襲い掛かってきた虎狐の群れの理解を得て、紅葉達は長の背に乗せてもらい生緑地にへとやってきた。山奥にひっそりと大口を開けた洞窟があり、その中に虎狐達が入っていく。どうやらこの洞窟が住処のようだ。

 住処に辿り着くと何十頭という虎狐が奥に進むと居た。殆んどが大人のようだが何頭か歩緒程の小さな虎狐もいる。長の背から地に降り立った紅葉達は住処の中を見回す。

 自然に出来た洞窟内は薄暗く、入り口から入る明かりだけでは小さな範囲だけしか照らし出せない。奥にへとなると暗闇に目が慣れないと踏み入るのに勇気が入る。
 紅葉は暗闇に慣れたのか奥に踏み込んで行く。すると、寝床が作られた上に一匹の虎狐が丸まっていた。



  『……私ノ旦那、虎狐ノ本当ノ長デス』



 ボフンッと巨大化を解き、寝床へと歩いて行く長は鼻面で旦那の顔を撫でる。すると耳が反応を示し、ゆっくりと目が開いていく。暫し夫婦の会話を楽しむと紅葉の方に顔を向けてくる。頭上に居る歩緒が地に下り立ち、ゆっくりと長達の元へと近付いていく。
  ――オオォ……戻ッタノカ……!無事デナニヨリダ……。
  ――父君……。
 やっと戻って来た我が子とその両親、虎狐とはいえ親子の再会は実に感動的だ。頬を緩める紅葉の背後、仲間達がヒソヒソと話を始めた。


  《……俺達動物の言葉は分からねーから、感動的なんだろうがどう反応していいか分からねーよな、冶无樹?》

  《まあ、そうだな。しかし、無事に両親と再会出来て良かったではないか。有馬が毛狩りがまた始まったと云っていた……両親やその群れに害がなくてなによりだ》

  《……虎狐は変化出来るのだな。あのような巨体が真の姿ではなかったのだな》

  《あんなバカデカい巨体がうじゃうじゃ居たらそりゃ人も逃げ出すよ。実際この光景みたら気が抜けるだろうけどね》


 どうやら紅葉と絹以外は真話霊ではない為に素直な感想を述べ合っているようだ。絹が紅葉の隣に立ち、声を潜めて話掛けてきた。
  《……父親、所謂雄が臥せっていたから代わりに雌である母親が群れを引っ張っていたのね。体が弱いのかしら……》
  《歩緒が渦転移に巻き込まれて人間界に飛ばされて気が滅入った、ていうわけではないと思う。訊いてみるしか》
 絹はその場に片足を付いてしゃがみ、長に話し掛ける。


  「旦那さんは何処か具合が悪いの?先程貴女は本当の長だと云っていたけれど……」
 長は絹に顔を向け、言葉を返してくる。
  ――旦那ハ体ガ弱イノデス。デスカラ私ガ代ワリニ長ヲ務メテイルノデス。ヤヤガ戻ッテキテクレテ良カッタ……。
  「……ということは、歩緒はいずれ虎狐を率いる長になるのね」
  ――ソウデス。親様ニヤヤヲ此処マデ連レテキテ頂ケルトハ、ナントオ礼ヲ云ッテイイカ……。
 長は寝床から飛び出て紅葉の前に座る。

  ――親様、アリガトウゴザイマシタ……。

  「……ううん。そんなお礼を貰える程大層なことはしてないよ。だからお礼なんていいよ」

 しゃがみ、長の小さな頭を撫でる。すると歩緒が駆けてやってきて紅葉の頭上に乗ってきて不服そうな鳴き声を上げる。
  「どうしたの?歩緒」
  ――…………。
 歩緒は何も答えず、ただ紅葉の頭にがっしりとしがみ付くだけだった。そんな歩緒を見上げながら、母親である長は紅葉に声を掛けてきた。



  ――……親様ニ、折リ入ッテオ願イガアルノデスガ。



 長の申し入れに目を瞬いていると、寝床で寝ていた父親が体を起こして寝床から下り立ち、紅葉がしゃがんでいるのを利用して膝から肩に跳び移り左腕にへばり付く。尾っぽを腕に巻き付け、落ちない様体を固定する。長も反対の右腕に父親と同じ要領でへばり付くと再び声を掛けてくる。
  ――……一先ズ、洞窟カラ出テクダサイ。
  「??分かった……」
 何とも云えない気持ちながらも長の言葉に従う。紅葉の後を付いて仲間達も洞窟を出て行く。


