丘を下り、動き始めた紅葉達は毛狩り集団を迎え討つ為に生緑地手前で構えることにした。生緑地にの虎狐の住処には結界を張り、万が一虎狐達が出て来ないようにしてある。
生緑地を背後に構える紅葉達は、距離を詰めつつある毛狩り集団を見据えながら会話をしていた。
「……泰志は本当に大丈夫だろうか……」
「『大丈夫だ!』って大見栄張って挙手したんだから、大丈夫なんじゃないの。様子見だけとはいえ何かあったとしても、多少は対処出来る腕がある訳だし。佳直に稽古付けてもらってたんでしょ?」
「それはそうだが……」
「僕は佳直といっこも会話すら出来てないっていうのに……あの貴族、ただじゃおかない……!」
「……些羽。気にするところはそこなのか……」
泰志に対して些羽は気に入らないだけでなく嫉妬もあるようだ。些羽は佳直が気に入っているらしく、近付けないのをもどかしく思っているようでそんな心情の中、泰志が佳直に稽古を付けて貰っているとの事実に一層腹を立て嫉妬を露わにする。
「いっそのこと此処で死んじゃってもいいんじゃない?佳直には僕から宜しく云っておくから!」
「…………」
「些羽。発言には気を付けなさい。冶无樹に殺されるわよ」
絹の忠告に些羽は「冗談なのに~」と口調とは裏腹に残念そうな表情をしている。東鴻は大仰に溜息を付き額に手を当てる。
「……これに関しては理解に苦しむ……」
「えーどうしてですか?東鴻隊長!佳直かっこいいじゃないですか!」
『…………』
些羽の発言に紅葉・絹・冶无樹は俄かに引いている。同性にどういった感情を抱いているのか、発言からして何となく想像が付いてしまう出来れば想像したくない。別に否定はしないが受け入れられないのだから仕方がない。
「……佳直も大変だね」
「逃げ回る様子が目に浮かぶようだわ……」
「……難有り、だ」
他人事の様に呟く紅葉達は観覧気分で毛狩り集団を見つめている。見つめながら、冶无樹は泰志が稽古の事を打ち明けた際の光景を思い出していた。
――……有馬に稽古を?
――ああ。一応剣術は習ってたけど、戦闘向きなものじゃないからさ。…………目の前で紅葉が殺られた時、俺なにも出来なかった……シンドラに居た時もそうだ。冶无樹や紅葉が戦闘してるのを黙って見てる事しか出来なくて、あの時も紅葉に怪我させた……。
このままじゃ一緒に来た意味がない――泰志はそう悔しそうに唇を噛み締めて云った。前の自分と決別する為に剣術の稽古を付けてもらい、腕を上げて足手纏いにならずに今度は守れるようになるんだ、と。
目の前で紅葉が殺られたことが一番効いたそうだ。少しでも追い付きたくてもがく泰志は、逃げてばかりいた前とは違う。それを成長といえるなら、泰志はまだまだ成長し続けるだろう。
――初めて自分で決めた道なのだから。
顔を上げ、冶无樹は空に気持ち良さそうに浮かぶ雲を見上げた。
「……此処は泰志を信じて待つことが最善だな」
「そうね。信じて待つことも信頼の一つじゃないかしら」
「……そうだな」
「それに、いざって時はやる人だと思うから任せて大丈夫だよ!」
何処からそんな自信が出てくるのかは分からないが、元気良く紅葉が云い切るものだからこちらもそう思えてくるのが不思議だ。やはり紅葉は不思議な奴だと、改めて認識した冶无樹だった。
「――さて!そろそろこっちも開戦準備でもしとこうか。来たよ……!」
紅葉の言葉に皆それぞれ武器を手に身構える。毛狩り集団との戦闘開始前の一時――。
* * * * * *
九つ塔印の祠は虎狐の住処から東にある。泰志は紅葉・冶无樹とは分かれ、祠の様子見にへと出掛けていた。住処からおよそ一km、直径三百m程のクレーターの中心にその祠はあった。
丸く窪んだ斜面を滑り降り、泰志は祠に近付いた。少し壊されてはいるが、祠の原型は留めたままだ。
「半壊っていうのも確か、か。周りに人影らしきものはなしっと……」
来るまでに人影らしきものとは遭遇していない。とりあえずは半壊の状態を維持したままでいる事の確認は取れたし、住処に戻るとしよう。そう思い泰志はクレーターの外に出て住処に戻ろうとした。だが――。
――ドオーンッ!!
