先日、11日に少し早めの1周忌をしました。

命日は確実に入院もしくは第二子が出生していることもあり、一ヶ月早めに予定したのですが
当日は正直、あの日と同じ感覚になることはありませんでした。






何故なら、去年の今頃はまだ彼を連れ回し

何の不安も感じず過ごしていたからです。






Facebookの、一年前の今日の記事として上がってくるのは

何も知らない私の投稿でした。







そもそも、Facebookを子供の写真だらけにして不快に思う人が居ることを気にしていた私は

彼の写真を滅多に上げることはなく

ほぼ食べ物の写真だった訳ですが…






一つ一つの写真から思い出がよみがえり

まるで昨日のことのように思い出すわけです。













1周忌、お寺でおつとめをしている時も

どこか他人のことのように感じている自分がいました

そもそも、葬儀当日も

小さな箱になってしまった彼を

自分の息子として認識できていなかったのだと思います












きっと命日は、目の前の第二子を抱きながら

思い出すのでしょう。








抱いている第二子と違って

もう少し大きくて

冷たくて

動かない

人形のような息子を。










人生で最も恐ろしい朝を。















第二子の懐妊はとても喜ばしく

心待ちにしています。





しかし同時に、あの日と同じ日が来ない保証はないのだと恐怖がついてまわるのです。



そして、生まれてからの恐怖とともに

無事に生まれてくれるのかと

懐妊時からずっとずっと不安がついてきているのです












早めの1周忌

はるくん、どんな気持ちで見ているのかな?

生きていれば1歳6か月だった君は

もう走り回っているのかな





ごめんね

ママはその姿を想像も出来ないよ












でも

短い人生を、私達の元で過ごしてくれて本当にありがとう。









命日が来るのは怖いけれど

あなたに会えたことへの感謝をする日にしたいな。