私は30代後半になっていた。とあるヨーロッパの街に住んでおり、その頃は幼稚園生の子供の子育ての真っ最中だった。
12歳で父に強制的にホラーク先生のレッスンを辞めさせられ、14歳で音大附属音楽教室を辞めさせられ、15歳でピアノレッスンそのものを辞めさせられた。その後しばらくしてから、泣いて抵抗したにもかかわらず、「もういらないでしょ。邪魔なんだけど。」と今度は母にグランドピアノを二束三文で売られてしまった。
そのため、働き始めると同時に家をでて、初任給で分割払いで電子ピアノを購入し、その後はその電子ピアノを趣味で弾く生活を15年ほど送っていた。
ホラーク先生のレッスンを受けてから既に25年が過ぎ去っていた。
そんなある日、現地で生まれ育った日本人のママ友の家に初めて招かれ、住所と地図を頼りに彼女の家を目指していた。
ところが、重症の方向音痴の私は、いつものように道に迷った。まだGoogle mapのない時代である。
携帯で彼女に道に迷ったことを電話をすると、私のだいたいの居場所を把握してから、彼女が言った。
「あなたのいる所の近くに音楽院があるの。そこが分かりやすいからそこで待っててくれる?私も今からそこに向かうから。」指定された場所はすぐ分かった。
会うなり、彼女は「ここは、この街でとても有名な音楽院なのよ。」と言った。
帰宅後ネットでその音楽院について調べてみたら、音大や音楽院につきものの、受験年齢制限がないことがわかった。
もちろん、これは10歳の天才に入学のチャンスを与えるためのシステムであり、30代後半の幼稚園ママなどの受験など、想定すらしていないことは明らかだ。
でも国費の大きな助成があるため、ピアノレッスンだけでなく、音楽理論、音楽史などの関連科目を全て履修しても、1ヶ月で100ユーロ程度の学費で済むことは、私にとって大変な魅力だった。
何故なら、近所に住むピアニストに20年以上ぶりになるピアノレッスンを1度受けてみたが、1レッスン60ユーロで、1回きりというならまだしも、私にはとうてい払い続けることのできる金額ではなかったからである。
プライベートレッスンで習うと1回60ユーロ、つまり1ヶ月で240ユーロなのに、音楽院に入れば、国費の助成により、1ヶ月に4回レッスンを受け、更に関連科目をすべて履修しても月100ユーロ程度なのである。しかも単位が取得できるし、うまく行けば卒業できるかもしれない。
受験の一次審査は音楽大学卒業の卒業証明書の提出、ピアノ科の場合、二次審査はピアノ演奏の実技のみと書いてあった。
音大を卒業していない私にとって、音大の卒業証明書がないことは大問題だった。しかし、外国での事務処理のいい加減さを嫌と言うほど経験していた私の脳裏に、「もしかしたら、音大でない普通の大学の卒業証明書を提出しても、卒業証明書の中身まで詳しく精査されず、どさくさに紛れて二次審査に進めるのではないか。」という考えが浮かんだ。
期限を見ると、まだちょうど出願に間に合いそうだ。ダメ元で出願してみようかな、と言う思いが湧いてきた。