海が消え去り、皆が武器を下げたと同時に舘野伊は一歩前に出て紅葉に声を掛けてきた。
 

  「何もされてねーな?」

  「うん。此処に連れて来られただけだから。な、歩緒」


 歩緒と呼ばれた虎狐の子供が甘えた声で鳴きながら紅葉の頬に摩り付く。紅葉によく懐いているようだ。
 
 
 微笑ましい光景に表情を緩ませた時だった。歩緒を撫でる紅葉の背後に上から黒い影が下りてくる。
 紅葉が振り返ると、その黒い影が何かを差し出してくる。ライオンのたてがみみたいなふさふさした毛、木の枝に巻き付いている長い尾っぽ、そして円らな瞳。一番の特徴は青いお尻だ。
  「あれって……」
  「青猿ですね。伸びる尾が特徴で、群れで崖に住処をつくる臆病な哺乳類といわれています」
 梨世の呟きに海友がすぐさま説明をする。どうやら一匹だけのようで、紅葉に葉っぱの包みを差し出し受け取って欲しいと云っているのか「ホッホキャー、キャー」と甲高い鳴き声を上げる。
 
 紅葉が「ありがとう」と包みを受け取ると、一瞬にして尾っぽが縮み、枝を伝って森の中に消えていった。
 
 
 
  「――それより早く森から出てこっちに来い馬鹿が。いつまでそこに突っ立ってんだよ!」
 
 
 
 師長達の壁を縫って姿を見せた佳直が腕組みをしながら前に出てきた。相変わらずの馬鹿呼ばわりに紅葉はムッとした表情を見せる。
  「なによその云い方!海に沈するよ?この魚人!」

 佳直の思いやりのない言葉に怒りながら紅葉が森から出てくると、佳直も一歩ずつ歩を進めて近付いて行く。
  「まだ云ってんのか?俺は人間だ、いい加減分かれタコ」
  「誰がタコだって!?――」
 紅葉の目の前に来ると顔を近付けてきて小声で、『念話に集中しろよ』と呟く。睨み合って云い合わせる為に喧嘩を売ってきたというのだろうか
 
 口では云い合っている素振りを続けるも、器用に念話でも言葉を送ってくる。
 
 

  《これから欽聖堂に戻るが、直ぐに大紀美に呼ばれるぜ。お前が思ってる程この先楽しくないのは確実だ。大変かもしれねぇけど……何かあったら力になってやる》
 

 
 そう念話が頭に響くと、一瞬佳直の表情が和らぎ微笑を浮かべた。だが直ぐに不機嫌な顔に戻って顔を離す。
  「……次は気を抜くなよ。じゃねぇとお前あの世行きだぜ?」
  「……分かってるよ!学習能力ぐらいありますよーだ!」
 べーっと舌を出すとピクリと佳直の片眉が跳ねる。
 
