「なぜ、沖縄に中華街は存在しなかったのか?」
沖縄の歴史劇作家の亀島靖氏に、よく寄せられる質問だという。
14~19世紀にかけて中国との交易が盛んに行われた琉球。
当時、琉球に渡り定住するようになった中国人は、「久米三十六姓」と称され、その子孫に、琉球を動かした偉人をも生み出してきた。
氏は、こうした歴史を踏まえ、琉球人は生活の中まで中国人を受け入れたため、華僑のような中国人どうしで結合する団体が形成されにくくなり、その結果、「中華街」は存在しなかったのであろう、と分析している。
むしろ、琉球は異国の人々を〝開かれた心〟で包み込み、独自の豊富な文化を生み出していったといえる。
「他者の生命を尊敬し、共に学び合ってこそ、互いの個性がより光り輝いて、創造の花を咲かせていくことができる」
〝開かれた心〟
自らが胸襟を開けば相手も心を開く。
他者との関わりを避けがちな現代だからこそ、他者から学び、友情を育む心を磨きたい。
心を開き、喜び勇んで人と会うこと。そこから、新しいドラマが生まれるかもしれない。