突如爆風と共に地面が揺れた。咄嗟に腕で目を庇い、足に力を入れ吹っ飛ばされない様体勢を整え、爆風が止むのを待つ。風が止み、視界が土煙で見え辛い中、男の声が土煙の向こうから聞こえてきた。
「……祠はお前の後ろだな」
「!誰だっ!?」
土煙の中から姿を見せたのは腰に動物の毛皮を巻き付けた男だった。目付きは鋭く、獣が獲物を見つけたかのように泰志を見た途端、ニヤリと嫌な笑みを浮かべた。
「……はっ!弱っちそうな小僧一人か……こんなんじゃ準備運動にもなりゃしないな」
「まさか、毛狩り集団の一人か!?」
「だったらなんだ?悪魔の使いとされる虎狐狩りを邪魔しようっていうなら……」
腰に下げた刀の柄に手を掛け、引き抜く。
「神国の奴だろうと容赦はしない!!」
「…………」
集団の中でも上位に入る強者だろう。まさかそんな奴とこうして対峙するなど思ってもいなかったが、上手く撒ける自信は無い。
(此処で逃げても逃げまいと攻撃を仕掛けられることに変わりはない……なら――)
泰志は腰に下げた刀の柄に手を掛け相手の男を見やる。
相手はどう見ても自分より戦闘慣れしている人物だ。今まで戦場なんて見てこなかった世間知らずと比べずとも分かり切ったこと。それに――俺には紅葉達みたいな不思議な能力もない為有利な方向に導くことは難しいかもしれない。
(だからって、逃げたら今までと同じなんだ!折角紅葉が背中を押してくれたのに、出来ないとか怖いとか……やってもないのに諦めたら……!)
今でもつい昨日の出来事の様に思い出せる。目の前で紅葉が絶命したあの光景を――。
――遅くったって、死にもの狂いでやってやるんだ!紅葉を、皆を守れるだけの強さと腕を俺は身に付けるって決めたんだ!
刀を引き抜き、身構える。
……助けてくれる仲間はいない。足が竦んでも、動けなくなっても、傷を負おうとも、どんなに叫んでも。
――そこで果てたら、そこまでだったってことだ。
だがここで負けて祠を壊されれば気候が更におかしくなり何が起こるのか予測が出来ない。そう易々と壊されるわけにも通すわけにもいかない!
そう思うと使命感が沸々と自身の内側で湧いてくる。泰志がそんな強い想いを抱いていると、男は可笑しそうに高笑いする。
「俺とやり合う気か?小僧風情が……精々楽しませて逝きな!!――」
男の姿が消え、気配も消える。
(焦るな……!いくら気配が消えたように錯覚しても本当に消えたわけじゃない。研ぎ澄ませば感じる筈だ……)
狼狽えたら感じ取れるものも感じられない。佳直に何度怒鳴られたことか……。
ヒュンッ
一瞬風を切るような音が聞こえた。そして一瞬強い殺気を感じその場を離れた次の瞬間、男が上から刀を振り落としてきた。飛び退いて更に数歩下がり距離を空け、間合いを取り様子を窺う。
刀を振り落としただけだというのに、さっきまで泰志が立っていた地面は蜘蛛の巣のようにひび割れている。斬撃というより力で叩きつけた感じだ。
(紅葉達みたいな選人じゃなさそうだな……そうでなくても俺より腕がある相手を負かすにはかなり分が悪い……)
男は地面に埋まった刀を持ち上げ、泰志を見やる。
「逃げ足くらいはありそうだな。だが、逃げてばかりじゃ俺には勝てないっ――!!」
また姿が消え、あっという間に泰志の目の前に男が立っていた。下段からの掬い上げを避け下がるが、次々と攻撃を仕掛けてくる。
「おらおらどうしたっ!俺に刀向けるならもっと抵抗してみせろっ!」
膝蹴りが鳩尾に入り、泰志は呻き声を上げる。反対の足で鳩尾を蹴られ、飛ばされた先の岩に背中を強打し噎せ返る。顔を上げた瞬間風の斬撃が飛んできていて辛うじて避けるが、切られた岩は綺麗に真っ二つだ。
「遅いっ!!」
その声にはっとしたのも束の間、下からの掬い上げで鮮血が舞った。
* * * * * *
生緑地に毛狩り集団が近付きつつある。集団を真正面から出迎える紅葉達五人は集団を目にしても臆することなく見据えていた。
「……貴方達が荒草原で再び毛狩りを始めたとする集団ね?毛狩りは禁止要項に入っていて犯すと大罪に処される事を分かっているのかしら」
