日が傾き始め、夕焼けが近付いてくる。
 
 買い物をする主婦、部活帰りの学生、親子連れ、老若男女が歩き賑やかな通りとは違い、須之神神社周りは静かで人1人歩いていない。歩いていても野良猫ぐらいだ。
 高く聳える木々によって日光が遮られ、まだ暮れていないにも関わらず境内は薄暗く何処か気味が悪い。
 
 
 階段を登り終え、鳥居を潜って境内に足を踏み入れる人影が1つ。
 その人影はイチョウの木にへと迷いなく歩み寄り、しゃがみ込むと根元の土に触れる。
  「…………もう、9ヶ月も経ったんだ。絵美がいなくなって……時間はあっという間に過ぎるけど、僕の心はあの時から止まったままなんだ……」
 くっきりと残る2人で描いた五芒星。今まで消えずに残っていたなんて不思議だ。てっきりもう消えたと思ってたのに……。
  「僕がそっちに行けば、絵美は喜んでくれる……?」
 
 
 返答なんて返ってくるはずもない。それなのに返答が欲しいと思うのは僕の我が儘なのかな……。
 
 手元を見下ろすと、渡された袋と便箋を握り締める自分の手が。
 
 
 
   ――死んでくれ。
 
 
 
 震える手でズボンのポケットから刃渡り10cm程のナイフを取り出す。刃がキラリと光り、怯え今にも泣き出しそうな自分の顔が映る。
  「僕は……」
 
 
 
        *  *  *  *  *  *
 
 道が渋滞し思っていたよりも遅くなってしまった。須之神神社前に車が停まり、園夫が一番に車から飛び出し、その後に鮎川、最後に茜が車を降り階段を駆け上っていく。
  「――はぁ、はぁ……っ!園夫の奴、もういねーし……!!」
 最初の勢いを保って登ることが出来ず、速度を緩め階段を登る鮎川は茜が付いてきていないのに気付いた。足を止め階段の下を見やると、立ち止まって何かを拾って手の平で眺めていた。
  「どうした夏目嬢ちゃん!」
  「あ、いえ!……」
 頭上から降ってきた鮎川の声にポケットに先程拾ったものをしまい、階段を登り始める。
 
 
 
 
 
 
 イチョウの木の下で、中畑は手に持つナイフを首に当てる。頸動脈を切ろうとするが、ナイフを手にしている手自体が震えていて上手く定まらない。目に薄ら涙を浮かべながら唇を噛み締め、両目をキツく閉じ覚悟を決めた――。
 
 
 
 
 
  「――中畑祥平さんっ!!今この場に居るのでしょう!?自ら命を絶つなんて真似はよして下さいっ!!」
 
 
 
 
 境内に男性の声が響く。その声に中畑は呼吸を落ち着かせ、ナイフを下ろす。おそるおそる幹から顔を覗かせると、背の高い黒スーツ姿の男性が1人。そして階段を登って境内に入ってきた灰色のスーツの男性、ポニーテールの少女が黒スーツの男性の傍に駆け寄ってくる。
  「っ!はぁ、はぁ……っ……本当に、居るのか……!?まさかもう手遅れなんてことゴメンだぞ……」
  「させませんよ、そんなこと」
 
 この声――大学の教授室にきたジャーナリストの……。
 
 
 助けて貰える――その気持ちが逸り思わず足が動き砂利が音を立てる。その音に園夫は一点を見つめ、イチョウの木を捉えていた。
 
 
  「…………貴方は、誰ですか……?」
 
 
 幹から姿を見せ、中畑はやっとジャーナリストと顔を合わせる。
 ジャーナリストの十文字という人物は、優しげな笑みを浮かべ微笑んでくれた。その笑顔にどことなく中畑の心は救われた気がした。
 
