ホーストダンスのブログ

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久しぶりに司馬遷の『史記列伝』を読みました。

5分冊の第2巻で、全部で90ある列伝のうち第19から第31までが収録されています。


第1巻には兵法家や縦横家と言われる謀略政治家などが多く収録されていますが、この第2巻には武将や宦官なども収録されています。

特に印象に残る列伝は秦の始皇帝と二代目の子嬰に使えた李斯(と趙高)に関する列伝でしょうか。

いずれも始皇帝の覇業を助けた人物で、特に李斯は秦の丞相として行政手腕を発揮し、内政面で業績を残していますが、いずれも始皇帝の本来の世嗣である扶蘇をさしおいて末子の胡亥を二世皇帝に擁立した謀臣・悪臣として知られています。

この二人の列伝は、淡々と人物の生涯を記録する他の列伝と異なり、物語風な語り口で書かれており、読み物として非常に面白いものとなっています。

始皇帝の行幸中、また世嗣が決まっていない状況で始皇帝が急死し、その死を伏せた趙高が渋る李斯を説き伏せ、操りやすい末子の胡亥を後継に擁立する場面は歴史書でありながらも時代小説を読んでいるような感覚になりました。

胡亥を皇帝に即位させ、長子である扶蘇を自殺に追い込むと、李斯と趙高は秦実権を握り、政治を思いのままに動かしますが、やがて両者は反駁するようになります。圧政により民衆の不満が高まる中、李斯が二世皇帝の胡亥に意見をしても、宦官である趙高を重用する胡亥はその意見に耳を貸さず、むしろこの機会に李斯を排除してより強い権力を握ろうとする趙高の企みに乗せられ、李斯一族を根絶やしにしてしまいます。これによって最大の権力者となった趙高は皇帝にすら遠慮せずに国政を私物化するようになりますが、その頃、趙高が胡亥に鹿を献上した時のエピソードが「馬鹿」の語源となったのです。趙高が胡亥に献上したのは紛れもなく「鹿」なのですが、鹿を献上された時に趙高から「これは馬でございます」と言われた胡亥が「これは鹿ではないのか」と周りの者に問うと、周りの者は口を揃えて「これは馬でございます」と言うので、胡亥は自分が頭がおかしくなってしまったのではないかと感じた、というものです。その後さらに増長した趙高は胡亥を自殺に追い込み、自ら帝位に上ろうとしますが、重臣たちが誰も従おうとしないため皇帝となることを諦め、やがて自ら帝位に就かせた始皇帝の孫によって一族ともども皆殺しにされます。


李斯・趙高に限らず、この巻に登場する人物は功成り名を遂げながらも悲惨な末路をたどることが多く、それぞれの伝記の最後にある司馬遷の人物評には「こういうところに気をつけていれば、こんな最期にはならなかったのに」といったことが記されています。後世を生きる者への戒めとしての言葉なのでしょうが、その時その時を精一杯生きた列伝上の人物たちにしてみれば、大きなお世話なのかもしれません。


第1巻に続いて第2巻も読み応えがありましたが、第3巻に進むのはまた少し間を置いてからにしようと思います。