 
  「ほんっとお前可愛くねぇな。まあ猿女には丁度良いぐらいか」
 そうは云いつつも、佳直は口元に笑みを称えていた。

 お返しに腕を叩くと頭を掴まれて押さえ付けられる。そんな紅葉と佳直の間に舘野伊が割り入ってくる。
 
 
  「はいはい、じゃれ合いなら後にしてくれ」

  「じゃ、じゃれ合ってなんかいませんよ!誰がこんな猿女なんかと……」

 ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、舘野伊はジロジロと佳直を眺める。

  「な、なんですか……!」

  「んや別に。……とにかく、欽聖堂に戻るぞ」
 
 
 舘野伊にも頭をぐりぐりと押さえ付けられ、紅葉が頬を膨らませて舘野伊を睨み付けると優しく撫でられ踵を返して行った。そんな舘野伊に佳直はふんと鼻を鳴らすのだった。


 一瞬にして皆の姿が消え、鏡國の丘を包み隠す様に荒地に砂煙が巻き起こる。

 砂煙に撒かれる最中、紅い眼と流れる様な長い純白の尾の狐のなりをした大きな動物が現れる。先程まで紅葉が立っていた場所辺りの匂いを嗅ぎ、遠吠えを上げる。
 
 
        *  *  *  *  *  *
 
 欽聖堂に戻った舘野伊や紅葉を始め、師長や隊長・副隊長等の戻りを羅沙度と木理羅が欽聖堂の前で出迎えた。
 
  「負傷者の治癒は終わっております。見回りも終わり皆欽聖堂に戻っています」

  「そうか。じゃ待機体勢を解いて休ませても大丈夫だな。もう襲ってくることはねぇだろ」

  「そうですね。……皆さん、ご無事でなによりです。紅葉さんも」

 羅沙度は紅葉の顔を見て微笑む。
 そんな羅沙度とは打って変わって木理羅は不機嫌そうだ。何か云いたげだが何も云わずに欽聖堂の中に一人消えていく。木理羅と入れ替わる様に絹や泰志達が駆けて欽聖堂の中から飛び出してくる。
 
 
 
  「――紅葉っ!」
 
 
 
 絹が誰よりも早く紅葉の元に駆け寄って来て、怪我がないか腕を掴んで足先から頭の天辺まで確認する。
  「何処も怪我してないわね?何か違和感があるとかは?直ぐにでも身体休めて安静に……!」
  「おいおいちょっと待てって、絹。そこまで心配する成りしてるか?ピンピンしてんだろ」
  「そんなの分からないでしょう?紅葉は何かあっても何も無いって嘘つく時あるんだから。お節介って云われるぐらいが丁度いいのよ!」
 反論してくる絹にやれやれと舘野伊は呆れて溜息を付く。
 
 
 
 
 欽聖堂の中に消えて行った木理羅は影に隠れ壁に凭れていた。床の木目を見つめる目は冷たく、別人みたいな空気を醸し出している。
  「……これでもう此処にいる期間は終わり。後は機会を見て戻れば……」
 キュッと服を掴み、影から顔を覘かせ皆に囲まれている紅葉を見つめる。
  「…………」
 直ぐに視線を外すが、冷たい目に哀しみが滲んでいた気がした。何かを呟き、角を曲がって薄暗い中に歩を進め、寂しそうな背中が薄暗い闇に包まれ消えていく。
 
 
        *  *  *  *  *  *
 
 その晩、紅葉や絹の帰郷・新しい仲間を迎える為に宴会が開かれた。ぞろぞろと料理が特大大広間に運び込まれ、お酒も樽で持ち込まれ何個も開いて空になっている。そんな中、特大大広間を抜け出る紅葉と絹の姿が。
 
 二人は庭園にへと降り、砂利の音が響く。
 
 

  「話ってなに?」
 
 手に持つ串肉を歩緒の食べ易い様に千切って食べさせながら紅葉が絹に訊ねる。絹は顔を俯かせたまま口を開く。
  「…………家族の事、黙ってて悪かったなと思って……黙っててごめんなさい」
  「え?」
 絹の口から謝罪の言葉が出てくると思わず、紅葉が鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。そんな反応を見せた紅葉に絹は訝しげに首を傾げる。
 
  「えって……貴女それだけなの?もっと怒るとか何かあるでしょう」
  「いや、怒るっていったって怒る理由もないし……こっちがえ?なんだけど……」

 紅葉は苦笑していた。絹は予想外な反応に紅葉以上に困惑した面持ちでいる。
 
 
  「……貴女と一緒に人間界で十年暮らした。探している人が居るとは云ったけど、時にいなくなってたのだって本当は家族に会いに戻ってたからで……紅葉には何も話さないでずっと黙ってたのよ?」

 何も訊かれなかったから話さなかったというのもある。だけれど、自分の事は何も話さないで修行や勉学を教えるだけで十年間過ごし、何を思って教えてくれていたのか?とか赤の他人をどうしてそこまで心配するの?とか……疑問に思う箇所は幾らでもあった筈だ。それなのに紅葉は一つも訊ねてこないで、教えると嬉しそうに笑顔を向けてお礼を云う。

  「どうして人間界に一緒に留まってたのかとか、私に訊きたいこと幾らでもあったでしょ?それなのにどうして何も訊かないの?家族が居たこと黙ってた事だって貴女何も責めもしないじゃない!どうして……!」
 串肉を歩緒に食べさせ終わり、紅葉はふっと柔らかな笑みを浮かべる。
  「なんで何も云わなかったからって責められる事想定してるの?私別に絹が何も話してくれなかったこと事態に元から怒ってもないのに……」