絹の問い掛けに毛狩り集団の頭領らしき男が一歩前に歩み出る。
「そんなものは知らない。俺達は生きて行く為に毛狩りをしようとしてるんだ。生きて行く為の手段に国が口出しするんじゃない」
「そういう訳にはいかないわ。一五〇年前の毛狩りで虎狐が絶滅寸前にまで追い込まれた事実は真……例え人の生きて行く金儲けの手段だとしても限度があるわ。儲けに目が眩み、欲望のまま惨殺した行いは評価されるべきではないし、まともな商売とはいい難い。大半は闇市で高額に売り捌かれてたとの調査記録があるけれど……それに、虎狐は絶滅危惧種の保護対象となっているわ。保護対象である動植物乱獲及び危険に晒した場合、賠償だけでなく最悪死罪にもなる。
――毛狩りを行った罪と保護対象の動物を危険に晒した罪で貴方達全員を捕らえ、連行します!」
「……やれるもんならやってみろよっ!!――野郎共っ!!やっちまえっ!!」
頭領の合図で集団が紅葉達に襲い掛かる。
「殺さずに捕らえる事が最優先よ!特に些羽!」
「分かったよ!骨をへし折るくらいにとどめておくよ!」
絹の注意を理解しているのだろうが、果たして本当に理解しているのか定かではない。呆れつつも、気を引き締め集団との戦闘に意識を戻し、絹は援護に徹する。
紅葉達と毛狩り集団の戦闘が始まった。
* * * * * *
「……はぁ……がぁっ、はっ…………はぁ……!」
……左腕を、切り落とされたかと思った。
尋常ではない痛みに耐えながら泰志はちゃんと繋がっている左肩の傷口を見下ろす。
かなり深くまで切られたようだ。肉が裂け、ドクドクと紅い血が流れては着物を染め、地面にもポタポタと落ち染み込んでいく。動かそうにも指一本すら動かすことが出来ず、傷口が熱いのか身体が熱いのか分からない。肩口を押さえる右手も鮮血で紅く染まっている。
「まぐれとはいえ軌道を読んで逸らしたか。だがその腕では上手く戦えないだろう」
男の持つ刀の刀身は泰志の血が付いていて、切っ先から地面に血が滴り落ちている。男は直ぐに止めを刺そうとはせず、舐め回すように泰志を観察し始めた。
「…………神国から来たにしては弱過ぎる。新米か勝手に付いて来た部類の人間か?お前」
「…………」
「はっ!答える義理はないってか。まあいい――祠をさっさと明け渡して行くんだな。お前みたいな小僧切ったところでなんの足しにもならない」
「……お前、毛狩りをしに来たわけじゃないって云うのか?」
顔を歪めながら問い返す泰志に男は小馬鹿にするように笑う。
「毛狩り?俺にはどうでもいい事だそんなの。大金なんざ塞晃様の手に掛かれば直ぐに用意出来る……ま、これからの為に取っておくのも悪くはないがな。あっさりと嘘を信じ込んでくれる奴等で助かったってもんだ」
男は込み上げてくる笑いを抑えている。泰志は男の発言に目を眇めた。
「――冥土の土産に小僧に良い事を教えてやるよ。此処に来てる毛狩り集団は、元この土地に住んでた人間の子孫でもなんでもないただの生まれ貧しい奴等さ。この土地に住んでいた人間の生き残りで、貧しい境遇は虎狐のせいだと教え込んだら良い恨みつらみを抱いて成長してくれてな。利用されて捨て駒になるとも知らず馬鹿正直にこんなところまで来てやがる……はっははははっ!!実に愉快だ!!」
豪快に大笑いする男はひとしきり笑うと泰志を見下ろす。
「『虎狐の毛狩りが出来たら、故郷を取り戻す手筈を踏んでやる』――その言葉を信じてやってくれるとは面白いだろう?ま、最初から毛狩りが成功するとは思ってないけどな。虎狐の餌食になるのが関の山だ」
「……祠を壊す為、その目的だけの為に何も知らない人達を騙して見捨てるつもりだったって云うのか!?」
「俺は祠さえ壊せればそれだけでいい。あいつ等が食われて死のうがどうなろうが、俺が無事に戻れる為の囮になってさえくれれば上出来だ。……銀次郎の奴がヘマしてくれたお蔭で、その尻拭いを俺がしないといけなくなったんだ。あいつ、何処で何してんだ……!」
(銀次郎……?)
