30歳 京都市在住
株式会社クイック(大阪市北区)主任
高校時代の部活で覚えた「逃げたら負け」の精神。「やり切る」ことの爽快感。
求人広告の営業はハードである。毎週毎週、数十本の求人広告を受注し、納品してきた。関西で100社は下らない競合求人広告会社の中から自社を選んでもらわなければならない。
週の前半は、見込み顧客や新規客の開拓、既存の顧客への提案に走り回り、週の後半は、急な発注も含めた広告制作と納品に忙殺される。多くの後輩への指導、顧客からの高度な要求に対する企画書作成、リーダーミーティング、夜の勉強会…。
求人の応募効果が思うようにあがらず、顧客から厳しいお叱りを受けることも少なくはない。京都に帰宅できるのは早くて11時前後。
毎週のそんな目まぐるしいスピードの中、約30人の若い営業部を、「業績」と「リーダーの一人としての自覚」で引っ張ってきた。
実家の一階で居酒屋を経営する両親のもとで育った。毎日、毎晩、仕事や生活、どんなことでも楽しそうに話し合う父と母。
母は街に自然と溶け込み、父は「どうやってお客さんに喜んでもらおう?」といろんなアイデアを考えては、楽しそうに母に相談する。その一方で仕事に強い誇りをもち、たとえお客さんであっても譲れないことはきぜんと主張した。
高校時代はフェンシングに明け暮れる。厳しい練習で先輩も同級生も次々に退部していく。個人競技で「信じるものは自分だけ」と教えられ、「逃げたら負け」という意識が次第に作られていった。「怪我でもしたら練習を休めるのに」と思いながら、禁止されていた試験期間中にまで他校に出むいて練習を積んだ。
「私もいつかは辞める」と思っていた部活を最後は部長として引っ張った。「私はやり切ったんだ」。涙があふれた。
目標「スーパーおっかさん」。コツコツと「実績」を積んで自信を深める。
大学は高校からのエスカレーター入学。高校からの内部進学者は、「温室育ち」で仕事が長続きしない、と思われるのを見返したかった。就職活動では、あえて営業職を選び、3年は歯を食いしばって頑張ってみようと、株式会社クイックに入社した。
株式会社クイックは従業員数およそ200人の人材ビジネスの会社。一昨年、求人広告代理店として初めて株式店頭公開を実現した優良中堅企業である。
入社当時、「目標は『スーパーおっかさん』になること」とレポートした。「河合さんに相談すれば何かヒントがもらえる・前に進める」そんな存在になりたい、という意味。難局は常にみんなの力を集結して乗り切っていこう、という社風は最適だった。
2年目のあるとき、会社の重要な方針の結果を出せなかった。できない自分を指摘されたくなくて、ビクビクしながら出社した。逃げ出したい。会社を辞めたい…。
「できない、できないと、思てるやろ。半年前と今を比べてみたら?けっこう成長してるもんやで」。先輩の女性社員が昼食時に一声かけてくれた。「ホンマや。私も成長している! 逃げんとやっててよかった!」
それ以降、自分のため、仲間のために精一杯頑張れる日々が続く。成績優秀者が参加できる海外研修にも選抜された。
4年目からは、尊敬する上司から後輩の教育指導を任される。自分のようには仕事に集中しきれない後輩を、自分が育ててもらったのと同様にしっかり育成したい。
「スーパーおっかさん」への第一歩。仕事中のコミュニケーションはもちろん、毎晩のように2人で飲みに出かけた。
自分自身も「仕事を楽しみたい」「おもしろみを見つけたい」ともがいている。だから後輩にも仕事を楽しんでもらいたい。そんな思いが20代後半のハードワークを支えた。後輩は少しずつ仕事に自信とヤリガイを見いだしてくれた。
「実績」がなくなって、自分の意見が言えなくなる。相手の立場にも立てない。
「生まれ変わるとしたら、足軽として戦国時代に生まれたい」と思っていた。個人の努力と才覚だけで、大名まで上り詰めていく。そんな人生に共感を覚えていた。自分のビジネス人生を照らし合わせていた。
入社から6年半たった29歳のとき、職種変更を命じられ、同時に「上級主任」に昇格する。新しい仕事に対する力量もわからないのに会社は私に期待してくれた。それに応えなければ…。
リキミだけが空回りした。「早く新しい仕事で実績をあげたい」。あせればあせるほど、まわりの声が耳に入らなくなった。自分では経験したことのない仕事の相談や判断を持ちかけられる。「わからない!!」。
ヒントもあげられない、前へも進ませてあげられない。それまではできていた「自分の意見」が言えない。「早く経験を積まなければ…」。
悪循環。ますます相手の立場に立てなくなっていく。自分への信頼がどんどんなくなっていくのがわかる。「逃げたら負け」。本当は逃げたいのに、そう自分に言い聞かせる。入社2年目のとき以来、会社へ向かう足取りが重くなっていた。上司に相談するたびに涙が流れた。
「20代を精一杯やり切れたんだ!」。30歳からはまた新しい私。肩の力が抜けた。
これ以上自分にこだわると、周りのためにならない。逃げずに1年間悩み抜いて、そう決めた。「できなかった、と思われることを覚悟しよう」「逃げるんじゃない。もうやり切ったんだ」。
少し前に経験した失恋のときに、気持ちは明確になっていた。子どもができたら仕事は辞める。だからこそ精一杯「働く」。家庭に入ったときに、「精一杯働いていた」ということが心の中に残っているように。
子どものそばにいつもいてやりたい。いつもそばにいてくれた両親と同じように。
高校の部活をやり切れたのと同じく、入社以来8年間、自分なりに精一杯頑張れた。
そして30歳を前にした1年間で、貴重なことを学んだ。人それぞれの、いろいろなものに対するいろいろな考え方。それを相手の立場に立って実感できるようになってきている。「1年前の自分と比べれば、また成長できてるんですよ」。
iモードの大ヒットの立役者として著名な松永真理さんの本を読んで「自立」という意味を知った。自立とは「自分らしく生きること」。
20代を「やり切った」自分。苦しいときにも励ましやアドバイスし続けてくれた上司や同世代の仲間、そして後輩たちへの感謝の気持ちを胸に、30歳で出会える「新しい自分」を楽しみにしている。