朝、次男坊が起きて来て
しばらく何か放心状態な感じでぼーっとしていて
そのうち
しくしく泣き出して
何?!
何があった?!
聞いても何も答えない。
だんだん腹が立って来て
「泣いてどうにかなることなの?
そうなら、泣きたいだけ泣け!
どうにもならないなら、メソメソしてないで、学校行く支度しなさい!」
つい、怒ってしまった。
次男、何も答えずただ嗚咽。。。

あー、イライラするっ!!
。。。
って、何がイライラするんだろう?
と、
自分に向き合ってみた。
子供に泣かれると、親は反射的に反応する。
何があった?!
どうした!?
痛いのか?
苦しいのか?
怪我か?
病気か?
誰かにいじめられたか?
そして、
自分がなんとかしてやろうと考え始める。
なんとかしてやらねば、と思ってる。
ああ、そうなんだ
私は、自分以外の人間の問題を
自分から 、自分のものにしようとしてるんだな。
と気がついた。
だって、私の目の前で泣いてるんだから
私に何か訴えてるんだろう
と
思ってる自分にも気づいた。
でも、それが大きな勘違い?
自分が泣いてるときのこと思い出そう。
家族の前で泣いてるとき
家族に何かして欲しくて泣いてる?
ちがうなぁ。
ただ、気持ちを吐き出したいだけ、
苦しいのをわかって欲しいだけ って、
結構あるな~。。。
泣けるっていうのは
この人の前なら泣いても大丈夫、という安心感。
何かして欲しいわけじゃない、
ただ泣きたいきもちを発散させてほしい。
そういうとき、あるなぁ。
で、
ちょっと居心地悪かったけど
そのまましばらく泣かせておいた。
大丈夫なんだ。
どうせ大丈夫なんだから。
この子は、ないていたって、絶対に大丈夫。
そう自分に言い聞かせて、
何もしないで、朝のテーブル
隣に腰を下ろして、黙ってコーヒーを飲んでいた。
自分が、何を信じているのか。
よくぢんさんがいうところの、前提。
自分の中のそれが、いっぱい見えた。
子供が困っているのに違いない
親に助けてほしいに違いない
親がなんとかしてくれると思っているに違いない
どんどん出てくる。
友達に裏切られたか
部活でバカにされたか
振られたか
先生に、、、後輩に、、、先輩に、、、
もしや、警察?ヤクザ?

どんどん暴走する母の悪い予感。。。(; ̄ェ ̄)
どんだけ、私は息子に対して悪い前提を持っているのか
わかった。
その一つ一つを、
今の、嘘だから!! と、打ち消して行く。
この思い込み、1000%、ウソだから!!!
そして、
大丈夫なんだ。この子はどうせ大丈夫。
何があっても大丈夫。
と、書き換えて行く。
だんだん心が落ち着いて、
泣いてる息子のそばに、だまって座ってられる自分がいた。
男の子だって、ないてイイ。
そうだよ。
私は、親の前では泣けなかった。
すごくすごく怒って、大げんかして、
怒り泣きした記憶しかない。
でも、それだって、
そんなにまで素直に自分の感情をぶつけることができる存在だったってことだ。
お父さん。。。
自由に泣ける場所があったんだ
それは幸せなことだったんだ
すこしして、次男坊は学校へ出かけて行った。
この家が、私という母親が、
息子にとって泣ける場所だっていうことだ。
幸せなことだ。
私にとっても、本当は、幸せなことなんだ、って気がして来た。
大丈夫、って信じているから
きっと大丈夫。
私が泣くように
家族だって泣いていい。
泣ける場所だということは
笑える場所だということだから。
初級セミナーで
お話会で
上級ワークショップで
そのことがよくわかった。
プラスもマイナスもどちらもあって、ちょうどいいんだから。
だまって見守るということが
すこしだけわかった。
私の泣きたい心を十分に表現させてくれた
ひでこさん
コバ
うさこちゃん
ああ ほんとうにありがたかったな。。。
わたし、まえよりも
息子を信じられるようになってる。
自分を、信じられるようになってる。
自信。
持てるようになって来たんだね
