特大大広間で盛大に開かれた紅葉達を迎える宴会はお開きになり、迎えた夜がより一層静かな夜となった。
そんな夜、紅葉は羅沙度に呼ばれ〝蓮の間〟を訪れた。
蓮の間は欽聖堂の天守閣にある羅沙度の部屋で、常に傍にくっついている木理羅はおらず、紅葉と羅沙度の二人きりだ。
キョロキョロと部屋の中を見回す紅葉は座布団の上に胡坐を掻いて座っており、羅沙度は天井まである大きな桐棚から一つの冊子を取り出す。
「へぇ~……何か落ち着いた部屋だね。書物が沢山あって、綺麗な着物が飾ってあって……小物も身の回りの物も高価そうなもんばっか」
「書物は全部で五千冊ぐらいでしょうか。多くは歴史書や国に関するものばかりで、統治に立つ者には欠かせないものばかりです。それ以外のも含めると、一万五千冊にはなると思いますよ。修復中のもありますから、まだまだ増えると思います」
紅葉の真正面に腰を下ろし、羅沙度が桐棚から取り出した書物はすぅっと畳を滑り紅葉の前へ。その書物には〝陽社生誕秘話〟と書かれた分厚い書物だった。手に取ってまじまじと見つめる紅葉は首を傾げる。
「陽社は神国の原点なんです。大切な部分は皆幼い頃から学び舎で学ぶのですが、貴女はその辺りが疎いようなのでまずはそこからですね」
分厚い書物の見開きを開き、適当にペラペラと捲って中を見開く。
「…………」
「読めそうですか?」
「一応絹から読み書きは教えてもらってるから……大丈夫、だと、思う……」
「ふふっ。もし分からないところがあったら海友にお尋ねしてみては?彼は知識豊富で博識ですよ。絹さんと張り合えるのではないかと」
海友は確か眼鏡を掛けた人だった。賢そうな人だと第一印象で思ったが、それは確かなようだ。絹も知識豊富で負けていないと思うが……。
その時、ふと思った。
「……海友は草子文字読めるの?」
何気なく質問したつもりなのだが、羅沙度の顔から微笑みが消え、真剣な面持ちで見つめ返してきた。
「残念ですが、知識豊かな海友でも草子文字は読めません」
「どうして?絹も佳直も読めないって云ってたし。私が読めるのに……」
書物をペラペラと捲りながらそう口にし、顔を上げるといつの間にか羅沙度の顔が目の前にあった。驚きを通り越し声を上げることも忘れ、紅葉は目を瞬かせながら羅沙度の瞳を見つめ返すことしか出来なかった。
「……あ、あのー……」
「……やはり、天集間での事は幻ではないのですね。貴女は永力を宿した方……青葉を含め二人目の継承者。青葉も貴女と同じ紅い瞳をしていました」
「紅い、瞳……」
――〝紅い瞳〟が指すものは、奪い合われる血の象徴、身を滅ぼす死の象徴――そして全てを掌握出来る力の象徴だよ。
海が云い放った言葉を思い出し、紅葉は羅沙度に訊いてみようと話すことを決めた。
「……襲撃の首謀者に連れて行かれた先で、そいつが云ってた。『紅い瞳が指すものは奪い合われる血の象徴、身を亡ぼす死の象徴、そして全てを掌握出来る力の象徴だ』って」
羅沙度は瞬きをし、小首を傾げる。
「仮説にすぎないとは云ってたけど、その人そう確信してるみたいに云ってた」
「他には何か?」
問い返されるが、紅葉は首を振る。羅沙度は溜息を付きながら紅葉から離れ、座布団の上に座り直す。
「……過去を振り返っても、永力を授かったのは青葉だけです。そして貴女で二人目……青葉も貴女も紅い瞳、永力を授かった者が必ずしも〝紅い瞳〟であると断定するには早いと思いますが。それに、青葉が生まれた当初は誰も紅い瞳なんて見た事がないと〝鬼の子〟なのではと云われていたそうです」
羅沙度は天井を仰ぎ、続ける。
「それに加え、誰とも違う強力な力に周りは青葉を恐れ、隔離していたと記されています」
隔離――その言葉に紅葉は立ち上がる。
「隔離って……どうして?」
「今では青葉は世を救った救世主のように崇められていますが、それは時代が過ぎてからのこと。当時は彼女を厄介者や鬼呼ばわりしていたようです。周りと余りにも違い過ぎて受け入れられなったのです」
与世地聖を救った人で、崇められる程だから皆が慕っていたんだとばかり思っていたが……まさか隔離されて厄介者呼ばわりなんて――。
「……話が逸れましたね。草子文字についてお話していたのに」
苦笑を浮かべて話題を修正する羅沙度だが、紅葉は浮かない顔で黙り込んでしまった。そんな紅葉に那与裏が話し掛けてきた。
――主。一度に色々なことを知ろうとなさらなくとも良いのです。これから知ってゆけば良いのです。
(……そうだね。海に云われたのもあって変に知りたがりになってたかもしれない)
――あの海という輩の云ったことですが、大紀美とのお話が終わった後、妾と部屋でゆるりと話しませんか?
