なものは、憲法を使う事によっては全く与えられないだが、その一方で、彼は仲間達が打つ同盟罷業や主人が行う工場閉鎖によって、確実な生活の資を全て奪われるからである。

我々の誘導によって人民は、貴族階級を全滅させてしまった。

人民の福利と密接に結びついた貴族自身の利益の為に、貴族階級は人民の唯一の保護者であり養い親であった。

現今では、貴族階級の滅亡によって、人民は労働者の首に残酷無慈悲なくびきをつないだ守銭奴の手中に落ちた。

我々は、労働者にわが戦列・・社会主義者、無政府主義者、共産主義者・・に加わる様提案し、振りかかる圧迫から彼等を救出する救世主を買って出る。

我々は、我等がメーソン員が言われなく唱えた(人類団結という)兄弟の定め通りに、一貫して主義者達を支援している。

貴族は、法律によって労働者が提供する労働の恩恵を受け、労働者達がよく食べ、健康で、強壮であるかどうかに関心を払っていた。

我々は全く反対の事・・劣化、ゴイムから生命を奪う事・・に関心を寄せている。

我々の権力は、労働者の慢性食料不足肉体的虚弱を必要とする。

正にそうして置いてこそ、彼は我々の意のままに従う様になり、我々に敵対する強さも意志もなくなり、自分達の権威を見つけ出そうとはしなくなる。

 
王達が正当に貴族に与えた権力よりも、更に確実に労働者を資本の権利に従わせるのが飢えである。
 
飢えが引き起こす貧困と嫉妬と憎悪によって、我々は群集を動かし、彼等の手を使って我等が行く手を阻む者全てを掃討するであろう。
 
全世界王が王冠を戴く時が至れば、同じ方法を用いて障害となるものを尽く一掃するであろう。 

ゴイムは我等の専門家達の助言なしには、考えるという習慣を失ってしまった。 

為に、彼等は、我等の王国が実現した暁には、直ちに採択しなければならない必要欠くべからざる事が見えない。

即ち、公教育の場においては、唯一単純かつ真実の知識、全知識の基礎を教える事が肝要であるという事である・・ 

それは、人間生活の構造に関する知識、社会存在のあり方に関する知識、労働には分業が必要であり、従って、人々は階級と身分に分かれなければならないという事である。


人間活動の実際には様々な差異があって、平等などというものはありえず、なんらかの行為で階級全体に累を及ぼす者と、自分自身の名誉を傷つけるだけの者とは、法律の前では平等の責任を負う筈がないという事は、万人が心得ておく事が肝要である。

ゴイムには知らされていない秘密であるが、社会構造の真の知識は、身分とかれ離れた仕事をさせない様にしなければならず、個々人に要求される仕事と受ける教育との落差が悩みの元にならない様に、万人に実地をもって示そうと思う。


この知識を完璧に身に付けた暁には、人々は進んで権威に服従し国家に指示された仕事を受け入れるであろう。

現状の知識と我々が人民を育成してきた方向からいえば、印刷されたものを鵜呑みにし・・我々が彼等に誤りを吹き込んできたためと、彼等自身の無知のお陰とで・・これまでに考察した身分という身分に対し

て、全面的に憎悪を燃えつのらせる。それは階級と身分の意味を全く理解していない事から来ている。

この憎悪は、〝経済危機〟の効果で数倍もの火の手を挙げるだろう。

経済危機たるや為替取引を中止させ、工業を停止させるだろう。

我々は、自分達が熟知している隠密な方法を総動員し、全て我々の手中にある金力の助けを借りて、大規模な経済危機を作り出し、それによって全ヨーロッパ諸国の労働者群集を一斉にまとめて路上に放り出すだろう。

これらの群集は、ただ単に無知であるが故に、揺籃時代から羨み妬んでいた連中を喜んで血祭りにあげ、連中の財産を略奪できるだろう。
 
彼等は〝我々のもの〟には手をつけない。

何故なら、襲撃の時機を知っているのは我々であり、我々は財産を守る手が打てるからである。
 
我々は進歩こそが全てのゴイムに理性の支配をもたらすだろうと強調してきた。

我々の専制は一分の隙もない独裁である。

それがいかに、炯眼厳格な方法によってあらゆる不満を鎮圧し、全ての制度慣習のリベラリズムを麻痺させるかを知るだろう。
 
一般大衆はあらゆる種類の利権特権は自由の名のもとに生み出されたと見ていて、君主がそれを握っていると思い込み、怒涛の様に襲いかかったが、盲人のならいで自ずと数多の石に蹴躓く結果となり、案内人を求めて猛進したが、今更昔の状態に戻る事はできず、我等の足下に全権を委ねてしまったのである。

フランス革命を想起していただきたい。

それを「大革命」と名付けたのは我々であった。
その準備が秘密裡に行われた事を、我々は熟知している。

あの革命は全面的に我等の手で遂行した一大事業であったのである。
 
その時以来、我々は人民を幻滅から幻滅へと導き、その帰結として最終的には、彼等は、我々が世界の為に準備している、シオンの血を受けた専制君主に、 我々にも頼らずしても賛同するに至る筈である。 

今日我々は多国家にまたがる勢力として無敵である。

何ものかが攻撃し様とも、我々は他の国家に支援されるからである。

ゴイム人民の底無しの無気力さ、権力の前には腹這いになって這いつくばるが弱者には無慈悲、他人の過失には厳しく罪悪には寛容、自由社会制度の矛盾は認め様としないが思い切った専制者の強圧に対しては

殉教者のように耐える・・我々の今日をあらしめたのは、[ゴイムの]それらの特徴に助けられたところが多い。

現在の首相という専制者のもとでゴイム人民は呻吟しているけれども、かつてならその何分の一かの権力乱用でもあれば、王の20人位は打ち首にしたであろう。 

この現象、同じ性質の事象と見える事に対する人民大衆のこの矛盾撞着はどう説明したらよいのか? 


ここには厳然たる事実がある。
現代の専制者達は彼等の代理人を通じて、人民に向いこう囁くのである。

権力をこういうふうに使えば、国家には害を及ぼすけれども、崇高な目的にはかなっているのだ・・人民の生活保護、国境を超えた人民同士の友情、連帯、平等の権利という目的には。

言わずもがなの事ではあるが、彼等は、これら全ては我等の統治支配のもとで初めて実現するものだとは言っていない。
 
かくて人民は正しいものを罰し、不正なるものを許し、前にもまして、望んだ事は何でも実現できると信じ込まされるのである。

この様な事態のお陰で、人民はあらゆる種類の安定をくつがえし一歩一歩混乱を生み出している。 


「自由」なる言葉は、様々の人間集団に、あらゆる種類の権力、あらゆる種類の権威、更には神や自然の掟に対してまで闘争する事に入らせた。

このため、我々が我等の王国を実現したあかつきには、群集を血に飢えた獣に改造する暴力的概念であるこの言葉を、我々は、目に触れる辞書からは抹殺するであろう。 

獣達は血を鱈腹呑んで腹が膨れると眠り込むので、鎖につなぐのはいとも容易いというのは事実である。

だが、血を呑まさなければ彼等は眠らず、引き続き闘争を続けるであろう。