 紅葉が苦笑して腕組みをする。

  「……そりゃあ、絹の云うように訊いた方がいいこと沢山あったかもしれないよ。一緒に住んでくれたこととか、修行や勉学付けてくれたこととか、探してる人がいるのに私の傍にいたのかとか、家族がいるのになんで黙ってたとか」
  「だったらどうして……!」
  「だってさ、訊いたところでどうにかなるの?寧ろ私のこと放っておくことも出来たのにそうしなかったのはなんで?ってこっちが訊きたいくらいなんだけど?」

 微笑を浮かべて首を傾げる紅葉の顔を見れなくなり、絹は顔を逸らす。
 素性も話さない人を信用してこの世界に連れて来られたと云われてもおかしくはない。だが、紅葉は自分があの世界の人間だと思っていなかった。だからと云って帰郷しても大丈夫な時期になるまで一緒に居る必要もなかたのではと、絹は今更ながら思った。

 黙ったままの絹に嘆息し、紅葉は首を振る。そして微笑みを称えながら口を開いた。
  「……放っておけなかったから、だよね?私に修行付けて勉学教えてくれたのも、家族が居るのに……探したい人がいるのに放っておけなかったのはさ。それに与世地聖に戻れるようになるまでって云ったのも、私の為だったんでしょ?」
  「…………」
  「絹の探してる人って、私に似てるんでしょ」
  「!?」
 「やっぱり……」と紅葉は息を付く。

  「絹がたまにすっごく泣きそうな、でも嬉しそうで懐かしげな顔して私のこと見てたから。だから余計に放っておけなくて傍に居たんだろうなーって思ってたんだよね。その人と姿重ねられてたのはちょっと複雑だけど……それに、その人だと思われながら世話焼かれたてたのかなーって思うと悲しかったかな……」
  「ち、違うわ!それは……確かに紅葉は美里亜に似てるけれど貴女は美里亜じゃない!お人好しで表裏がなくて、男勝りで間が抜けてて、だけど真っ直ぐで優しくて……会ったのは偶然だけれど、あのまま貴女をあそこに残しておくのは嫌で……」



  「……それで十分だよ」



 穏やかな声に伏せた顔を上げると、無邪気に笑う紅葉の顔があった。
  「絹が美里亜って人と私をちゃんと別に考えて、見てくれてるって事が分かればそれで十分だよ。……話したくない事だってある。訊かれたくない事だってある。そういう重要な事は、絹が話したくなった時に聞かせてくれればよくて、その時まで私からは聞かない。話す準備が出来たら話してくれるって信じてるし!
  私にとって絹は親も同然だし、師匠でもある。これからもそれは変わらないから、これからも宜しく!絹!」

 差し出された手に絹は一瞬躊躇うも、紅葉の手をしっかりと握り返し握手を交わす。すると紅葉が肩を震わせて笑い始め、絹は目を瞬かせる。

  「っ、ご、ごめん……!……なんでもそつなくこなせて、物知りで、完璧そうに見えて案外怖がりなんだと思って。「嫌われたらどうしよう」とかそういう意味での怖がり、ね。難しく考え過ぎなんだよ絹は!」

 そう云うと、絹は眉間に皺を寄せて今にも泣き出しそうな顔をした。だけれど嬉しそうでほっとした様な顔にも見えた。


        *  *  *  *  *  *
 
 その後、直ぐに特大大広間に戻らずしばらく二人は話し込んでいた。楽しそうにしている紅葉と絹を仲間達が特大大広間の障子戸を開け、顔を覘かせ眺めていた。

  「……変わりないようだな」

  「みたいだな」

 冶无樹の後に泰志が笑って答える。
 
  「あの人難しく考え過ぎなんだよ。家族の事黙ってたからって今までの何が変わるっていうのか」

  「そう云うでない。……杞憂で終わって良かったではないか」

 些羽の発言を諫める東鴻の背後から真夜がひょっこりと顔を覘かせる。

  「良かった。絹さん、家族の事紅葉さんにどう声掛けたらって気にしてたから……」
 
 
 
  「かひきたいろぅ!!お待ちくらしゃれー!!」
 
 
 
 折角の和やかな雰囲気に呂律の回らない声が水を差す。
 泰志達が後ろを振り返ると、拓馬に追われる佳直が走ってこっちに向かって来ていた。慌てて左右に避けて二人を交わすと、佳直は勢い良く外に飛び出し庭園に下り必死に逃げる。

  「お前は酒癖悪ぃから飲むなっつっただろうがっ!標的見つけては追い掛ける闘牛みてぇな癖直せ阿呆がっ!!」
  「ないをおっひゃいまふか!この拓馬、酔ってなどおいまへんよ~!」
  「どう見ても酔ってるだろうがっ!!――あ~鬱陶しい!誰かこいつ寝かせてくれっ!!」
 
 

   ――ドゴォーン!!

