大岡昇平の『俘虜記』を読みました。

彼の作品を読むのは『野火』以来です。先日、次男の持っていた『ひかりごけ』を読んだ時、『野火』が出てきて大岡昇平のことを思い出し、久しぶりに彼の作品を読んでみようと思い立った次第です。

この『俘虜記』は筆者本人の従軍記録、そして米軍に捕えられた後の俘虜としての記録です。文字通り生死の境を彷徨う経験をした筆者の見聞きしてきた事実の描写、そしてその時々の筆者の心情は記録文学として秀逸なものと言えるでしょう。

大岡昇平は暗号手としての教育を受けた後、フィリピンのミンドロ島に送られ、実戦経験はないまま、島に上陸してきた米軍に捉えられ、俘虜となります。作品の冒頭は、米軍に追い詰められる中で死を覚悟した筆者が手榴弾や銃により自決を試みるも、信管が外れたり、銃の引き金を引く力が残されていなかったことから未遂に終わり、米軍の俘虜となるまでが克明に記されています。特に自決を試みる際の心理描写は極限状態に置かれた経験のある人間にしか表現できないリアリティを感じます。

俘虜となった時にマラリアに冒されていた筆者は野戦病院を経て俘虜収容所に送られ、日本に帰るまでの1年弱の期間を過ごします。この作品の大半はこの収容所での生活を記録したものですが、筆者自身が作品中で繰り返し指摘しているように、その生活を一言で表現すれば、「如何に時間を潰すか」ということに尽きているように思われます。

筆者は持ち前の英語力を駆使して通訳役を務めており、米軍兵から与えられた英語の雑誌や推理小説などを読んで過ごす時間も多く、博打などで無為に時間を潰していた俘虜の同僚たちよりは有意義な時間の使い方をしていたようですが、それでも、知識人たる筆者にしてみれば、相当退屈な日々であったようです。（だからこそ、当時一緒にいた俘虜たちの人物観察をする時間も十分にあったようで、それがこの作品に活かされているとも言えそうですが）

収容所での生活の初期では、軍にいた時の階級が必ずしも受け継がれず、収容所に長くいる者や米軍に阿諛する者などが力を持ってのさばっていたようで、その後にはいわゆるヤクザ者やうまく女装する者などが力を持つようになっていったようです。このように時勢によって権力者が備えるべき要素が変化していくのはどの社会でも同様なのでしょう。

500ページを超える長編を読んでいる中では、正直少し飽きてしまう時もあったのですが、ちょうどゴールデンウィーク期間中のまったりと時間が流れる中で読み進めていたのはちょうど良かったかもしれません。

いわゆる戦争文学の中ではやや異質な部類に属していますが、俘虜収容所での生活を題材にした珍しい作品として、一読の価値があると思います。

大岡昇平『俘虜記』