(いいの?)
――勿論でございます。
那与裏とそう約束し、羅沙度との話に気を戻した紅葉であった。
* * * * * *
部屋に戻り、紅葉は布団を敷き上に倒れ込む。
「はぁ~……布団が気持ちいい~……」
このまま眠れてしまいそうだが、仰向きに寝転がり、天井を見据えた。
「……草子文字は三神力の人達だけが読める、か……」
羅沙度に草子文字について訊ねると、余り難しく考える必要はなかったと思い知らされた。知識豊かな絹でも読めないからてっきり、そんな難解文字を使って書かれているのかと思えばそうでもなかった。
草子文字は三神力を授かったものだけが扱える特別な文字らしい。どうやってその文字を扱えるようになるのかその過程は不明だが、おそらくそれぞれの三神力が関係しているのだろうという見解が出ているという。昔の書物に草子文字で書かれたものも多いらしく、知る事の出来ない歴史も知識も宝のように眠っていて、解読は殆ど進んでいない。
「……?そういえば絹はなんで古文書持ってたんだろ……――あ、美里亜って人の私物かなんかか」
私が『見たい見たい』とせがんだから、隠すのを諦めてくれた。私が持ってるのは殆ど符術に関しての書物ばかりだ。昔使われていた〝古代符術〟が記された書物を美里亜は熟読していたのだろう。
「だから今の符術も古代符術も使いこなせて、絹が神国随一の符術士には美里亜が相応しいって云ってたのか……」
――神力は符術に長けた力ですから。当然にございます。
頭の中で那与裏の声が響く。
――阿音鷹が符術に、真夜達が体術に長けているのは力の性質が違うからです。主達選人と呼ばれている中にも符術が得意な者、体術が得意な者とがおいででしょう?
(それはそうだけど……性質って力の変化がってこと?)
寝転がる紅葉に歩緒が寄ってきて、肩口で丸くなる。
――はい。簡単に申せば、符術は身体の外で、体術は体内で変化が起こります。自身の能力を変化させる際、宿した人間の得意分野に左右されるのです。
(てことは、美里亜って人は符術の扱いに秀でてるからそれに阿音鷹が引かれたってこと?)
――そうですね。その中で最も優れた人間に引かれて主人を選ぶということです。妾の場合は元から決まっているので、自身で選ぶなどということは致しません。……世界の行く末を透視し、人間達に戒める時期が訪れた時に妾が宿るべき主が生まれ、そして宿る……それだけなのです。
少し哀しげな云い方に聞こえ、問い返そうと思ったが止め、違う話を振る。
(……海が云ってたことだけど、あれって本当なの?)
――紅い瞳が指すもの、ですね。
さっきの哀しさはなく、何時もの凛とした声が返ってきて紅葉は少し安心した。
――確かに、強ち間違ってはいないと思いますが、取って付けた様な言い回しです。それに妾が主と対面した時口にしたと思います。――主との繋がりの証だと。
初めて那与裏と対面したのは、死んだ時だ。三途の川を渡る手前――ある門前で那与裏は私を引き止める為に待っていた。対面する為にわざと死なせたこと、そして顔を合わせた時に微笑み口にした"繋がりの証"。那与裏はそう口にした。
――妾と対面した時、主も見られたことでしょう。妾の紅い瞳を。
(うん。私と同じだった)
――瞳が紅いのは源粒自体が紅いからにございます。妾は源粒から生まれし者……紅い粒子にそれらを包む白き風……妾の白髪と紅い瞳は源粒から生まれたことを象徴するのです。ですから、あの海という者の仮説は只の戯言にございます。そもそも瞳が紅いだけで全てあの様に決め付けられるのは癪です。
妾が主に宿っているという確かな繋がり、それが〝紅い瞳〟なのです。ですから"繋がりの証"と申したのでございますよ。
何故か誇らしげに胸を張った様に云う那与裏に少し可笑しくなり、紅葉はクスクスと笑う。それと同時に安心感が身体を軽くしてくれた。
自身の身体に宿る力と会話するというのも可笑しな話だが、こうやって話していれば永力の事を、那与裏の事をもっと知れるような気がしてこれからが楽しみになってくる。
(これから知っていけばいいんだ)
何も知らず人間界に居た頃とは違う。これから与世地聖の中に眠る全ての事柄と出会い、触れ、知っていくんだ。自分の目で耳で肌で心で、感じて知っていけば見えてくる筈だ。力を通して世界を知り自分がどうしたいのか見えてくる。
――自分がどう生きたいのか。
(……那与裏、これから宜しくね!)