 
        *  *  *  *  *  *
 
 イチョウの木の影から姿を見せた人物は、怯えながらも園夫達の前に姿を見せる。
 園夫が鮎川にアイコンタクトを送ると、鮎川は頷いて返答する。彼が中畑祥平で間違いないか?――そう鮎川に訊ねたようだ。鮎川が頷いたのを見て、園夫は視線を青年――中畑に戻す。
  「私はジャーナリストの十文字園夫と申します。教授室では顔を合わせませんでしたが、貴方がいらっしゃるのは分かってました」
  「……やっぱり、貴方が昨日教授室を訪ねてきた人だったんですね。…………どうして、僕が此処で自殺をすると、分かったんですか?」
  「元は、佐々原久夫さんのお父様から『息子を襲った暴漢を捜して欲しい』との依頼で動き始めました。辿っていくにつれ、今世間を騒がせている〝連続凍死殺人〟との繋がりを見つけました。……中畑さん。このまま貴方が自殺をすれば、貴方はその事件の犯人になってしまうんですよ。恋人の中原絵美さんを死に追いやった益岡健三さん、金田康介さん、渡辺さくらさん、山口真菜さん、浜崎大毅さんを殺害し、佐々原久夫さんを襲った殺人鬼という名の犯人に」
 
 
 園夫の言葉に中畑は顔面蒼白になる。
 
  「どういうことですか!??僕は誰も殺してなんかない!それに絵美は……」
 爪が食い込む程強く拳を握り締め、顔を上げる。
  「絵美は……事故だって……!!」
  「……ええ。他殺だと証明出来る程の証拠はいくら探したって見つかりません。貴方に5人の命を奪ったという罪を着せ、連続凍死殺人は復讐劇に見せようとした……全ては罪に問われない人達への恨み、世間に真実を知らしめようとした者の行動――」
 
 
 
 そこで言葉を区切り、園夫は拝殿に目を向け声を張る。
  「――立ち聞きなんて真似をせず、姿を見せてはいかがです?連続凍死殺人の真犯人であり、佐々原久夫さんを襲った暴漢――……中原健人さん」 
 
 茜が辺りを見回していると、拝殿の影から人影が出てきた。工科大学のLNG教授室で会った中原健人その人であった。
 
 
  「……断言するからにはちゃんとした証拠があるんですよね?犯人が私だと言えるものが本当にあるのか……教えて貰いたいな」
 あるものなら見せてみろ――無実という絶対的な自信があるようで、強きに構える健人だが、その自信はあっという間に園夫の指摘で崩れる事になる。
  「ありますよ。……貴方の左手とズボンのサイドポケットに」
 腕とズボンを示され、健人の自信に満ちた表情は消え失せ目が泳ぐ。鮎川が階段を登って拝殿前の健人に近付いていく。
 
  「大学の研究棟の地下の作業室で私が左手の包帯について訊ねた時、貴方はこう言いました。『棚の上にあった道具で切ってしまった』と」
  「その通りですからそう言っただけですよ。それがなにか?」
  「左手のその傷、本当に道具で切ったものですか?」
  「だからそうだと言っているだろう!これは落ちてきた〝ナイフ〟で……」
  「ナイフ……?」
 
 
 はっとして健人は口を噤む。墓穴を掘ってしまったと気付いたが遅い。
  「何で傷を負ったか、それははっきりと分かりますよね。浜崎さんに付けられた傷ですから。そして貴方のポケットにはそのナイフがありますね?浜崎さんの右脇腹を刺した凶器でもある」
 拝殿前にいる健人に鮎川は警察手帳を見せる。
  「確認させてもらう」
 何時の間にか片手に白い手袋を付け、身体検査を始め、しばらくしてズボンのサイドポケットで手が何かを捉え止まる。「失礼」と言いつつポケットに手を入れ取り出す。出てきたのは折り畳み式のナイフ。
 
