タイトルの通り思うことがある






複雑です。


お腹に来てくれたこと、生まれてくること


そしてそれを祝福されることは


はるくん同様であっても良いとは思うのです


歓迎されてこの世に生まれ出ること


それを、多くの人にしてもらえること








でも、懐妊したことをずっと隠している時期があり


今でも言いたくない人が何人か居るのです








かつてのママ友


何人か子供が居る友人


会社の人


はるくんが亡くなった時、嫌なことを言われた人


一部の親族









一つは多分、相手が気を遣って言葉を選んで声をかけてくるのが分かるのが嫌 というのと

↑完全に相手に悪気なし。私の勝手な気分です・・・


一つは、無神経に「よかったね」「これでさみしくないね」「女の子はかわいいね」なんて言われたくないというのと


あとは・・・自分でもよくわかりません。








無神経な言葉は、相手はなんとも思っていない一言でも


自分にとっては鋭いナイフのように突き刺さります


「よかったね」


深い意味は無いと思うんです


でもいろいろ考えてしまって。



何、これではるくんのさみしさが埋まるとでも言うの?


そんなわけない。かわりなんてない。うまるはずない。



私は、まわりに何をしてほしいのでしょうか。


何を言ってほしいのでしょうか。








妊娠八ヶ月の今もまだ、伝えていない人が多く居ます。


かつての親友でさえも、年月が経ち心の壁を感じているのも事実です。


時間が経ったり、環境が変わると付き合う人やその濃度も変わりますね。








無事に産んで、退院できたとしても


私の不安はある程度成長するまではずっと消えません





お腹の中の子も、もっと祝福されてもいいはずなのに。


私が勝手にそれをとめてしまっているとおもうとなんとも微妙な気持ちです・・・。