セリの Happy ❤️ 幸年期 ‼️ -75ページ目

セリの Happy ❤️ 幸年期 ‼️

更年期の辛さ・苦しみ・悩みこそが、宝物!
いらなくなったものはどんどん捨て去り、ワクワクを取り戻すのだ!
更年期でさらに幸せになる、Happy幸年期Life❤️

h私の住む地域は、昔ながらの漁師町で

古くからの伝統とか 習わしとか
そういうものが、まだいろいろ残ってまして

昔ながらのものって、
そこに人の繋がりとか 温もりとか
支え合いとか 助け合いとか
いいものもたくさんあるけど

言い換えれば
しがらみとか 義務とか 責任とか
めんどくさいことも たくさん混じり合っているわけでして。。。
( ;´Д`)


まぁ、そういうものひっくるめても
心屋で鍛えた 鋼の、、、
いや、ダイヤモンドのハート❤️で
すこしずつ自分らしく、
自治会の役などもこなせるようになってきたのです、

が‼️


えっと、
ここら辺の自治会では、まだ、

婦人会>

というお役目が、存在しています。


なんか、ドラマとかで、
戦時中に、モンペ姿のおばちゃん達が、
たすき掛けしてエイエイオー❗️
みたいなイメージ?

なんか、怖い。。。
なんか、強そう。。。
なんか、めんどくさそう。。。

で、
同じ市内でも、都市化の進んだ地域や新興住宅地では
すでに絶滅している部署なのですが

この、昔ながらの漁村部では
必需品。

お祭りとか防災訓練とか赤十字やなんかの募金とかバザーとか
およそ地域のボランティア的な行事には、
必需品なんですねー、婦人会。

けれども、311のあの大津波の衝撃以降
日本各地の海岸地域から
民族の大移動が始まり

特に若い人、新婚世帯、子育て世代は
山へ、海抜少なくとも10M以上地帯へと流出していき

いま、ここら辺は
年寄りか
年寄りと暮らす家族か
津波前に家建て替えちゃったから動くに動けない家族か

あとは
うちみたいに
もう腹くくって、
津波は来ないと決めた!
きたら、来た時!
その時は死んじゃってるから先考えない‼️
と開き直ってここに住む、怖いもんなし家族が残っています。

当然、自治会のメンバーも激しく目減りしていて
2025年問題、いや、2050年問題を先取りしているほどの
超高齢化、限界集落になりつつあります。


そんな地域で、婦人会は
なぜ絶滅しないのか、私にとっては謎でしたが
ここに引っ越して4年目ですが
組の婦人会の担当を2年やり、
今年は組長をやっていたところ、

町内会の婦人部の代表(分団長というらしい)を来年やってくれと頼まれました。


無理です、まだ3ー4年しか住んでいないのに、
と断っても断ってもしつこく食い下がる現分団長。

2年やったらあとは生涯やらなくていいから。

大丈夫よ、簡単だから。


そう言いくるめられて
なんか、そんな流れになりつつあったのですが

旦那様やその妹(隣町に嫁いでます)や従姉妹達から
荷が重すぎるだろう、めんどくさい地域だから。
断るなら早く断った方がいい。と圧力がかかり、


婦人会のボスのところに、直接行ってきました!


以前の、いい子ぶりっこの、良い人ぶりっ子の、偽善者の私なら
2年間我慢さえすれば良いのだから、、、
と
波風立てないで、簡単に自分を犠牲?にしていたところですが

心屋で鍛えた私。

損してもいいー‼️
反逆者と言われても良いー‼️
のアーマースーツ w を心に着込んで
交渉に臨みました爆弾


…
…
…

交渉、約1時間。

敵もなかなかしぶとい。


しかし、私は言いました。


私なら、みんなが嫌がることも押し付けても良いと思われてるみたいで
私は 悔しかったです。

私が、かわいそう‼️



敵将も、あまりのストレートパンチに
「ほんと、それはそう思うよ、」
と、ボスは50000ポイントのダメージを受けた!

が、

私的にも、
なんか、そこがクライマックスだったみたいで。

そのこと言えたら、なんか、スッキリしちゃったんですよねー。


私の気持ちを、尊重しろ!ってところが
一番重要だったみたい。


そして、
そこを、
私が無視しないで、
私の気持ちを、外に向けてきちんと表現しろ、って
私の中の人は、私に訴えていたみたいです。


人に迷惑かけても、周りの思惑なんか関係なく、
自分の気持ちを、きちんと表現しろ!

ってことでした。


で、
それができたので、
私は満足してしまい、


結果として、
来年と再来年、分団長受けるべーっだ!ことにしました。

任期が2年なんです。


一つだけ条件つけました。

私のあとの後任を、私は誰に頼んで良いかわからない。
(知ってる人がいないので)

だから、そのあとの人選は、私がしないで良いということにして欲しい。

自治会の話し合いか、くじ引きか、持ち回り制にするか、
どんな方法だろうが、
後腐れなく私が2年で修了できるようにしておいてくれと。
それが約束してもらえるなら、やりますよ。


わかった、そうしましょう。というところで、
ゲームオーバー。


私、昔から、PTAの役員とか
子供会の役とか
父母会の役とか

みんなが嫌がる話し合いのとき、
私がやるよ!って言ってしまうタイプだったのです。

どうせ誰かがやらねばならないなら、気持ちよくやった方がいい。
って思って。


本当は嫌だったこともいっぱいあった。
我慢したこともいっぱいあった。

でも、今回言えたことで、
ある意味、冷静になれたっていうか、、、

私ができないことを、カバーしてくれる人がいつもいたなーって
それも思い至った。
できないことはやれてなかったし、
でも許してもらってきたし、
助けてもらってきたし。

一人で頑張ってるつもりでいたけど
そうじゃなかったなーって。

いろんな人が、いろんな形で、助けてくれたんだなーって。

私が、困ってるよ、助けて欲しいよ、って
きちんと言えたら
いつも
助けてもらえてたなーって
ニコニコ


だから、今回もきっと大丈夫だな。

でも、面白そうだから
この婦人会の経験を
記録しておこうかなと思います。

とりあえず、スタートは、うまく切れたみたいです。(^∇^)