  「地下の作業室の薬品棚の下側に黒い斑点が幾つかありました。勝手に持ち帰ったのはいけないとは思いますが、見つかって隠滅されては困りますから黙っておきました。……調べて頂いたところ、黒い斑点は浜崎さんの血液だと分かりました」
 自身の右脇腹に触れ、続ける。
  「彼の右脇腹には上向きに刺された殺傷痕がありました。つまり、凍死が死因ではなく、刺されたことによる失血死が本当の死因ということになります。……おかしいですよね、発見現場ではなくなぜ作業室から浜崎さんの血液が見つかったのか。必然に現場がそこだと証明したも同然ですね、中原さん」
  「!!……」
  「それと、浜崎さんの右手人差し指と中指に肉片らしきものが残っていたようです。貴方の左手の包帯の下には、切りつけられたかもしくは引っ掻かれた傷があるのではないですか?無実だと自信がおありならDNA鑑定をして証明して下さい」
 
 
 体を震わし、強く唇を噛み締めると共に顔を俯かせる。
  「完璧だったのかもしれませんが、血液が見つかっては問い質されますね」
 スーツのポケットから写真の束を取り出し、扇形に広げ健人に見せる。カレンダーを拡大で写した写真だ。
  「貴方が被害者達と接触していた証拠ならあります。裏付けは警察の方々がとってくれますから時間の問題でしょう」
 
 
 
  「――あぁそうそう。佐々原久夫の病室に忍び込んだところをばっちり収めさせてもらった。点滴に注射器で何か入れたところもちゃんとな」
 
 
 
 鮎川の言葉に健人は動揺して瞳が揺れる。
  「嘘だ……!佐々原は……」
  「殺したつもりでいるみたいだが、病室で寝てたのは人形だ。作り物に見えないぐらいそっくりだっただろ?本人は別の病室で安静にしている」
 苦虫を噛み締めた顔をし、拳が尋常じゃないくらい震える。
 
  「本来なら、佐々原さんはこの神社で6人目の被害者となって凍死した状態で発見される筈でした。そして中畑さんは罪を自白した遺書を残し、自殺して同じく此処で発見され事件は幕を閉じる――そのようなシナリオにするつもりだったのではないですか?貴方の妹さんは事故ではなく計画されて殺されたんだと、その復讐で事故処理した警察の不祥事を世に知らしめることが出来る。だから〝凍死〟という殺害方法をとった……妹さんが凍死してしまった様に彼等にも同じ想いを味合わせ復讐をより一層印象付けようとした、そうですね?凍死させた方法は貴方の研究室、LNGを使えば簡単に出来ます」
 
 扇のようい広げた写真をスーツのポケットにしまい、園夫は続ける。
 
  「NGは“ナチュラルガス”、つまり天然ガスのことを指します。ではLNGとはなにか。――リクェファイドナチュラルガス……リクェファイドというのは“液化”という意味があり、LNGは“液化天然ガス”のことを言います。天然ガスは生産地から消費地までパイプラインか船で運ばれます。船で運ぶ場合、天然ガスを液化して体積を600分の一の液体にして運び、消費地で再びガスに変換されます。液化する際、天然ガスをマイナス160℃にまで冷却する必要があるのですが、人を凍死させるだけの設備が中原さんの身近にはあります。LNG低温研究棟――もしかするろ、そこにも浜崎さんの血液があるかもしれません。調べてもらいますか?」
 
  「くっ……!くそ――」
 
 
 健人は鮎川に掴み掛かり、ナイフを奪うと突き飛ばす。階段を駆け下り、園夫は危険を感じて茜を背後に庇いながら距離をあける。健人は中畑の首に腕を回すと、ナイフの刃を首元に押し付け人質に取る。
 
   「――動くなッ!!こいつを殺して私も死ぬ!それでなにもかも終わりだぁ!!」
 
 
 追い込まれて自棄になったのか、健人は今までに見せたことも無い程醜い悪者の顔をしていた。
 
 
 
 まるで何かに取り憑かれたように――。
 
 
 
        凍てつく氷悪⑭   終わり