自分のお部屋ついに確保!
実家に戻り一週間以上経過しました。
5年ぶりの実家は想像を遥かに超えた汚部屋でした。
もうほんとに。
帰ったらすぐに幸せに暮らせると思ったら、火災片付けよりむしろ大変な状況でして。
埃って何もしないとこんなに溜まるのねってつくづく驚きました。
掃除機のゴミパックがすぐにいっぱいになるので、(ゴミパック)高いとよ!と妹に言われつつ、いやいや、手ですくう勇気ないし、やっぱり掃除機さんに吸いとってもらうしかないと、攻防戦を繰り返すこと数回。
私、決して綺麗好きではないんですが、好きなものに囲まれて暮らしたい願望がありまして、そのためには必死に動いてしまいます。
私の母は元気ですが、子育て、家事がまったくできない人で、それはいまも変わらずでして、だから孫の世話なんかするわけもなく、もちろん家のことは一切しません。
亡くなった父は母に掃除してもらうことを諦め、自分の部屋と自分が居る場所だけ綺麗にしてました。
洗濯物も亡くなる直前までひとりでしてました。
お庭も花咲かじいさんかと思うほど、近所の人を喜ばせていました。
それが…。
帰ったらすぐに焼け残った少ない荷物をパッと出せると思ったら大間違いでした。
どこから手をつけてよいかわかりませんでした。
取りあえず料理をする場所から、お風呂、脱衣所、寝るとこ、自分の居場所づくりと進んで行きました。
長い道のりですが少しずつ。
その前に自分の聖域づくり。
あらっ、まったく父と同じことしてるわ。
実は私、毎日、毎日、お父さん助けて!助けて!と心の中でも、口に出しても、口癖のように言ってました。
お父さんが生きてたら、きっと助けに来てくれたはずと思ってましたから、どうにもできないことだとわかっていながら祈ってました。
帰ってみたら、父も敬子どうにかしてくれ!と助けを求めていたのかもしれないと思いました。
明治十一年、東京府浅草村の設計図がある古い古いお家です。
再建築不可物件のため(2mの道路に面していない)、何度も何度も増改築を繰り返しています。
決してセンスのよいリフォームをしてるとは言えませんが、瓦を換えるだけで一千万かかった家とはまったく思えないゴミ屋敷になってました。
母はゴミをゴミ箱に捨てない。そのまま誰かが捨ててくれるまで放置。誰かが捨てるやろの生き方で今日まで。
中身は美味しい姪浜漁協の味付け海苔の空ビン、空箱だけでも11個ありました。
四つ切160枚分(全形40枚分)なので、大きな瓶です。
どうして空箱を家に置いとくのって言う前にとにかく捨てる。
燃えるゴミの日には最初13袋(45リットル袋)捨てました。
週2回このペースで出して行くと思います。
きっと収集車の方たち驚いているはず。
そして、やっと私の聖域をゲットしました。
昔の土間がリビングになり、テレビが壊れたため、誰もいなくなった通り道を確保しました。
フロアー的には4.5~5畳くらいの狭い空間ですが、階段の吹き抜けがあるため、さほどせまく感じません。
自分のことが後回しで、まだお布団を購入できていませんが、火事見舞いでテンピュールのマットレスと枕をいただいてますので、それにシーツを敷いて快適に寝てます。
照明器具も好きなものとは違いますが、居候の身、タダで住めるだけで有難いと思って日々過ごしてます。


