峯岸みなみ in 「婦人公論」2013年 5/7号 | 笑う門にみぃちゃんがいた

笑う門にみぃちゃんがいた

峯岸みなみ応援日記。Just another みぃちゃん's fan.

今はちょっと時間があるので
いっそ更新しよう~
違う場を許してくださいm(_ _ )m
$笑う門にみぃちゃんがいた

「婦人公論」2013年 5/7号

新たな気持ちで
ありのままの自分で再出発

峯岸みなみ

週刊誌に男女交際を報道されて間もなく、独断で丸坊主になり、世間をお騒がせしてしまいました。あれから2ヶ月半、今はAKB48の研究生としてライブ出演し、一から頑張っています。公演ではまだ、ウィッグをつけていますが。

この間、いろいろなことを考えました。メンバーや関係者に迷惑をかけてしまった。ファンの方にも、今回のことが衝撃的な事件として刻まれてしまったかと思うと、申し訳ない気持ちで一杯です。

まだ、気持ちの整理ができていないところもあります。でも、AKB48の一員として前向きに進んでいきたい。そのためにも、これまでのことをお話できればと思っています。

今日はウィッグを脱いで初めてのお仕事。1人で表紙を飾らせていてだたくのも初めてです。皆さんにどう思われるか不安ですが、今のありのままの自分を見てもらい、明るく元気でいることをお伝えできれば嬉しいです。


帽子をかぶって、ベッドにもぐりこんだあの日

坊主になっても、
AKB48は
諦められなかった


峯岸みなみ

 『NHK紅白歌合戦』に出場するなど、今や国民的アイドルとなったAKB48。そのメンバーのひとり、峯岸みなみさんが、今年1月31日、週刊誌に男性タレントとの「お泊まり愛」を報じられた。峯岸さんはその報道を受け、同日夜に頭を丸刈りにし、インターネット動画を通して謝罪。20歳の女性アイドルが、自らの髪に鋏を入れたこの一件は、国内のみならず、海外メディアでも報じられ、大きな反響を呼んだ。一連の騒動によって、AKB48の選抜グループから、研究生に降格された峯岸さんに、自ら髪に鋏を入れた経緯と、思いを聞いた──

鋏を入れたことに、 後悔はない

 世間を騒がせてしまい、本当に申し訳なく思っています。ただ髪を切ったのは、精神的に取り乱したからではありません。自分の軽率な行為が週刊誌で報道され、どうしたら謝罪の気持ちが皆さんに伝わるか、目に見える形で誠意を伝えたいと思った時、浮かんだのが「坊主頭にすること」でした。「反省=坊主頭」というイメージが自分の中に強くあったのです。

──髪は、峯岸さんご自身で切ったのですか?
 はい。交際報道が出てしまった後、頭を丸めることを思い立ち、一人で髪を切りました。髪に鋏を一気に入れ、さらにザグザグと……。とにかくAKBをやめたくなかった。一瞬でも辞めようと思っていたら、髪を切れなかったと思います。その時の感情を伝えるのは今でも難しいのですが、ずっと涙が止まりませんでした。

──坊主頭にすることは、峯岸さんひとりの決断ですか?事務所の判断があったのではないですか?
 自分で決めました。強要も、強制もされていません。それだけははっきり言いたいと思います。ユーチューブで謝罪をネット配信することは、AKB48の運営側と決め手いました。ただ、その直前に頭を丸めたのは、私が勝手にしたことです。いきなり坊主になったから、マネージャにも笑われてしまったほどで……。周囲の方々をビックリさせてしまいました。

──女性アイドルが、頭を丸めて謝罪する。この一件は国内外で衝撃的に報じられ、「20歳の女の子を何がそこまで追いつめたのか」「謝罪のために坊主頭にするなんてあまりに酷では」と、女性論や日本文化論にまで発展しました。"女性にとって髪は命"と言う人もいます。
 正直、髪を切ったことで、ここまで反響があるとは想像できませんでした。今思うと、無知で子どもじみた行為だったのかもしれない。世間は坊主頭になることなど望んでいないし、そうしたからといって許されるものではない。それはわかっています。「女性が丸刈りにすることは自殺に似た行為、一歩手前だ」という声もあったようですが、自殺を考えたことは一切ありません。それとはまったく別なものだと思っています。
 自分で決断したことなので、髪を切ったことを今でも後悔していません。ただ、私のしたことがAKB48全体のイメージを傷つけてしまった。それについては、悲しいし、申し訳なく思っています。AKB48が異様なグループと思われてしまったら、それは私の責任がある。AKBは。明るく元気をくれる存在で、夢を与えるのか仕事です。純粋に応援してくれていたファンの方にも、お詫びしたいと思っています。

