中畑の母親の後に続いて家の中に上がる園夫は応接間にへと通された。しばらくするとお茶を乗せたお盆を手にする母親と、後ろには夫らしき人が一緒に応接間にへと入って来た。
「……妻から聞きました。貴方、翔平の無実を証明してくれるんですか……!?」
少し興奮気味の夫を落ち着かせる妻を改めて見ると、少しやつれていて目の下にクマを作っていた。余程体にも精神的にも疲れているとみていいだろう。夫は神経質そうで、少し苛立ち易い人なのだろうと見受けた。
家の中の空気は重苦しくて、長く居られるものではない。
園夫は改めて自己紹介をし、名刺を夫の前に差し出す。そして色々と質問しても大丈夫かと問い、了承を得られたので訊いていく。
「ではまず、翔平さんがお付き合いしていた中原絵美さんという女性をご存じでしょうか」
「ええ。とっても可愛らしい人でした。……まさか旅行先であんな事になるなんて……翔平は絵美さんが亡くなってから抜け殻で、今ようやく仕事に復帰して順調にいっていると、この間電話がありました」
「それは何時頃でしょうか?」
「この間と言っても、もう1ヶ月も前になります。今月は出張の仕事が多くて、連絡も出来なくなるから連絡したと言っていました」
1ヶ月……となると、事件が起こる前ということになりますね。
「少しずつ元の明るいあの子に戻ってきたのに……っ……なのに、なのにこんなっ……!」
妻が顔を覆い嗚咽し泣き始めてしまった。無理もない……自分の息子が殺人犯にされ、犯人じゃないと信じたいがどうしていいか解らなくて辛い想いを抱えてこの1ヶ月を過ごしてきたことだろう。
夫が背中を摩り落ち着かせる。見ているこちらも胸が痛くなる。
「申し訳ありません……お辛い時に不躾な事をお聞きしてしまい……」
「――いいえ!……息子の無実を証明して下さるならその手助けはいくらでもします!」
夫は後ろに一歩下がり深く頭を下げ土下座する。
「お願いします……もう翔平が犯人だとテレビも記事も警察も何もかも決め付けて、私達の願いに目を向けてくれない……。貴方にお願いするしか……どうか……!!」
「必ず息子さんの無実を証明し、真実を記事にして世に公表します。必ず」
その後も幾つか話を聞かせて貰いながら園夫は必ず証明すると強く思った。
園夫の言葉に救われたのか、帰り際に中畑の両親はお互いに涙し2人揃って園夫に深く頭を下げる。例え何があってもと使命感が湧いてくる。両親の願いは息子の無実を証明して欲しい――犯人というレッテルを張られた冤罪を見過ごす訳にはいかない。
園夫は中畑の両親の強い想いを受け取り、家を後にする。
* * * * * *
同時刻、茜は5人の発見現場を見て回り5人目の被害者、浜崎大毅が発見された現場の薄暗い路地裏に居た。昼が近くなってきているというのに入って日差しは少なく、身震いしてしまいそうだ。
「……共通してるものって十文字さん言うてたけど……」
周りを見回し、今の現場も含め5つの現場の情景を思い出しながら共通点を探す。
――〝共通〟したものを見つけて下さい。そしてその場所に行って何があるのかを見て貰いたいのです。
園夫の言った言葉を思い出し〝場所〟と言っていたのがヒントだろうか。場所というからには同じ何かが見え、そこに行けば事件解決に繋がる何かが掴めると園夫は確信しているに違いない。そしてふと風が頬を撫で顔を上げると、新芽が芽吹き出始めている大きな木々の隙間から朱色の鳥居が微かに見える。
(そういえば……他の場所でも微かに鳥居が……)
他の現場を思い返しても角度は違えど鳥居が見えていた。あの神社に何かある――茜は路地裏を抜け微かに見える神社にへと駆けて行く。