――!?……勿体無いお言葉でございます……。
これからの日々に思いを馳せながら、紅葉は眠りに付いた。那与裏の啜り泣きに頬を緩ませながら――。
* * * * * *
羅沙度は七師長、戦闘・護衛士総隊長に召集を掛け、天集間で皆を待っていた。傍の蝋燭の明りだけでぼんやりと照らされた広い部屋で目を閉じ一人瞑想をしている。ぼんやりと浮かぶ羅沙度の顔には決意が滲んでいた。
「――召集に従い、七師長、戦闘・護衛士総隊長共々集いました」
部屋に九つの蝋燭が灯る。七師長と舘野伊、そして護衛士総隊長である泉揚羽(いずみ あげは)九名の顔ぶれが天集間に集まり、瞑想を止め羅沙度がゆっくりと目を開ける。
「夜遅くに召集を掛けてしまい申し訳ありません。どうしても早急に貴方達に伝えておきたかったもので」
「いえ。何事にも対処できる体勢は常に整えていますから」
第一師長の蘭が顔色変える事無く無表情で答える。
「ん~……眠いぃー……」
第六師長の梨世がしょんぼりする目を擦り、身体を左右にふらふら揺らしている。その姿を見て蘭の表情に影が差す。
「……梨世。貴女まだ寝ぼけているの?なんなら……」
すぅっと出て来た蘭の手にキランッと光る刃物が。そしてニッコリと笑う。
「これで目を覚ましてあげるわよ」
「おおおぉおお起きますっ!目が覚めましたっ!」
「そう。ならいいのよ」
『…………』
「――紅葉の事か?」
舘野伊の声がその場に緊張を生む。皆の顔付きが変わり羅沙度は目を伏せる。
「今日の敵襲の目的は紅葉だった。首謀者と思しきあいつの目的は分からずだが……少なくとも紅葉を全く知らない人間じゃねーのは確かだ。鏡國の丘は入る人間を選ぶ。強い霊気に中てられず己を保つ事に加えいくら優れた奴だからって入れる保障はねー。
……おそらく紅葉が永力を覚醒させたことも知ってたんじゃねーのか?だからそれを確認する為に態々襲撃なんて真似までしてあいつを鏡國の丘に連れて行った……此処に帰郷する以前、紅葉達に接触してたんじゃねーのかよ、大紀美。帰郷前に絹から文が届いてたな。そういう事は書いてねかったのか?」
舘野伊や揚羽、七師長の視線に羅沙度は目を伏せたまま静かに口を開く。
「……舘野伊総隊長は鋭いですね。紅葉さん達が帰郷する前の人間界で、海という謎の人物と紅葉さんが接触したようです。その者が行き先に仕掛けをしていたり、何か企みを持って紅葉さんに近付いてきていたのは間違いないようです。」
「では、我々が鏡國の丘に赴いた際見たあの人物は海という者ということですか」
「そう思って良いかと。単独行動を取っているようですから、悪国との繋がりがないと断言は出来ませんが……」
「じゃあ、あの土偶人形と多種混合の生体はどう説明するつもりなのさ」
羅沙度と海友の会話に揚羽が割り込む。煙を吐き、煙管を動かしながら羅沙度に目を向ける。
「土偶人形は悪国独自で生み出した符術で動く土人形さ。多種混合の生体は人の代わりになる戦力を研究し続ける生体実験の生りの果て……百年程前から悪国がやり始めてるらしいじゃないか。襲撃に来たのは殆んどがそればっかり、全く無いとは云えないんじゃないのかい?」
「そうだね。欽聖堂に現れた黒い油纏った化け物もその類かもしれないし……単独にしては派手だし、見せかけかもしれないよ」
「見張り台から見てたが、いくら殺ってもキリがなかった。あれだけの数を個人だけで寄越すのは無理だと思うがな」
揚羽の発言に梨世も頷き、同意を示す。紅蓮も顎に手を添え思考しながら意見を云う。
「……鏡國の丘で見た人物……人とは少し違う……」
「?……違うって、人じゃないっていうろ?どう見ても人間にしか見えなかったぞ」
月襲の呟きに河心が問い返すが、月襲から返ってきた言葉は曖昧だった。
「……全くの人でない訳じゃない。だが、人と称するには厄介で、ややこしい構造をしているというのか……」
「……月襲がはっきりと云えない様な何かが、その海とかいう人物。見たのは一瞬だったが、反応はぼやけて……濁水みたいだったな」
「はっきりさせない反応……まるで不安定っといったところね」
七師長や総隊長達が言葉を交わし合う中、羅沙度が声を張る。
「――その海という人物に関しては、今後警戒するに越したことはないと思われます。今回のように再び単独行動を起こし、紅葉さんを狙いに踏み込んで来るやもしれませんから」
云い終えると、衣擦れの音が聞こえ薄暗い天集間の障子戸が開かれ、月明かりが差し込む。羅沙度が開けたようだ。
「美里亜さんの生死も不明の中の永力の出現、天の星又滝が現れた時点で今より一層戦火が激しさを増すことは目に見えたことです。……下手をすれば三千年前の様に再び世界が崩壊します。若き人の命で繋がれた未来に二の舞を起こすのは先祖である青葉に顔向け出来ません――」
羅沙度は強い意志の宿った揺るぎない瞳を七師長や総隊長達に向ける。
「ですから貴方方に手助けを願いたいのです。神国だけでなく世界を新たな姿にし、皆が助け合って生きていける世の中を私と一緒に創り上げて欲しいのです!その為には今、与世地聖で何が起こっているのか把握し理解しなくてはいけません。――紅葉さんが私達の仲間で、家族であることを認知して貰いたいのです!
