サルマン・ラシュディの『真夜中の子供たち』を読みました。
作者サルマン・ラシュディはインドで生まれ、大学時代はイギリスで過ごした人物です。この作品はインドを舞台としており、登場人物もインド人がほとんどなのですが、使用されている言語は英語です。
刊行当時、「『百年の孤独』以来の衝撃」と評され、作者自身は『ブリキの太鼓』に触発されてこの作品を書き始めた、と語っていますが、実際に読み進めてみると、随所でそれらの作品との相似点を見出すことができます。
作品は30歳の主人公、自分の祖父母の馴れ初めから自分の母親の誕生、そしてその母親と父親の出会いなどを語っていく形式で始まり、全体の4分の1くらいのところでようやく主人公が誕生することになります。
主人公が誕生したのはインドが独立した日の午前0時で、その人生はまさに現代のインド国家とともに歩みを進めていくものでした。(ちなみに、独立記念日に生まれた赤ちゃんには首相からのお祝いの言葉が届けられています。)
主人公の波乱に富んだ人生が語られる部分はもちろん読み応え十分ですが、祖父母の馴れ初めや、両親の出会いの場面もインド情緒たっぷりで面白いです。
医師であった祖父は、裕福な家庭の少女に度々往診に行きますが、娘を外の男の目に晒したくない少女の父親は、娘に穴の空いたシーツを持たせ、診療のために医師に見せざるを得ない部分だけ穴越しに見えるようにして診察を受けさせます。
医師の祖父は、そのような形での往診を繰り返し、少女の体を部分的に見ているうちに、その少女に妄想的な恋をするようになり、やがて二人は結ばれることになります。
一見ロマンチックに見える若い男女の出会いですが、どんな夫婦にも長く暮らすうちに倦怠期が訪れるように、この二人もお互い歳を重ねる中で徐々にお互いの愛情も薄れ、祖父は認知症のようになり、祖母も肥満した頑固な婆さんと化していきます。
二人の次女が主人公の母親となるわけですが、その次女は最初に結婚した相手が失踪してしまい、別の男と再婚することになります。その二人の間に生まれたのが主人公ということになります。
しかし、物語の途中で重大な事実が明らかになります。この二人の子供だと思われていた主人公は、実は同時刻に生まれた別の夫婦の子供と取り違えられていたのです。しかも、その取り違えは、主人公に大きな愛情を注いできた主人公の乳母の仕業によるものだったのです。
このことは、作品の半ばで主人公が学校で級友たちからのいじめに遭い、指を切断する大怪我をした際、輸血が必要になり、必要な血を両親から採ろうとしたところ、主人公の血液型と合致しない、という事実によって明らかになったのです。
主人公の生い立ちをめぐるこうしたエピソードだけでも、読者は大いに興味をそそられると思いますが、作品の世界は、このような人物像の設定の奇抜さに止まらず、当時のインドの政治的激動と連動する形で大きく広がっていきます。
作品のもう一つの重要なモチーフとなっているのは、インド独立の日の夜中に誕生した子供たちは、特殊な能力を備えており、遠く離れていてもテレパシーでの交流が可能である、という設定です。さらに、誕生した時間が独立の日の午前0時に近ければ近いほどその能力は高い、ということになっています。そのため、午前0時に生まれた主人公は、同じ能力を持った子供たちの中でも特に高いより能力を持っていて、人の心を読み取る能力を備えているのです。ただし、当然ながら、取り違えの対象となった子供もほぼ同時刻に生まれたため、高い能力を備えており、そのために主人公は、取り違えられた男の子に対して強烈な対抗意識を持つことになります。(作品のタイトルは、このモチーフから来ています)
このような特殊な能力を備えているため、主人公は選民意識のようなものを持ちながら、インド社会で独特の活躍をしていくことになりますが、一方で、自らの出生の秘密を知ってからは精神的に不安定になり、一族共々波乱に満ちた生活を送っていきます。その中で、一族の多くはは政治的動乱に巻き込まれる形で命を落としてしまいます。
そして、幸運にも生き残った主人公が偶然の縁で自らのルーツとなる土地に戻らことになります。そして、自分の半生を回想しつつ、過去、そして未来にインドに生まれる何十億という子供たちの運命に思いを馳せるところで作品は終わります。
文庫本で1000ページに及ぶ大作であり、かつ、途中にはやや読みにくい箇所も出てくるため、読み通すには一定の根気は必要になりますが、近代インドを舞台にした傑作小説として、読書人なら一度は読んでおくべきでしょう。ある程度の読書経験を持つ方々におすすめしたい作品です。