* * * * * *
少し道が複雑な為迷ってしまった茜は、交番にいた警察の人に須之神神(すのがみじんじゃ)社近くまで案内してもらった。
「――須之神神社は縁結びで有名な神社。この神社で婚儀を挙げると永遠の愛を誓うものと等しいとされ、カップルの聖地となり夫婦で訪れる人も多く、有名人も足を運ぶ由緒あり歴史古き神社である……」
交番の警察の人に貰ったパンフレットにそう須之神神社が紹介されていたので読み上げる。
境内にへと繋がる石段が見え、その途端石段を足早に掛け下りてくる2人の男性の姿が。その2人に見覚えを感じたが気のせいだと思いながら石段までの距離を詰める。
「――……こんにちは。確か茜ちゃんだったよね?」
そう女性の声が石段上から降り注ぎ茜は顔を上げる。石段を下りてくるその女性を目で追いながら茜は目を瞬かせる。にっこりと笑顔を浮かべて声を掛けてきた女性にこれまた見覚えがあった。
「昨日銀行で会ったの覚えてる?私、川岸優花」
「あ、はい。……」
銀行という単語で見覚えがあったのがはっきりした。目の前の女性――優花とは昨日の東和銀行でも出来事で知り合っていたのだ。思い出した。そういえばまだ自己紹介もしていなかった。
「……申し遅れました、私夏目茜といいます」
と茜は深々とお辞儀をし自己紹介をする。園夫を通してからの紹介はあったが、はっきりとまだしていなかった。
「丁寧にありがとう。……?見た感じ1人みたいだけど……1人?」
茜が1人でこんなところに居るのが不思議に感じたのだろう、辺りを見回し優花は首を傾げる。
「今日は十文字さんとは分かれて調べ物をしてて……」
「そっか」
謎が解け、納得した様子で頷く優花を見て茜は安心した。
そんな安心もつかの間、「おーい嬢ちゃん!どうしたー?」と男性の声が。そしてこちらに近付いてくる気配を感じ茜はオロオロと挙動不審な動きを見せ、最終的に優花の背後に隠れてしまう。
優花が中々来ないのを不思議に思い引き返してきた男性とその後ろに着物姿の青年の姿も見える。優花と一緒にいた男性2人組の事も思い出した。警視庁の刑事の北上と作家風な身成りをした藤堂だ。
北上を見ると昨日の出来事を思い出し体が震えてくる。
「こんなところに居たのか。何やってんだ……って、あ?」
視線がこちらに向き、茜は覘かせた顔を引っ込める。
「ちょっとそこで会いまして。調べ物をしているそうです」
「調べ物?この子1人でか?」
首を傾げながら優花にへと数歩近付いてくる北上の動きに茜は瞬時に優花の背後から離れ、近くにあった木に隠れそっと顔を覗かせ「……は、はい」と小さく返事をする。
「あー……別に責めてる訳じゃねぇよ。逆に心配してんだ。だから、そんなビクビクしなさんな」
「北上さんの顔が怖いからでしょう?間違えても堅気には見えませんよ」
北上の後ろを歩いてこちらに近付いてきていた藤堂がそう水を差す。その言葉に「これは元々だ!!」と藤堂を振り返り牙をむき出して怒る北上を見て優花は呆れるのだった。
いきなりの3人の登場に戸惑う茜だが、本当はあれから北上の体を気に掛けていた。本気でしかも手加減もなしに投げてしまい、パニックを起こした揚句走り去ってしまった。いくらなんでもそれは無礼極まりない行動だ。
謝らないと……だから怖くても此処は勇気を振り絞って言わないと次言える機会はきっとない!
「――あ、あの……!」
藤堂と言い合っていながら茜の声を聞き取った北上は振り返る。藤堂もじっと茜を見つめている。
(今此処で謝っておかんときっと後悔する……!)