……誓って下さい、何があっても紅葉さんを見捨てないと!!……彼女が青葉の二の舞に命を犠牲にしようなどとしないように私達も彼女が背負おうとする運命を分かち合いませんか?一人で救えるものなどないのですから」
――『神力や聖力は穢れの浄化の為に先手を切る役目を担っており、妾は穢れを根本から浄化させ星自体を清める役目を負っておるのじゃ。……つまり、永力を宿す者が生まれた時、それは世の終わりを知らしめる』――。
人間界で永力を覚醒させた紅葉が那与裏の人格で絹達に云い放った言葉。絹の文にそう綴られ、紅葉が背負う重荷は一人で背負うには強大過ぎる。今のままの状態が続けば三千年前の二の舞になるのは間違いない。そして次に永力を宿す者の運命は変わらずで、繰り返していくのだろう。
人一人の命で生き長らえながら、星が示す危険信号を無視し続ける――それで何処まで人類が生きられるか。
――……世を見回して見よ。お主達人が、長年堆積してきた穢れは後の人間が背負う。三千年前、青葉の命で生き長らえた世は再び穢れを堆積し世に溢れ出てくる。それを人一人の命で浄化出来るならそれで良いと……?よもやそこまで人は堕ちたか……なんと醜い……!
嫌悪の表情で、殺気立つ瞳でそう那与裏が吐き捨てたことも、綴られていた。言葉を目にするだけでどれだけ人を毛嫌いしているのかがよく分かる。きっと人が生まれる前から世界を見てきたのだろう。人が生まれ、そして青葉に宿り世界に降り注ぐ危機を示唆しに来たというのに……青葉が命と引き換えに繋げた世界でまるで夢物語のだったかの様に出来事を忘れ、生きて行く人々の姿に絶望したのだろう。主以外は大嫌いだと云っていたのはそういう意味だと受け取れる。
人一人の命で自分達が生き長らえても、変わらずに生きていては命を代償とした者になんと顔向けできよう。歴史は繰り返されるというが、だからといって何もしないで来る時を待っているわけにもいかない。
羅沙度は決意新たに皆にもう一度語り掛ける。
「……最早一人の問題ではないのです。与世地聖に生きる人全てに課せられる荷なのです。三神力だからとその者だけに転嫁するなど、私はしたくありません!」
「――誰も嫌だとは一言も云ってねーだろ?」
舘野伊がにっと口角を上げて口にする。舘野伊の言葉に皆頷き、羅沙度を見据える。
「俺は紅葉の兄貴になった。妹だけに任せて胡坐掻く兄貴が何処にいるってんだ。……無知で赤子みてーなあいつに、いざとなったら国の為だ世界の為に死ねとか云うつもりなら――俺は大紀美だろうと容赦しねー」
鋭い眼光を放ち、舘野伊は立ち上がる。
「選人である以上、目を背けられるわけねーしな。一気にとはいかなくとも、きっかけになって変えていけるなら良い兆しだろうさ。"国"の為でも"世界"の為でもねー……紅葉の為にやる。永力に人もすてたもんじゃねーって示すべきだろ」
舘野伊の言葉に皆頬を緩める。羅沙度は込み上げてくる熱いものを抑えながら、皆に頭を下げた。
九章 ~ 海の意図 ~ 終わり