病院で心理士として訓練を受け始めた頃に出会った、忘れられない一人の患者さんがいます。


精神科医の先生から「いろいろな治療を試みたが、これといった効果が上がらず、正直お手上げ状態なので、心理カウンセリングの併用をお願いする」と回されてきた人でした。


高学歴な女性で、専門的な仕事に就いている人でした。外見からは想像つかないほど、苦しみ病んでおられ、過去に自殺未遂の経験もありました。


カルテには、摂食障害、解離性障害、境界性人格障害、うつ病、身体表現性障害、睡眠障害、希死念慮有、の言葉が並んでいました。


その方は、自分の子供時代の話しをする時には「日本語じゃない言葉で話していいですか。」と言って、英語で語りました。


母国語だとあまりにも感情を激しく揺さぶられて危険なので、自分をなんとか保つために、遠目に自分を客観視して語るための方便として、外国語で話すという手段を選ばれたのだと思います。


彼女が途切れ途切れに苦しげに語る子供時代を聞いて、私も忘れていた自分の子供時代を思い出したのです。


「そうだ、忘れていたけど、私も全く同じことがあった。」


何度も心の中で思いました。


それと同時に思ったのです。


私達は似たような母のもと、同じような経験をしてきたのに、この方は、もはや精神科医にお手上げだと言われるほど、たくさんの精神疾患をかかえて、たくさんの薬を飲んでいて、それでも良くなる目処がなかなか立たない。


社会生活にも支障をきたして、仕事も続けられなくなってきている。希死念慮が強く、いつ自殺されても不思議でないぐらい危険な状態にある。


自分も自分の育ち方に苦しんできたつもりだったけれど、私と彼女とでは、苦しみ方の程度が全然違う。


私は精神科の薬を飲んでもいなければ、かなり下手で不器用なやり方ではあるけれど、社会生活もかろうじてできている。


どうやら私はこれでも軽症で済んでいるみたいだ。


彼女と出会った後にも、精神科の臨床現場で、自分と同じような経験をした人で、もう普通の社会生活を送れないほど、心を病んでいる人を何人も見てきました。


そして、思ったのです。


自分はものすごく苦しんだつもりだったけど、

同じ経験をした人の集団の中で見ると、かなり軽症で済んでいたのだ、と。


何でなのだろう。


こうした経験が、何が彼らと違ったのかを考え始めるキッカケとなりました。


そしてその理由がわかったら、被虐待を生き延びた方法を公表する義務が自分にはある。


こうした声なき声、社会の見えないところで苦しんでいる声を聞くにつけ、同じ目にあったのに、なぜかは分からないが、どうやら軽傷で済んでいるらしい自分が、彼らを代弁しなくてはならない、いつの日か。


そう思ったのでした。