私は家の近くにあった武蔵野音楽大学附属幼稚園の1つに通った。幼稚園で放課後ピアノレッスンを受けられるシステムだったようで、そこでピアノを習っていた。そのため小からは音大附属の音楽教室を勧められ、そのままそこでピアノを続ける形となった。


音大附属だったからだと思うが、毎年教室内のコンクールや発表会もあった。また、たくさんの外国人の前で演奏したり、外国人教授の公開レッスンを受ける機会などもあり、今考えると当時としてはかなりインターナショナルな雰囲気だったと思う。


小学4年生のある日、武蔵野音楽大学附属音楽教室の室長先生に呼ばれると、数人の見知らぬ先生方が待っており手を見せてごらんと言われた。


「もみじのような手だね。」「確かに本当に小さな手だね。」「オクターブ届くようになるだろうか?」「将来オクターブが届くか届かないかは大きな違いだ。」などと先生方に手を論評()された。


それからしばらく経ったある日、また室長先生に呼ばれた。


「新年度からホラーク先生があなたを教えてくださることになった。先生は日本語があまり話せなくて、普段は大学生に英語でレッスンしている。でもあなたは英語が出来ないので、先生が日本語で話すようにしてくれるらしい。通訳はつかないことになった。なので、せめてドイツ音名だけは覚えて、音だけでも先生のおっしゃることがわかるようにしておきなさい。先生は子供を教えたことはほとんどない。大学のえらい先生なのだから、失礼のないようにしっかり練習しなさい。」


将来は多分オクターブ届くだろう、と思ってもらえたからなのだろうか、そのような運びになったのである。


それで、私はホラーク先生の演奏するレコードを聴き始めた。クラシック音楽は父の持っているベートーヴェンの交響曲以外聴いたことがなく、クラシック音楽とはあまり縁のない家庭だったので、名曲アルバムといっても、それらは私にとっては初めて聴く曲ばかりだった。


特に、初めて聴いたドビュッシーの「月の光」には感動した。この演奏をした先生に習えるんだと思うと嬉しさで胸が高鳴った。


ドイツ音名は覚えられないままだった。すべてどうしてもドレミで聞こえてしまうのだった。ドイツ音名がわからないことに不安を感じつつも、子供らしいワクワク感でレッスンが始まる日を待っていた。