死の淵から完全復活した母の話を残したい。

ここから希望を持てる人がきっといるから。


母の長〜い人生なので、数回に渡りますウシシ


母77歳

今年父が他界して、今は東北地方で一人暮らし真顔


この父が本当にすごい人だった、どちらかというとネガティブな意味で。。。滝汗

まず今日は父のご紹介


母は英、仏語が話せる優秀な人だった。

それなのに、父は外で働く事を許さなかった。

これくらいは昭和あるあるかなはてなマーク

でも平成になっても父はふんどしをはき、部屋着は浴衣、勿論下駄も2種類装備。カランコロンといい音させて…運動会に下駄で行こうかな。と言われた日にゃあ、小学生の私は全力で阻止する訳ですムキー


まだまだあります。父の凄いところ。


1、昔の旅館?のように、用がある時は手をポンポン拍手と叩くと母は家の中どこに居ようと飛んでくる。


2、お風呂上がり、父は両手広げて立ち、母が全身拭く指差し


3、父は基本家飲み。その日は忘年会に参加。母が、迎えに行くのに事前に電話が欲しかったとか、ベロベロだったので飲み過ぎと言ったのか、詳細不明ですが、何かの発言で父を怒らせガーン翌日母は酔った人の気持ちが理解できるようにとwhisky吐くまで飲まされてました。吐いて父一言「これで酔っ払いの気持ちが分かったかびっくりマークびっくりマーク

いや、意味不明無気力

さすがに小学生の私の脳裏に焼き付いてます。


4、父が許可してない同窓会に母はどうしても行きたくて出席(決して酔っ払って帰って来たとか、帰宅が遅かったとかじゃないです。)それに怒って、母翌日玄関先(外)で正座数時間。

中学生の私。一体何があったのか…勝手に行った母が悪かったのかとさえ思い始める…不安


いや〜まだまだありますが、もう為人は伝わったかと。


そんな父は、立派に75歳まで医者として勤め、職場ではとっても愛されてました。外面良い人は、その分家で解放してるのだなと。だから私は絶対に医者と結婚しないと決めてたし、医大生との合コンでは「こいつら、どうせ父や兄のような奴等だ。」と内心むかついてました。


そして、退職1ヶ月後、父倒れて、失語症、半身不随となり、母の老々介護生活が始まったのです…