  「……なんか、虎狐に群がられてるって奇妙だよな……」


 泰志の言葉に誰も返事はしてくれなかった。


        *  *  *  *  *  *

 その頃、生緑地から二十km程離れた荒草原の岩陰に三人の人影が見える。少し離れたところには人の集団が身体を休めていて、毛狩り集団が生緑地の目と鼻の先にまで辿り着いていた。岩陰に居る三人の男達の元に一人の人影が一瞬にして片膝を地に付いた姿勢で姿を現わし、顔を上げる。
  「神国方面から人影が六人、荒草原にやってきた事を確認しました」
  「そうか……では、この文は本物というわけだな」
 突然送られてきた差出人不明の文。そこには『神国から使者が派遣され、虎狐の住処に行くであろう』――という事だけ書かれた謎な文章。何を意図しているのか分からず半信半疑で荒草原を訪れてみたが……。

  「して、そいつ等の動向は?」

  「虎狐が臭いを嗅ぎ付け襲撃にきたもようです。ですが、途中で戦闘が終わり虎狐の群れと共に生緑地方面へと消えていきました」

  「成る程。虎狐め……人の臭いを嗅ぎ付けては跡形もなく消し去るくせに、そいつ等は始末せずに住処に誘ったか……」

  「吾妻(あずま)さん、どう致しますか?」

 吾妻と呼ばれた男は立ち上がり、鞘を担ぎ直し首を鳴らす。
  「どうもこうも、生緑地に居る虎狐全部とっ捕まえて売るに決まってるだろう!神国の奴等も居るならそいつらをやっつけて脅しを掛けてやる!直ぐに全員で攻め込むぞ!」
 吾妻の言葉に皆力強く頷き、号令に集団も立ち上がり声を上げる。男四人を先頭に毛狩り集団は生緑地にへと向かい始める。


 ――高価な毛皮を求める集団に一人、ニヤリと気味の悪い笑みを湛える人物が居た。


        *  *  *  *  *  *

 住処から外にへと出た紅葉達は長の案内に従って丘の上にへとやってきた。荒草原を三百六十度見渡せる絶景の監視場所といえよう。
  「すっげぇー……荒草原が一望出来るぞ!」
  「本当に赤い大地だね。血の大地なんて云われるのも分かるよ」
  「……こんな場所に連れて来て、どういうつもりなんだ?」
 冶无樹の疑問も尤もだ。こんな見晴らしの良い場所に案内した長の目的が分からない。


  ――西南ノ方角ヲ見テクダサイ。


 長の言葉に紅葉達は西南方向に目を向ける。生緑地から二十kmといったところだろうか。黒い塊が微かに動きながらこちらに向かって来ているのが見えた。
  「あれは……人の集団?」
  「……まさか、あれが再び〝毛狩り〟を始めた集団なのでは?」
 東鴻の言葉に父親がコクリと頷く。

  ――数日前、荒草原ニ住ム動物ガ人ノ餌食ニナッテシマッタ……一五〇年前マデ荒草原ニ人間ガ住ンデイタ。ダガ、私達ヲ乱獲シテ売リ捌イテイタ人間ヲ私ノ曾祖父ニ当タル長ガ根絶ヤシニシタ。
     ダガ再ビ売リ捌コウト攻メ入ッテ来タ。私達デ人ナド容易ク消セルガ、狩リニ来タダケデハナイ気ガスルノダ。ダカラ親様ニアノ人間達ヲドウニカシテ欲シイノデス。

 父親は紅葉の腕により一層力一杯しがみ付き、体を震わせる。落ち着かせるように紅葉が背中を撫でてやると、「アリガトウ……」と弱々しく答えるのだった。
  ――デスガ、少々動キガオカシイノデス。
 長が紅葉の顔を見上げるようにして父親の後を引き継いで話す。

  ――荒草原ニハ、遥カ昔ニ設ケラレタ祠ノヨウナモノガゴザイマス。数日前カラ祠ラシキ物ヲ探シテイル人間ガ居ルノデス。

  「祠?その祠は一体……」



  「――まさか、〝九つ塔印(ここのつとういん)〟の祠が荒草原にあるというの?」



 驚愕を隠せないのか絹は初耳だといわんばかりの反応を示す。絹の言葉に皆首を傾げるしかない。
  「九つ塔印……?」
  「云わば源粒を放出している力場のことよ。最も放出の多い南北の二ヶ所を除いて与世地聖には九つの力場があって、〝塔印〟というのは放出している源粒を抑え込めている封印の事なの。だから力場を九つ塔印と云い包めているのよ。
  力場には高濃度の源粒が噴き出てる。何もしないで裸の状態で放出していると、力場のある周辺に何らかの異変が起こると伝えられているわ。それを緩和させる為に封印を施して異変を抑えていると聞いているけれど……まさか荒草原以外の塔印を誰かが解いて、世界に異変を起こそうとしてるのかしら……」
 絹がぶつぶつと呟きながら思考している隣、東鴻が何か思い出したのか閉じた目を見開かせる。東鴻の表情の変化に一早く気付いた些羽が心配そうな面持ちで東鴻に声を掛ける。

