こんにちは、8月は私の家族の自殺した日、つまりは命日です。
迫り来る、記念日反応…
何年も同じ月が巡ると私は正常ではいられなかった。
取り乱し、寝込み、自責の念や絡まった感情が津波と地震のようにダブルで襲ってくる。何度もめまいで救急搬送されたことか。
近しい人の自死による“死”にたいして
私は、旅にその人が出たと思うことがあります。
別々の道を歩んで行くイメージです。
この旅に出ると言う表現は、誰かを裁くニュアンスはありません。
そうか。8月はあの人が旅に出た日だな。
こうことで私は心の安定を感じています。
悲しむだけが、グリーフでは無い。心が軽くなってもいい。
もし、亡くなった人がその日命を失う日だと定められていたら?
それは、誰の責任でもありません。
生きるということは私にとってサバイバルです。
同じ景色を見ても同じ意見に皆ならないように。
苦しいときに、私は話を作る
イメージですが
2頭の鹿が草原に居て突然ズドンと音がした
驚き鹿は真っ直ぐ草原を必死に走り抜ける
鼓動が早まり息切れを起こしながらも
いつも知らない景色まで逃げて来た
喉はカラカラでその時
ふっ…とここはどこだろうか?と当たりを見回す
来たこともない景色や花が咲いていて水辺がある
慌てその鹿は水を飲む喉の渇きを癒し
もう一匹の鹿を探す
いつもいた場所、いつもの自分たちの巣どこにも居ない、声がかれるまで鹿は叫び声を上げる
やがて嵐が迫る
木の影にじっと丸まり過ぎ去る嵐を待つ
空腹でたまらず寒くて心細い
疲れきって目を閉じた
声が聞こえるあの鹿の声姿は見えない
必死で探すのに見えない
その時、夢から覚める
鹿は、取り残され空を見上げ景色が何度も巡り
次第に消えた鹿を探さなくなる
ただ、人の匂いとズドンという音だけは恐怖として焼きついて離れない
鹿は走り続ける自分が生きていく為に
これは、仕方がない事で誰にも責められないこと
しかし、何度も思い出すだろう
水辺に映る自分の顔、春が来た時、真冬1人で眠か時の巣の広さに、そして永遠に消えない自分の中にその相手をみる
・何故私が自殺という強い表現で記載したかこれについて私の考えをお伝えします。
私の考えは自殺つまり自ら命を終わらせる行為に対して怒ってはならない事と強く意識したいと思っているからです。言葉を変えても人の命は元には戻らないと身をもって知っているから…当事者だからこそ使用しました。
⚠︎誰かを責める意図はありません。
