おはようございます。山口です。
電車に乗ると、活字に目を落とす人が減り、携帯端末とにらめっこする人が増えましたね。
そういう自分も、携帯のアラーム機能で起床し、朝はウェブサイトでニュースを確認。
出勤して即座にパソコンに向かう生活。
米国のある調査によると、一人当たりの情報摂取量は50年前の3倍。
情報のデジタル化のゆえだが、その結果、現れたのは「ありあまるほどの答えを持ちながら、優れた問いのほとんど出されない社会」との指摘がある(『減速思考』R・ワトソン著、北川知子訳)。
古典『荘子』に「機心」という言葉がある。
「機械にとらわれる心」との意味だ。
井戸水を手作業で汲む老人に“機械を使えば”と勧めると、老人はこう答えた。
“機械を持てば、機械による仕事が出てくる。
機械による仕事ができれば、機械にとらわれる心が生じる。
純白の度が薄くなり、精神が定まらない”(「外篇 天地第十二」)。
現代では、情報を「どう得るか」よりも「どう選び抜くか」が重要だ。
便利な情報の道具から離れ、人生にとって何が本質的に大事かを「自身に問う」、つまり「考える」作業が、より必要となる。
「知識」を使いこなすための「知恵」が必要とされる。