その名前には聞き覚えがある。確か紅葉が請け負っていた任に関わっていた銀髪の青年だ。与世地聖に戻ってきて直ぐに夕村という村で共に悪国の八幹部二人と対峙した。
あの銀次郎と顔見知りという事は、この男は悪国の関係者だということだ。それに銀次郎は屋敷を襲撃した八幹部の夏気未という女隊長の左副長をしていた人物でもあった。何かしらの能力が使えていたようだが、乖離現象を起こしたところを紅葉に救われ、それから能力は使えない身体になったようだが。
(こいつ、自分も利用されてるだけとも知らずに……)
銀次郎も大切な人を人質にされて利用されていただけのようなものだ。身体の弱い春花の為に彼女に与える筈だった任務をこなしていた結果が能力を使えなくなった身体だ。おそらくこの男も幾つか祠を壊せば乖離現象を起こして消える。当の本人はそんな事知らないだろうが。
(悪国の頂点に居る奴は人を何だと思ってるんだ……!)
自分の思い描く世界が手に入れば、慕う部下達などただの代えのある駒だとしか思っていないのだろうか。理想に惹かれ憧れを抱き、その実現の為にどんな無茶であろうと無理なことであろうと、例え周りから何を云われようとも耐えて任務をこなしても最後は物みたいに……。
そう思うと目の前の男が哀れに思えてくるが、自分も大して変りない立場で何ともいえない。
貴族なんて響きは良い地位に居ても、兄と比べて何の良いところもない出来の悪い次男でしかない。自分が居なくても、家を後世に繋いでいく駒はあっただろう。
――どれだけ何も出来ない自分を慰めてきたか。血の繋がった親に虐待され、存在価値などないなんて云われた程だ。家を飛び出して人間界に逃げたが、紅葉達が来てやはりあの家から逃れる事が出来ないのかと運命を憎みたかった。だが。
――……いいよ。居ても。居ない方がいい何て人、誰一人としていないと思うから。
――自分から一歩踏み出さないと……居場所見つけるにも自分を変えるにも。
与世地聖に戻るのが嫌で、帰るか帰らないかで逃げていた俺に紅葉が云ってくれた言葉。些細なことかもしれない、特に何も考えずに云ったのかもしれない、でも、すごくすぅっと胸に入り込んできたんだ。人の言葉に優しさがあるなんて初めて知った。
家を飛び出して未知な世界で生きていたんだ。それぐらい生きることへの執着と度胸があるなら、例え戻って何が待ち受けていようともただじっと甘んじていた前とは違う。自分でこれからどうしていくのか、それを見つける為に俺は戻ってきたんだ。
兄上以外肉親もいなくなって帰る家も無いに等しいけど、居たいと思える場所を見つけたんだ!こんなところでくだばってたまるか!
「――っうぅ……くっ……!」
左肩の傷口を押さえていた右手を傍らに落ちている自分の刀に伸ばし、柄を握る。その動きを見て男は嘲笑う。
「そんな怪我でまだ俺と殺り合う気か?腕っぷしもないくせ――」
「うるせぇっ!!」
男の言葉を遮り、泰志は怒鳴り声を上げる。刀を地面に突き刺し、揺らめきながら立ち上がる。
「……歴然としてる腕なんてな、一々お前に云われなくたって分かってるんだよ……!やらないといけない事がお前にあるように、俺にもやらないといけない事があるんだよっ!」
正直まだ何もよく分かっていない。物事に付いて行けていない。流れるままに紅葉達と一緒に此処に居るようなもので、虎狐との戦闘でさえ足手纏いにしかならなかった。その事で酷く内心落ち込んでいたが、祠の様子見を自分から「行く」と云い出したのは落ち込んでいられないと思ったからだ。
足手纏いになった手前、駄目だと云われると思ったが――。
――任せたよ。泰志。
真っ直ぐ俺の瞳を見て紅葉が任せてくれた。きっと不安もあっただろうが任せてくれたんだ。信じて、俺に――。
「期待に応えるとか、そんな恰好付けたのはいらないんだ……」
柄を握る右手に力が入る。少しでも動けば左肩の傷から上半身に痛みが走り、少しでも気を抜けば血が抜けて行く感覚に吸い込まれて倒れそうになるが、奥歯を噛み締めてしっかりと意識を繋ぎ留め目の前の男に眼を飛ばす。
「――祠を壊されるわけにはいかないっ!お前達が何を仕出かそうとしてるかなんて今はどうでもいい、俺が今すべき事は、祠を守ることだけだっ!!――」
――途端、泰志の周りに小さな電気が走り出し、それは次第に大きくなり一箇所に集まり始める。泰志の刀が雷を帯びて光り出し、辺りに電気を放出しそれは地面を走り壊していく。
バチバチッと凄まじい音を立てながら一回り大きくなった雷の刀が、泰志の右手には握られていた。
十章⑥ 終わり