健人が中畑を人質に取り、ナイフの刃を喉元に押し付ける。
 
  「こいつが死ねば、全て完璧だった……死ねないっていうなら、私の手で殺して私も死ぬ!これで絵美のところに行ける……!」
 正気でない彼に何を言っても逆に油を注ぎかねない。理性もなければ自制心もない、ただ彼は〝復讐〟という念に駆られ動いているだけの操り人形だ。
 
 
 鮎川が肩を摩りながら階段を下りてくる。どうやら突き飛ばされて肩を打ったらしい。
  <……鮎川さん、大丈夫ですか?>
  <ああ。なんとかな……あの野郎、思いっ切り突き飛ばしやがって……!>
 痛むのか眉間にシワが寄る。肩を負傷したのなら取っ組み合いは避けるべきだ。実力行使は避けて、言葉で説得出来ればいいですが……試してみる他ないですね。
 
 
 
  「……これ以上罪を重ねるのは止めましょう、中原さん。こんな事を続けても貴方自身の首を絞めるだけです」
  「うるさい!!お前に私の何が分かる!?大切な妹を悪戯なんてふざけた真似で奪われて……なのに事故だと!!?計画まで立ててあって何が事故だっ!!立派な殺人じゃないのかっ!!?」
 怒りに顔が歪む。怒声を聞く中畑の顔も又、苦しく、哀しみに暮れる。
  「――妹はぁ!!……暗くて、冷たい雪の中で死んだんだっ!大学の空き教室で、こいつ等が絵美がなんで死んだのかその実態を話してるのを聞いた。それを知って居ても立っても居られなかった!こいつ等は呑気に陽に当たって生きてる!それが私にとっては許せなかった!だから同じ状況下で同じ様に殺してやったんだっ!それの何が悪い!!?悪いのはこいつ等だっ!!」
 半ば半狂乱状態で吠え、一筋の涙が健人の頬を伝う。
 
 今の彼は、大切な妹を殺された恨みに心を蝕まれ、妹の恨みを晴らす為にならどんな手段も問わない殺人鬼と化している。不安定で、全く関係ない人間にも危害を加え兼ねない。〝復讐〟――それだけが今の彼の原動力。
 
 
  「……妹さんを死に追いやった彼等全員を殺害しないと、貴方の気は納まらないのですね」
 園夫の静かな諭しも、今の中原健人には雑音にしか聞こえない。
  「絵美の恨みを晴らしてやってるんだ!こいつ等さえいなくなれば、絵美は安らかに眠れるんだ……」
 
 
 
  「…………それは貴方の自己満足だ」
 
 
 
 ポツリとそう呟いた園夫を健人はキッと睨み付ける。
  「妹さんが貴方にそう言ったのですか?違う……貴方がそうだと思い込んでいるだけに過ぎません。妹さんの為――そうだ、そう思っているに違いないと自身に言い聞かせて満足してるだけの自己満足です」
  「違うっ!絵美が私の前に現れて言ったんだ!『私を傷付けた人達に罰を与えてほしい』って……だから私は――!」
  「妹さんがそう言ったから……?中畑さん達では足らず、妹さんにも罪を着せて言い逃れするんですか?」
  「!?」
  「そうさせたのは彼等だ、彼等が悪いんだ、妹がそうしてくれと頼んだから……責任転嫁して被害者の顔をする貴方は、全て人のせいにして正義を翳してるいるだけの卑怯者だ」
 
 園夫が一歩踏み出し、健人はナイフを園夫に向け一歩下がる。
 
  「大切な妹さんを失い、悲しいのは分かります。憎む気持ちも分かります……ですがそれは貴方だけではないでしょう。中畑さんも、貴方のご家族も、妹さんの友人達も……口にこそしていないかもしれませんが、同等の気持ちではないのですか?人を殺めれば絵美さんが喜んでくれるとでも?――そんなことありはしない!」
 
 
 園夫の叱責に健人はビクッと震え、ナイフを持つ手の位置が微かに下がる。
 
  「事故だと納得出来ないのなら、こんなことをせずとも方法はあったでしょう?絵美さんの亡くなった経緯を知っているのにそうしなかった……罪を犯してまで訴えることが貴方のすべき事ですか?中畑さんに全ての罪を着せ、益岡さん達の様に生きるのですか?絵美さんの様な人をまた生み出したいのですか?……貴方のしている事は、益岡さん達と同じです」
  「!??」
 自分が何をしているのか気付いたのか、ゆっくりとナイフが下りてゆく。
 
 
 また一歩園夫が健人に近付く。
  「此処が絵美さんにとってどんな場所か、ご存じですか?」
  「?……」
  「大好きな場所であり、‘夢の場所’だそうです。何時か、大切な人に見せたいと語っていたそうですよ」
 園夫の言っている意味が分からず、健人は固まったままだ。
 
 
  「『――此処で兄に綺麗な花嫁姿を見せるのが夢なんだ』と、……そう、此処の神主さんに話していたそうですよ。可愛がってくれた感謝と大切にしてくれたお礼を、桜の満開になる季節に」
 
 
 
 
    ――じゃあ、約束。桜に誓って、お兄ちゃんの前で叶えてあげるからね!
 
