三国志演義の英傑・関羽の修行時代。
既に剣豪の呼び声高かった関羽が、さらに強くなりたいと剣術の師・武龍の門を叩いた。
だが、師は何ひとつ技を教えない。
それどころか日々、食べ物や薪などを集めさせるばかり。
数々の思いが胸に去来したが、関羽は淡々と眼前の日課を務めた。
それが彼の人格を磨き、剣の道をも極めることになったという話がある(小沢章友著『三国志英雄列伝』)
古代ギリシャの哲学者ゼノンの一番弟子・クレアンテスは“労苦を厭わない人”と称された。
水をくみ麦を挽くことも、哲学を学ぶ道と決め、師に仕えきった。
自分の小さな経験から判断せず、愚直なまでに師の教えに従う。
遠回りに見えて、そこに成長への近道があろう。
師弟あればこそ、慢心や我見を排し、限りない向上の道を歩むことができる。
物事の、大切な道理である。