自分の痛み、喪失に目を向け始めることが大切です。

 

 

すでにいくつかの喪失が見えてきました。

 

 

 

自分を守るための防衛手段から、率直さや正直さを喪失しました。

 

 

孤立孤独は情緒的な繋がりの喪失であり、信頼感を持つことの喪失です。

 

 

不安感緊張感を持った環境にいることで、柔軟で自発的な選択肢を喪失しました。

 

 

自己否定感、恥辱感からは自己価値の喪失です。

 

 

どんな人でも時には拒絶されたり孤独を味わったりします。

 

 

自分の価値を疑うこともあります。

 

 

誰しもがです。

 

 

子供の内の経験から、慢性的な喪失感を長く引きずってしまう場合があるのです。

 

 

それがアダルトチルドレンでインナーチャイルドに戻ることが必要であるのです。

 

 

 

ですが必要な喪失というのも存在はしています。

ここでは必要な喪失について書いていきたいと思います。

 

 

わたしたちの人生に喪失はつきものです。

 

 

わたしたちはこの世に生れ落ちてきたときから父や母のもとから離れていく旅が始まります。

 

 

人が喪失を体験するのは自然なことであり、必然的です。

 

 

喪失を経験することで、私たちや強さや健全さを育てていくことができるのです。

 

 

この自然な喪失を経験する時に、必要なものがあります。

 

 

それは愛されている感覚と安全を感じることです。

 

 

「話さない」「感じない」「信頼しない」このルールに敷かれていると、こうした喪失を受け入れがたくなるのです。

 

 

ですが、こういった喪失は自然なことなのです。

 

 

自然な喪失を受け入れる経験は、大切なのです。

 

 

そもそも私たちは子供としても生まれながらの権利を手にしてこの世に生まれます。

それは次のような権利です。

 

・誰かの期待通りの存在だからではなく、ただありのままの自分として大切にされる。

・親の喪失を埋め合わせるための存在ではなく、その子自身としていつくしんで育てられる。

・一貫性と、安全と、暖かさと、理解を与えられ、無条件に愛される。

・ひどく傷つくような状況から守られる。

 

 

こうした基本的な権利を奪われてると感じるのは、見捨てられているという感覚を持っているからかもしれません。

 

 

身体的にも情緒的にも安全で、守られていて、安心できると感じられない状態におかれるのは、

子供にとってもっとも大きな喪失となります。

 

 

それは「おまえには価値が無い、おまえなんか必要じゃない、じゃまなんだ」という無価値感。

 

 

ただこういったことは、実際に起きたことが原因ではありません。起こらなかったことからきている場合もあります。

 

 

例えば必要な時に構ってもらえなかったこと。さらに、親がまるでこっちを向いてくれないために話せなかったこと。

一緒に遊べなかったことも、見捨てられたような喪失を感じる場合があります。

 

言葉をかけてもらうことや、ともに時間を過ごすことは、あらゆる子供が育つうえでかかせないものです。

 

そのことによって、こどもは自分に価値があるとわかるのですから。