 
 
 
 ふと、記憶が蘇る。あれは妹が大学に入った頃、大学に植えられた桜並木で私を振り返って満面の笑みでそう言った。
 
 
  「桜の花言葉には〝純潔〟というのがあります。貴方、絵美さんに『清く、心の美しい最高の姿が見せられたら、兄立ち出来たとみてあげていい』とおっしゃったことがあるそうですね」
  「……清く、心の美しい最高の姿……」
 一筋だけだった涙が瞳から零れ地面に落ちる。頬を伝い、涙で何も見えない。
 
  「妹さんの大好きなこの地を、彼女の愛した人の血で染める様な真似が出来ますか?夢を、汚すことが出来ますか?妹さんを悲しませないで下さい。――‘純潔’なままで、貴方から独り立ちさせてあげて下さい」
  「っぅ……うっ――」
 中畑の首に回った腕から力が抜け、中畑は解放される。カランッとナイフが地面に落ち、健人はゆっくりと膝から崩れ、地面を叩き、両拳の上に額を乗せ泣き崩れた。
  「絵美ぃ……うぅっ……うー……うわあぁあぁぁあぁーっ!!」
 
 
 
 泣き崩れる健人の傍に、穏やかな笑みを浮かべながら背中を摩る女性の姿が視えた気がした。
 
 
 
    ――お兄ちゃん……。
 
 
 そして園夫に視線が向き、にっこりと優しく微笑む。
 
 
    ――ありがとう……。
 
 
 潤んだ瞳のまま、園夫も彼女に微笑み返す。
 
 
        *  *  *  *  *  *
 
 連続凍死殺人の犯人が捕まったとの速報に、号外が街で配られ、ニュースも切り替わってその話題で持ちきりになる。
 神奈川県警察本部で緊急会見が開かれ、多くの報道陣やTV関係者が訪れ、しばらく賑わうことになった。
 
 
 勿論園夫が関わっていることは伏せられ、ほとぼりが冷めた1週間後、園夫は茜と共に佐々原久夫が入院している大学病院にへと足を運んだ。
 
 
 
  「……本当、ご迷惑をかけてしまい申し訳ありません」
 
 
 佐々原の病室に向かっている途中、検査入院で入院していた中畑と遭遇した。少し栄養失調気味だった以外は体に別条問題はなかったらしく、明後日には退院出来るとのことだ。
  「いえ。なんともないのでしたら安心しました。……お仕事の方には復帰出来そうですか?一時とはいえ容疑者として名前が挙がってしまいましたから」
  「はい。今回任された仕事、僕以外に任せる気はないとクライアントの方がおっしゃっていて。締め切りまでの日数は減ってしまいましたけど、僕に任せてくれるそうです。明後日退院しても直ぐに休みない仕事漬けになりそうです」
 
 
 中畑が微笑みながら話す様を見ていて園夫は安心した。彼なら、大丈夫。乗り越えて今のように笑顔を忘れることはないだろう。
 すると急に真剣な面持ちなり、中畑は園夫を真っすぐ見据える。
  「……十文字さん」
  「はい」
  「……今回の、事ですけど…………記事にして頂けませんか?勿論貴方に書いて貰いたいんです。貴方の書いた記事、読みました。ジャーナリストの人がどんな記事を書いているかなんて僕は詳しく知らないですけど、貴方の書いた記事はすっと心に響いてきました」
 園夫の手を両手でしっかりと握り、中畑は続ける。
 
  「貴方の目で見て、感じた事、そうなってしまった経緯をそのまま書いてほしいんです。……僕がまだ絵美の事や健人さんの事を気にしていないって言ったら嘘になりますけど……今回みたいな事、二度と起きてほしくないんです!もう誰も……傷付いてほしくないんです……」
 
 
 
 ――震えが伝わってくる。今回の事件で一番傷付いたのは彼だ。大切な人を亡くしただけでなく、自分のせいで友人達を死なせてしまい人1人を殺人鬼にしてしまった責任を一番感じているだろう。乗り越えようとしてまた躓き、また乗り越える為には彼の勇気が必要だ。その手助けになるなら、彼の望む事実を世に送り出そう。
 その全てを理解した上で彼は前に進みたい、そう口にしてくれた。その気持ちを大事にしたい。
 
 
  「分かりました。貴方の想いも汲み取って、代わって世に言葉を紡ぎ出します」
 園夫の言葉に中畑は深く頭を下げる。
 
 
 
 話の終わりが見えたところで、茜がポケットから何か取り出し中畑に近付き差し出す。
  「これ……須之神神社の階段で拾って……。内側に〝EMI♡SHOHEI〟って掘ってあったから……」
  「……ありがとう。失くしたとばかり思ってた……」
 ピンクゴールドのリングを茜の手から受け取り、中畑は首から下げている袋の中に入れる。
 
  「絵美の形見だよ。このリングを大事に胸に抱いて見つかったんだ……――すみません……」
 溢れそうになる涙を拭う中畑に今度は園夫が何か差し出す。
  「これ……」
  「渡辺さくらさんの部屋から手紙と一緒に見つかったペンダントです。絵美さんの誕生日に貴方が送ったものですよね?これは貴方が持つのに相応しいです。……忘れようとせず、思い出にしなくてもいい、貴方の愛した人は何時でも‘ここ’に居ます」
 
 
 自分の胸に手を当て、中畑の手にペンダントを乗せ握らせる。
 
  「恐れないで下さい。それさえも包み込んでくれるものに必ず出会えますから」
  「…………はい」
 
 
 瞳を潤ませる中畑は大きく頷いて笑顔を見せた。晴れ渡った笑顔は眩しく、前を向き始めた背中を見送って中畑と別れた。
 
 
 
        凍てつく氷悪⑮   終わり