もう他にアピールできることは何も残っていなかった。もう帰るしかない、と思ったその時、


「言葉ではなく音楽で自分を語ってみろ、もし音楽家ならば!」


と言う声がした。


顔を上げて見ると、その人は、こちらに背を向け窓のそばに立ち、腕組みしながら外の風景を眺めている。


そして、もう一度言った。


「こういう書類でではなく」


と床に散らばった志望理由書を指差し、


「音楽家なら音楽によって自分自身を語ってみろ。


1曲弾け。そうすれば全てわかる。」



その時、この人の口にした「音楽家」という言葉の引き金が、私に1つの記憶を呼び起こした。


それは私が14歳になったばかりの時、コンクールで2位になり、結果が出たその日のうちに父によって附属音楽教室を辞める手続きを取られてしまった日の、翌日の出来事である。


まだコンクールの結果を見ていなかった私は、当時何を思ったか、今となっては思い出せないが、音楽教室にその結果を見に行った。混乱していたのだと思う。


常日頃、父には「コンクールで1位でなくなったら、音楽教室を辞めさせる。」とは言われていた。だからわかってはいたのだが、結果発表があったその日のうちに辞めさせられるとは。私はかなり動揺していた。


音楽教室に着いてコンクール結果の張り紙の前につっ立っていると、偶然、室長先生が通りかかり、私に気づくや否や私に向かって怖い顔で言ったのだった。


「音楽家にする気はない、だと?

音楽家を、たとえ親でも他のものにするなんて、うまくいくわけがない!」


ただでさえ混乱していたところに、いつも温厚でにこやかな、室長先生の怖い顔を初めて見たショックが加わり、「私は嫌われてるんだ」と動転してしまった私は、その場所から走って逃げたのだった。


そしてそれが、長年お世話になった附属音楽教室に私が行った最後の日となったのだった。


そんな昔の記憶が、突如、蘇っていた。