マウイ島でのセミナーが最終日となりました。

朝食は毎朝 日替わりのお当番が
          食堂にある食材で工夫して作ってくれました。
          
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最終日の朝食にウル登場です。みんな大喜びです。
 

オーヴンで丸焼きにされたウルイメージ 2

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切り分けてくれてます。

味は甘みの少ないさつまいも?かな。

            


              ウル 和名パンノキ 英名Breadfruit
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 ウルはたくさんの実をつけるので豊穣と裕福の象徴とされハワイアンキルト
のモチーフになり小物やハワイアンファブリックのデザインにもよく使われます。
  栄養価も高くメロンほどの大きさで成人男性の一日分が賄えます。
                  軽いのでサーフボードにもなってたようです。
                        樹液は粘着性もあり鳥もちにも使われていました。

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                      - クーの伝説 -
  4大伸のクーが妻子と住んでいた村が大飢饉に襲われ飢えに苦しむ我子や
  村人を見てクーは一大決心をしました。妻子に別れを告げ頭から真っ逆さまに
  地中に沈んでいきました。そこからウルの芽が出て実をつけみんなを飢えから
  救ったたそうです。タロの話もどことなく似ていますね。
                               不思議なハワイの神話です。

さて朝食後はみんなで大掃除です。3日間の短い滞在だったけれど思い出一杯の
Ala Kukuiでした。
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Ala Kukuiに別れを告げ向かった先はコクアのHaunaniさんのお父様が眠っておられる風光明媚な場所でした。
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ここで驚いたのなんのって。ひいひい曽おじいさまも眠っておられましたが
なんと日系人の元年者のおじいさまでした。ひゃあ。
驚くやら感動するやら涙するやら大変でした。(よう泣きますね 私

                       -元年者(がんねんもの)- イメージ 12                                               

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時は1868年 明治元年。その時にタイムスリップしましょう。
場所は横浜港です。ハワイへの移民船サイオト号が出港を待っています。
出航の許可を出したのは倒れてしまった江戸幕府。明治新政府は許可を出してくれません。
しびれをきらしてサイオト号はハワイに向けて無許可で出港していきました。
その時の集団移民153名(149名という説も)のことを元年者といいます。
                               (写真は英国船籍のサイオト号)

わあここで出くわすとは 言葉がでませんでした。
厳しい厳しい炎天下でのサトウキビプランテーションの長時間の重労働に耐えて過酷な生活環境にも耐えハワイの地で妻をめとり子をなして眠りにつかれたんだと思ったら涙が止まりませんでした。
クムのいとこのHaunaniさんに日本人の祖先があったと知りすごく嬉しかったです。
           ここでも数曲奉納しました。

      この後海辺でランチをして ハレアカラのサンセットに向かいました。
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                                                                   次回へつづく。