何も言わず、泣いてくれた母

──「アイドルは恋愛禁止」という風潮は以前からありもしたが、峯岸さんも青春まっさかりの20歳。もし恋愛が発覚したからといって、社会的な制裁のようなものを受けなければならないのはおかしいと思うのですが。
 AKB48に恋愛禁止、というルールが明確にあるわけではありません。けれど、私たちは皆さんに夢を与える立場です。なので、メンバー間の不文律として、恋愛禁止というのはある。今回のことは自分だけの問題では済まなくなり、関係者や身内にも迷惑をかけてしまいました。「峯岸の交際を知っていたのでは」などと、他のメンバーも疑われてしまった。不文律とはいえ、恋愛禁止を犯したのに処分が甘い、優しすぎるといった批判もあったようです。

──AKB48全体が批判の的になってしまったとのことですが、メンバーの皆さんは、坊主頭にした峯岸さんにどういう反応をしていましたか?
 「バカだな」と笑ってもらえるかなと思ったのですが、そうてはなかった。たかみな(高橋みなみ)はずっと泣き叫んでいて。彼女も、私が自分で決断して坊主にしたことを信じてくれなかったのだと思います。本当は誰かにやらされているんじゃないかと。「誰だよーー!」と叫んでくれて。先生(AKB48総合プロデューサー秋元康さん)とは、メールのやり取りをしたのですが、「前を向きなさい」という温かい言葉をいただきました。

──もっと心配されたのは、ご両親だったかもしれませんね。
一番つらかったのは、両親を泣かせてしまったことです。当日帰宅して、でも、自分のしてしまったことへの申し訳なさで、家族にあいたくなくて……。帽子をかぶったままベッドにもぐりこんでいたんです。その後、帰宅した母も私のベッドに入ってきて泣いてました。それでも、翌日には家族全員集まって夕飯を食べました。私もずっと忙しかったし、うちは飲食店をやっているので「食卓に家族全員が集まるなんて、さしぶりだね」なんて話しながら。心配したファンの方がお店に来てくれたりもしたそうです。ファンの方が泣くたび、母も一緒に泣いたとか。

──ここまでつらい思いをする娘を見て、ご両親は「芸能界をやめろ」とは言いませんでしたか?
 両親は、私の気持ちをわかってくれいます。どういう思いで芸能界に入ったか理解してくれているので、「やめろ」とは言いませんでした。でも父と母、2人の対応は違っていた。父は「よく決意した。頑張ったね」と励ましてくれたのですが、母で、何も言わず泣いていました。後ろから聞いたのですか、父の私への励まし方について、両親が夫婦喧嘩もしたらしく……。それくらい、家族を悲しませてしまった。それか一番つらかったです。

──今、峯岸さんは涙ぐんでおられますが、家族が悲しんだ理由は何だったと感じていますか。
 母は変わってしまった私の姿を受け入れられなくて、大きなショックを受けたのだと思います。私も精神的に打ち込んで、家にいても布団にくるまってばかりで。その姿を母が見て心配してしまって、「かわいそう」と何度も言っていました。
 今回のことでいろいろ見えてきたものもありました。自分を本当は大切に思ってくれている人と、興味本位の人と。敏感になっている今だからこそ感じられるものもある。そのなかで、家族は絶対的な味方でいてくれた。坊主にした当日に、私のもとに駆けつけて励ましてくれたメンバーのありがたさも実感しています。

ライバルでもあり、親友でもあるメンバー

──この一件がきっかけで、新たに応援してくれた方もいたそうですね。
 はい、今まで私のことを知らなかったり、AKBに興味がなかった人も「かわいそう。応援しています」と言ってくださって。「普通の20歳の女の子なら恋愛もあるはずなのに」と言ってくださる方もいました。でも、私は普通の女の子ではなかった。かわいそうと思われるのはありがたく思う半面、自分としては『違う』と思うとこともある。普通の女の子だったら経験できないことも、AKBでたくさん経験させてもらった。芸能界に入ったのも自分で選んだことです。今回の件でAKBを、そして芸能界をやめてしまうという選択肢もあったかもしれません。でも私は、自分で残ることを決めて、研究生になりました。