肩を震わせながらもギュッと両手を握り自身を奮い立たせ、茜は勇気を振り絞って口を開く。
「こ、この前は初対面だというのに投げて謝りもせずに逃げ出したりして……大変失礼な事をして本当にすみませんでした!あの……お怪我は?何か異常があるなら治療代を……」
茜の言葉に驚きを隠せす呆けている北上だったが、はっとして手を振る。
「あー、そんなもんはいらねぇよ。どこも怪我してねぇし、見ての通りピンピンしてっから心配はいらねぇ。安心してくれ」
浮かない顔の茜だったが、最後に重ねて大丈夫と言う北上の言葉を信じ渋々頷いてみせる。
「でも万が一何かあったら連絡を。えっと……」
鞄からメモ帳を取り出し、名前と住所、それに連絡先を書き少し近付いて千切ったメモ用紙をゆっくりと北上に差し出す。北上は苦笑を浮かべながらもメモ用紙を受け取る。
「変に心配し過ぎだ。……だが、これは有り難く受け取ってく。原因はコイツなんだがな……」
ジロリと恨めしげな視線を藤堂に向け睨む北上だが、向けた先の藤堂は明後日の方向を見ていて全くこちらを気にしていない様子だった。
「おい、聞いてんのかお前は。お前もこの子に謝れ、元凶だろうが」
「……煩いですね。大きな声を出さなくても聞こえています」
わざとらしい大きな溜息を付きおもむろに両耳を押さえる藤堂を見て、北上は更に大きな溜息を付く。
「はぁ……本ッ当に可愛げの欠片もねぇ奴だ」
「それは良かった。北上さんに可愛げを感じ取られるようになったら終わりですよ」
「どういう意味だコラ」
何時ものやりとりをし疲れた様な表情で「……まあ、こういう奴だから出来れば気にしないでやってくれ」と言う。誤解され易いが悪い奴じゃねぇんだ、とも。
2人のやりとりを呆気に取られて眺めていた茜だが、そんなやりとりに微笑ましさを感じクスッと小さく笑みが零れる。
茜の笑顔に和んだその場だが、優花が区切りと判断したのか口を開く。
「――ええっと、そういえば結構長くなっちゃったね。茜ちゃん、これから用事あるんでしょう?」
「あ、はい。ここの神社に少し」
「そうか。それじゃ、引き止めて悪いことしたな」
腕を組んで苦笑する北上に茜は首を振る。
「いえ、会えて良かったです。無礼な真似をして本当にすみませんでした」
顔を伏せてしまう茜を見て北上は笑い掛けてくれる。
「本当気にするなって。んじゃ、俺達は行くな」
「じゃあね、茜ちゃん」
手を振る優花達に茜は小さくだが手を振り返す。去っていく背中を見つめ茜は表情を緩める。
(ええ人達やな、3人とも。やりとりとか見ててもおもろいし)
思い返すと可笑しくなってクスッと笑ってしまう。北上に謝る事も出来てスッキリして楽になった。気分を新たに石段に向かおうと振り返った途端何かにぶつかり鼻を押さえる。顔を上げると、目の前に藤堂が居て見下ろしていた。白い陶器のように白い肌、端整な顔立ちから恐らく何処にいても目立つだろう。
まさか近くに藤堂が居るとは思わず茜は体を硬直させパクパクと金魚みたいに口を動かす。
「ごごご、ご、ごめんなさい!前方不注意で、あの……」
「――イチョウの木の下を見てみろ」
突然の言葉に間抜けな声が出てしまう。
「……すまなかった」
そう言い残すと横を通り抜けてかなり離れた先の北上達の後を追い去って行ってしまう。藤堂を振り返り、茜は藤堂の背を見つめる。読み取りにくかったかもしれないが、茜は解っていた。表情にも声にも申し訳なさが交じっていた。冷たくあしらう様な態度を取る彼だが、それには何か理由があるのだろう。本当は心優しい人なのではと茜はこの時思った。
一瞬髪の毛が白くなった様な気がしたが、軽く目を擦ると黒髪の藤堂に戻っていた。
(気のせいやね)
ちょっとくすぐったいような気持ちを胸に茜は石段を登り境内を目指す。
凍てつく氷悪⑩ 終わり