  「東鴻隊長、どうかしましたか?」

  「……以前会った銀次郎を覚えているか?あやつは乖離現象を起こす程身体に負荷を掛けていた。人間界に来る以前にまさかその九つ塔印の祠の封印を解いたのではないか、と……思ったが考え過ぎだな」

  「あの左副長が封印を?そんな事出来るんですか?」

  「強ち東鴻の推測も間違いじゃないかもしれないわ」


 思考していた絹が難しい顔をしたまま会話に入ってきた。
  「九つ塔印の封印の祠に近付けないよう、代々神国大紀美を務める〝天ノ神家〟が特殊な結界を張り守っているの。その結界は天ノ神家の血を引く者だけが解けるようになっているけれど、その結界さえ突破出来れば祠なんて簡単に壊せるわ。――ただし、祠を壊すと壊した者の力を吸い取る代償が待っているけれど」
  「力を吸い取る……?つまり、能力をってこと……?」
 些羽の言葉に絹は頷く。

  「普通の人間が祠を壊すと一瞬でお陀仏よ。選人である私達だと、源粒と各能力の粒子で身体は構成されているの。源粒と各能力の粒子が結びついて出来ている身体だから、祠を壊すと能力の粒子だけが吸い取られて、相手を失った源粒は不安定になるの。不安定の度合いが高くなると身体を構成出来なくなって乖離する。それが〝乖離現象〟よ」
  「じゃあ、あの左副長!九つの封印解いたってこと!?」
 「それはないと思うわ」……絹はそう口にしながら首を振って些羽の可能性を否定する。


  「一つの祠でどれだけの力を吸い取られるか分からないし、銀次郎が本当に九つ塔印の封印の祠を壊したのかどうか問わないとなんともいえないわ。荒草原の祠が無事か、或いは半分解かれた状態なのか……荒草原の異常気象も祠が不安定なせいで起きているのかもしれないわ」


 絹達が可能性の話をしているのを紅葉は黙って聞いていた。仮に銀次郎が祠を壊していたのを問題にしても、尤も問題にすべきはそこではない。

 ――誰が祠を守る封印を解いたか、だ。



  ――神国に裏切り者が居る……そう考える方が自然じゃ。



 頭の中で那与裏の声が響く。西南に小さく見える黒い影を凝視しつつ、紅葉は那与裏に話し掛ける。

  (神国大紀美を代々継いでる天ノ神家だっけ。仮に銀次郎が上からの命令で祠を壊したとして、事前に結界を解いてないと壊せないよね)

  ――そうですね。……神国から追放された天ノ神家がおるかどうか、それも考えておくべくじゃ。……祠が壊されているのは……月鏡湖(げっきょうこ)にある祠だけですね。荒草原にある祠は半壊とでもいいましょうか。全壊してしまえば荒草原は年中雨が降り続け、環境が変わるやもしれません。

  (それは不味いよ!虎狐以外の動物も住処を追いやられることになるんじゃ……)

 力場が解放されたらどうなるかは分からない。だが、絹の云っていた通りなら力場周辺に異変が起こるということは相当なものだ。確か月鏡湖とこの荒岩地である荒草原はそれなりの距離があるにしろ同位置に位置している。月鏡湖の力場が裸状態であることが気流を乱れさせ、その影響が荒草原に異常気象として現れているのだろう。
 もし荒草原の祠が壊れてしまえば、荒草原の異常気象は激しさを増し動植物を滅ぼしてしまうかもしれない。

 言葉に心配さが滲んでいたのを感じたのか、それを慰めるように那与裏が優しく解決策を口にした。


  ――心配には及びません、主。祠を元通りにし結界を張り直しさえすれば大丈夫でございます。

  (え、どういうこと……?)

  ――祠は力場さえ抑えてしまえばまた再生致します。そして結界を張り直せば張り直した本人以外結界は解けなくなるので、その他の力場の結界も主が張り直しすれば主か後に現れる妾を宿した者にしか結界は解けなくなる……力場は国や人が管理出来るものではありませぬ。


 自分達では動ける範囲も決まっている。これは神国に戻ったら羅沙度と検討する必要がありそうだ。そう納得気に頷く紅葉の右腕から肩に移動してきた長が目を覗き込んでくる。

  ――親様?ドウカナサイマシタカ?