──AKBをやめないその情熱はどこからくるのでしょう?
 私は昔からとにかくアイドルになりたかった。芸能界を目指す人はたくさんいます。でも、多くの人に認知してもらえるのは、本当に限られたほんの一握り。そこに私が入れたのは、AKBがあったからだと思っています。自分ひとり、どこかの芸能事務所に所属したところで、今のようにはなれなかった。街を歩くと「応援しているよ。見ているよ」と言われる。これは、AKBのおかげです。私はAKBの1期生なのですか、初期のメンバーたちはライバルであり、親友、同志と言える存在です。最初は、あっちゃん(前田敦子さん)や、優子(大島優子さん)、しのまり(篠田麻里子さん)、とお互いにセンターを狙うライバルだったけど、14期生まで後輩が出てきた今、自分の立ち位置もわかってきた。私はセンターにはなれないけれど、歌ったり、踊ったり、AKBの仕事はなにをやっていても楽しかった。バラエティ番組に出演すると、「これが一番向いているね」と言われて嬉しかったし、ドラマで演技することも興味ある。いろんなジャンルのお仕事ができるのも、ここにいるからこそ。AKBには、本当に感謝しています。

──今回、選抜グループから研究生に降格されましたが、今はどんな活動をしているのでしょう。
 今の仕事は、秋葉原の「AKB48劇場」で、研究生公演に出ることです。でも、坊主になって初めてステージに立った時はやはり怖かった。私のことを良く思わないファンの方もいるでしょうし、ほかの研究生の成長を楽しみに通ってくれるファンもいる。そんな中に、AKBに泥に塗った私が一緒のステージに立つ。葛藤しながら公演に出続け、2ヶ月半が経ちました。今では研究生のメンバーとも打ち解けて、ファンの皆さんも徐々に、温かく受け入れてくれださるようになりました。

──今日がウィッグを脱いで、初めての仕事です。今後出演する時は、ウイッグはどうするのですか?
 公演でウィッグをしているのは、この頭だとAKBの衣装が似合わないことと、ほかの出演者とのバランスが崩れてしまうからです。公演は私1人ではなく16人のメンバーがいます。丸刈り頭だと、変に浮いてしまう。今後も、人並みに伸びるまではウィッグをつけようと思っています。ただ、もし少しずつ1人でのお仕事に出させていただくことがあるなら、ウィッグを取って、自然のままでもいいのかなと考えています。

AKBでしか、生きていけない

──6月8日のAKBの選抜総選挙に立候補されましたが、決意した時の心境はいかがでしたか。
 覚悟を決めて立候補しました。「その資格はない」、と言われるとは思います。でも、ここで立ち止まったら、また歩き出すのは難しいし、出馬しなかったを後悔したくない。何をしても批判されることは十分覚悟しています、そうならば、立ち止まるより前に進みたい。立候補して、しっかり今の自分の順位を受け止めたいと思います。

──今回の騒動で心境の変化がいろいろあったようですね。
 以前のように仕事ができない歯がゆさはあります。でも研究生公演の握手会で、「残ってくれてありがとう」とたくさんの人が言ってくれた。嬉しかったです。ファンを裏切るようなことは二度とできません。

──今回の一件は、苦しかったでしょうか、自分を見つめ直すよい時間になったのではないでしょうか。
 はい。反省すると同時に、いろんなことを考えました。今までずっと有名になりたいと走り続けてきた。小さい頃から、夢はアイドルになること。小学生の頃からいくつもオーディションを受けて、13歳でやっとAKBに受かって。最初は、レッスン漬けの毎日でしたが、楽しかった。もしAKBをやめてしまったら、路頭に迷い、何をしていいかもわからないでしょう。知識もないし、特技もない。勝手な話だと思いますが、AKBとしてしか生きられないと再認識しています。

──これからの再出発に向けて、決意を聞かせてください。
 今の自分には明るい未來を想像することはすごく難しいです。反省の時間だと思っています。研究生として一所懸命に劇場公演に出て、良い意味で変わったことを感じてもらいたい。そして、悲しい顔とさせてしまった両親孝行したい。いつか多くの人に祝福され、卒業すること、それが今の目標です。いつの日か、応援してくださる大切な皆さんの笑っている顔をまた見られたらいいなと思っています。