前回の記事で、「傷ついた子供」は自分を守るために防衛手段として

 

「話さない」「感じない」「信頼しない」を無意識に選択してきました。

 

 

それは大人になっても無意識下で働き続けています。

 

 

大人になってもということは、今も「話さない」「感じない」「信頼しない」というルールを選択しているということなのです。

 

 

「話してもきっと聞いてもらえない」

 

「どうせ誰もわかってくれないだろうし、話すだけ無駄」

 

「我慢するしかない」

 

 

 

このルールを敷いたことで生み出されたものがあります。

 

 

それは

 

 

「孤独(孤立)」

 

「不安感(緊張感)」

 

「自己否定感」

 

「恥辱感」

 

 

孤独とは孤立をも意味し、自分の痛みや家族の痛みを他人に知られまいとします。

もし他の人が知ったらどんな反応をするかが不安なのです。

気づかれないように無意識に人を遠ざけたり、本当の感情を隠したまま何でもないふりをして人づきあいをします。

一見社交的にふるまっていたとしても、表面的なものに過ぎません。

 

この「話さない」「感じない」「信頼しない」無意識下でのルールが自分を孤立させるのです。

 

 

「不安感(緊張感・恐怖感)」

 

 

例えば家族全員が父親を怒らせないように神経をとぎすまさなければいけなかった場合などに、

家の中にいることで不安感(緊張感・恐怖感)を持っていたとします。

 

こういったこうしなければいけない環境ルールがあり落ち着かない環境だった場合、

自らすすんで考えたり行動したりすることが許されず、

自分なりの価値観を育てることが難しくなる場合があります。

 

 

 

「自己否定感」「恥辱感」

 

わけもわからず、自分はもともとどこか間違っているんだと信じ込んでしまう痛みに満ちた感情を感じています。

 

自分自身や自分の一部が欠陥品で、できそこないだと思い込んでしまう。

 

こうした自己否定感や恥辱感を持って生きることは、自分は人から顧みられない存在だと思い込むことであり

、仲間に入れてもらう資格が無いと感じることです。

 

自分は一人ぼっちで、人とは違っていて、愛される価値が無いと信じ込んでしまうのです。

心の中で自分が悪いんだと思ってしまいます。

 

どんな至らぬことも全て自分のせいだと思い込んでしまうのです。

 

 

 

この感情の根っこを探っていくと、たいていの場合共通した体験があるのです。

 

そこには親からの拒絶された体験があります。

 

この拒絶体験は人によって様々です。

 

例えばあからさまに拒絶された。

 

聞いてほしかったのに、関心のない態度を示された。

 

必要な時に助けてもらえなかった。

 

直接言われたわけではないけれども親の忙しそうな背中を見たりや、悲しそうな態度から拒絶されていると感じ取った。

 

 

小さな子供は自分の価値や見たこと聞いたことを確認できず、無視されていると感じ、大事にされていないと受け取るのです。

 

 

とはいえ、この小さい頃の自分の傷を小さく見なしがちです。

 

 

「このくらい大したことない。たいして傷ついてるわけではない。自分よりももっとひどい思いをして生きた人もたくさんいる」

 

 

まさに過去の私がこれでした。

 

自分の痛みに目を背け、自分の周りにいもしない人を想像して自分の痛みに向き合わないようにしていました。

 

 

当たり前のことなのですが、誰かの不幸が自分の痛みや喪失を消してくれるわけではないのです。

 

 

でも自分の痛みは自分自身のものなのですから、誰かと比べるものではないのです。

 

 

自分で自分自身の痛みに気づいてあげることがインナーチャイルド(本来の自分)に戻る必要なプロセスです。

 

 

あなたが痛みを感じている、感じ始めてきたら、あなたは癒されるに値します。

 

 

そして本来の自分に戻るプロセスを歩んでいます。

 

 

そのためには自分の喪失にきちんと目を向けることが必要です。

 

 

 

本来の自分に戻るには