  「ううん、なんでも。……それで、私に折り入って頼みたい事っていうのはあのやってきた人間と祠、その両方をなんとかして欲しいって事でいいの?」

 そう訊ねると長は耳を垂れさせて「キウゥー……」と申し訳なさそうに小さくなる。

  ――……一五〇年前ト同様、再ビ売リ捌カレルノハ嫌デゴザイマス。一五〇年ノ時ヲ有シテモタッタノ四十頭ニモ満タナイノデス。人デ唯一頼レルノハ親様ダケナノデス。ドウカ……。


 ――虎狐は人を脅かす肉食獣。

 神国の欽聖堂に来た当初、歩緒を見て私から皆離れていった。それが私ではなく歩緒にあったというのはいうまでもない。人を襲って食らう恐ろしい肉食獣がいれば誰だって恐いのは当たり前だ。あの絹でさえいくら幼くても離れろ、近付くなという程だ。
 だが元を辿れば虎狐をそうするようにしてしまったのは人間である自分達だ。その酬いを受けたと云えば批判を受けるかもしれないが、現にそうなってしまっているのだから人が虎狐達を責めることは出来はしない。

 人が自分達に仇なす敵だとして決して人に懐かない筈の虎狐。そんな彼女等が自分には心を開いてくれている……理由は不明だが、放っておくことも出来ない。自分達は異常気象を調べに此処へ来たのだから。


 ――なら、解決の糸口を導き出すこともすべき任だ。


 紅葉は長の頭を撫で、笑顔を向ける。
  「異常気象を調べに来たのと同様、見逃すことの出来ない問題だしね。何処まで力になれるか分からないけど、やってみるよ」
  ――親様……有難ウゴザイマス!
 頬にすり寄ってくる長は嬉しさのあまり尻尾を揺らす。紅葉は仲間を振り返り、意見を問う。


  「虎狐から毛狩りで侵入してきた人間と祠をなんとかして欲しいって頼まれたんだけど、皆の意見はどう?」


 絹達は顔を見合わせ、ふっと口元を緩め合い一斉に顔をこちらに向ける。
  「どうって、そんなの決まってるだろ!」
  「ああ。……目を瞑ることは出来ないな」
 泰志はぐっと拳を握ってやる気を見せ、冶无樹は腕組みをして小さく頷いた。
  「此処まで来てしまっては、出す答えなど決まっている」
  「そうそう!まだ十分暴れてないもの!」
 普段閉じられている両目が開き、良い笑みを浮かべて東鴻は紅葉を見つめてくる。些羽は暴れられると分かって血の気十分に待ち遠しそうに手の平に拳を打ち付ける。

 絹は溜息を一つ付きながらも表情は何処か笑っている。しかし真剣な面持ちに変わり紅葉に一歩近付いて来る。

  「――人を相手にした事もあれば人ではない者も相手にしてきたわね。これまで戦闘を幾らか経験して気付いているとは思うけれど……」
 もう一歩詰め寄ってきて、鼻先が触れ合いそうな距離まで絹が紅葉に顔を近付けてきた。
  「手練れだろうとそうでなかろうと、戦闘は常に生死を賭けたものよ。慈悲を掛けて生かせるものばかりではないわ」

 鋭い瞳を紅葉は真っ直ぐ真摯に受け止め、じっと耳を傾ける。
  「それに、戦闘をするだけが選人ではないの。今みたいな問題と向き合った時、争いも起これば話し合いで纏まることもある……国に勤める立場や町民、重役、立場も様々よ。それぞれ正義もある。
  舘野伊総隊長から教えて貰っていると思うけど、私達は〝兵器〟も同然なの。力の使い方次第では受け取られ方も様々、だから〝よく〟考えてやりなさい。いいわね」
  「……うん。分かってるよ」
 落ち着いた口調で返ってきた紅葉の言葉に驚きを見せたのも一瞬、絹は真剣な表情のまま紅葉を見つめる。


  「……貴女自身が判断して下せばいいの。それまで縛り付けるほどの権限は例え国を治める者だろうと上位に立とうとないんだから」

  「立場を弁えて、ね」


 付け加えると、絹はゆっくと頷き紅葉の言葉を待つ。皆も同じで、紅葉からの締めを待っている。紅葉は西南方向に目を向け、ゆっくりと口を開く。


  「……じゃあ、行くよ。皆――」


 紅葉の言葉に絹達は力強く頷き、丘を下り動き始めた。



        十章⑤   終わり