走れメロス – 王ディオニスの物語 –
メロスはテロリストなのか。
この物語を中学以来、何十年ぶりに読んでみてそう思わずにはいられなかった。
物語の冒頭で、メロスは政治が分からぬ牧人であることが記されている。
そう、メロスは羊の世話をしてる牧人であり、政治には疎いのだ。
またこうも記されている。
メロスは単純な男であったと。
そんなメロスが取った行動とはどういったものだろうか。
① 王が人を殺すことについて激怒した。
王がなぜ人を殺したのかについては何も聞き出せていないにもかかわらずメロスは激怒している。
権力者は常に孤独で、政治的駆け引きに頭を悩ましている。一国の王ともなれば、政治に疎い牧人には理解できない事情があったかもしれないのに、ただ王が人を殺したというだけメロスは激怒したのだ。
② 短剣を懐に忍ばせ、王城に潜入し王の殺害を図った。
実行前に露見したが、これは暗殺である。
古今東西、一国の王を暗殺しようとすれば未遂であっても極刑は免れない。
親兄弟を含めた3族皆殺しの刑であってもおかしくないところだ。
③ 親友であるセリヌンティウスを人質に差し出している。
メロス自身の身勝手な行為によって、親友であるセリヌンティウスを、本人の承諾も得ずに人質に差し出している。
個人的にはセリヌンティウスの人の良さに心配せずにはいられなくなる。
こうしてみるとメロスという人は本文にも記載がある通り、非常に単純な思考の持ち主であることが分かる。
次に邪智暴虐の王と言われたディオニスについて考えてみたい。
① 王ディオニスは人をたくさん殺すと市井の人々に噂されている。
ディオニスが手を下した人たちは以下の通りだ。
妹婿、妹、妹の子、世嗣である息子、皇后、賢臣アキレス。
その他に派手な暮らして、人質を差し出さなかった者を6人。
合計12人を死刑にしている。
しかし王様は悪心を持ったわけでもなく、乱心した訳でもないとの証言がある。
ただ人を信用できなくなったから殺したと噂されている。
ここで少し考えてみたい。
王ディオニスは自分の身内を5人、臣下1人の計6人を処刑している。
何故だろうか。理由は一切記載されていない。
しかし王様とメロスの会話の中でこんなやりとりがある。
「人間は元々私欲の塊。信じてはならぬ」
「わしだって平和を望んでいるのだ」と。
私はこの2行のセリフから、この国では以前からクーデターを企む輩がいて、王様は内偵を進めていたのではないだろうかと想像しました。
内偵の結果、首謀者が賢臣アキレスだったことが判明したのではないのか。
賢臣と言われていたアキレスがディオニスの世継ぎを次の王に担ぎ傀儡にし、自分で権力をほしいままにする事を企み、妹婿や妹、皇后もそれに加担していたとしたらどうだろう。
いくら身内であっても、クーデターを画策したのであれば、極刑は当然だったのではないだろうか。
② メロスとのやりとり
短剣を忍ばせたメロスをみてディオニスはメロスに「何をするつもりであったのか」と尋ねる。
メロスは「市を暴君の手から救う為だ」と悪びれずに答えている。
王を殺害しようとしたメロスに対して、その場で処刑しても良さそうなものだが、ディオニスはそうはしなかった。
また妹の結婚式があることを理由にメロスの親友セリヌンティウスを人質にすることを条件にしてメロスが故郷に帰ることを許している。
人質になっているセリヌンティウスをメロスが帰ってくるまで殺さず待っている。
最後はメロスが約束通り帰ってくると暗殺未遂を働いたメロスを許している。
こうしてみると王ディオニスは義理堅く約束を守り、罪を許す度量を持っている懐が深い人物である事が分かる。
本当に暴虐な王なら、メロスの到着など待たずにセリヌンティウスを殺していてもおかしくはなく、帰ってきたメロスを暗殺未遂の罪で投獄、処刑していただろう。
しかしそうはせず、約束を守ったと言うだけでメロスの罪を許している非常に寛容な理想的な王様だ。
この「走れメロス」という物語、真の主人公はメロスではなく、王ディオニスではないのか。
身内と家臣の反乱を未然に防ぎ、国を混乱から救うことはできたが、信用していた者たちに裏切られ人間不信に陥っているところに、王様の心の内を知ることもせず、王城に乗り込んできた牧人メロス。
彼の傍若無人な振る舞いを許し、最後には王自身が彼らの友情の前に負けたことを民衆に見せることで、国に広がった王に対する不信感を取り除くことに成功し、群衆から「万歳、王様万歳」と歓声を得た王ディオニス。
この走れメロスという物語は、あまり走らなかったメロスの物語ではなく、国を統べる力量を持った王様とは、例え市民には理解されなくとも国を守るためには身内を処刑してでも国の混乱を防ぐこと。
そして市民の行為には可能な限り寛容に対処すること。
この清濁合わせ飲むことができる懐の深さを持つことが、王様として重要なのだと語っている経営指南書なのだと感じずにはいられなかった。