 
 
 佳直が叫んだ途端、後ろでもの凄い音が聞こえてきた。振り返ると、拓馬の顔が地面に埋まっていて、傍には紅葉が間抜けな体勢の拓馬をつついていた。

  「うん、寝てる寝てる!これでいい?佳直」
  「お前乱暴な寝かせ方するな……まあ助かったからいいが」
 
  《いいのかそれで!?》 ←仲間達の心の声
 
 
 
  「――何騒いでやがる!騒ぐなら中で騒げ!」
 
 
 
 特大大広間から舘野伊が姿を見せる。
  「?……なんだまた拓馬か。飲むなっつったのに飲みやがって――……何で顔埋まってんだよ」
 地面に顔を埋めてお尻を突き出している格好の拓馬に気付き、舘野伊がその場の誰かに答えを求める。佳直が紅葉を指差し答えを示す。

  「あ、敦兄!……寝かせてくれって佳直が云ったから、殴って地面に埋めた!だけど気を失ってるるだけだし、問題なし!」
 
 紅葉らしい行動に仲間達は苦笑をそれぞれ浮かべ、絹は頭を抱える。舘野伊はふっと笑い大笑いする。
  「……ははっ、これから賑やかになりそうだぜ」
 紅葉に中に戻れと顎で示し、踵を返す。
 
 
  「お前等を歓迎しての宴だ。存分に騒ぎ倒せ!今日は無礼講なんだからな!」

  「おう!――ほら絹、皆!中戻って祭りの続き!騒げ騒げー!ははっ♪」

 舘野伊の後に付いて駆け戻る紅葉に皆も続き、佳直も目を回す拓馬を担ぎ特大大広間に戻って障子戸を閉める。
 
 
 
 
 楽器の音に合わせて皆が躍る。敷居の高いところに座る羅沙度も楽しそうに手拍子を打ち、笑顔を弾かせている。それに引き換え、隣に座る木理羅は浮かない顔をして座っていて、そんな木理羅の前に人影が立ちはだかり視界が薄暗くなる。顔を上げると紅葉がニッと笑って手を掴んでくる。

  「ほら!木理羅も混ざろ!歌って踊れーぃっ!!」
  「ちょっ!?」

 踊る皆の輪の中に連れ込まれ、演奏が終わると紅葉が拳を突き上げ声を張る。
 

  「――よーしっ!!もう一回!!準備はいいかー?」

  『おうっっ!!』

 何時の間にか紅葉が中心となり、場の盛り上がりが最高潮に達し笑顔があちこちで弾ける。そんな中、木理羅は呆然と紅葉を見つめていた。
 
 
 自然と打ち解け直ぐに仲良くなる人は必ずいる、だが直ぐに中心になって皆を引っ張れるものだろうか。目の前で踊って歌って笑っている紅葉は不思議と人の心を容易く変えてしまう。何も知らない非常識なところもあるが、スレてなくて純粋で正直な男勝り、変わった一部を除けば何処にでもいる元気で明るい少女というだけなのに、彼女の何がそうしてしまうのだろうか。
 
 私の生まれたあの地も、紅葉が居れば何か違っていただろうか。もっと早くに出会えていれば、一緒に笑い合えていただろうか。
 でももう遅い――私は罪に手を染めてしまった。だから紅葉に助けを求めることも友達になる資格もない。彼女はこんな人間と居てはいけない。
 
 
 
 無邪気な笑顔を向けられ一瞬泣きたくなった。だがどうにか堪えて一緒になって踊って歌い始める。今はもう考えないようにしよう。
 
 
 
 仲間を裏切って売ったも同然な自身の罪なら――後で悔やめばいい。
 
 だから今だけはまだ〝仲間〟でいたい。
 
 
 
        九章⑤   終わり