「……はい、十文字です。……珍しいですね、正人さんから掛けてくるなんて」
  《ちょっとな。……今掛けても大丈夫やったか?》
 
 正人からなんて珍しい。それもこんな夜に……そこまで遅い時間でないにしろ、電話をくれるということは急ぎなのだろうか。
 
  「ええ。収集が終わって帰ろうとしていたところですから、大丈夫ですよ。それより、何かあったのですか?」
 そう問い返すと、迷っているのか小さな溜息が聞こえてきて沈黙する。
 
 
 
  《 …………ついさっき、森岡食品の佐々原氏から電話があった。息子が暴漢に襲われたと》
 
 
 
 暫しして放たれた言葉には、重いものを打ち明ける様な神妙さが滲んでいた。途端に穏やかなものじゃないと気が引き締まる。
  「……次期後継者の久夫さんがですか?」
  《ああ。今病院で緊急手術してる最中や。極めて危険な状態で、成功しても五分五分、最悪の場合意識が戻らず植物状態になる可能性もあると言われたらしい。帰宅したところを襲われたらしくて、出血も多い……かなり派手に痛めつけられたらしい》
 正人が何を伝えようとしているのか感じたのか、園夫は薄ら笑みを浮かべる。
 
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  「……『息子を襲った犯人を見つけてくれ、そう頼んで欲しい』――そう言われたんですね」
 電話の向こうからふふっと小さく笑う声が聞こえてくる。
 
  《相変わらず鋭いいうか察しがええいうか……その通りや。園夫も忙しいやろうから、伝えるべきか迷ったんやけど……決めるのは最終的に園夫やから、伝えるだけして後は任せるわ》
 助手席に置いてある鞄から資料を取り出し、肩で耳に携帯を当てながらペラペラと捲っていく。そしてふと手を止め、上から文字をなぞっていく。
 
 
  「……正人さん。佐々原氏に伝えて下さい――依頼を請け負いました、と」
  《無理はしてへんな?自分がそない言うんやさかいなんとかなるんやろうが……解った、佐々原氏には俺の方から連絡しとく。ほなな》
 通話が切れ、園夫も通話を切り携帯を畳む。
  「……何らかの繋がりがあるのでしょうね……偶然にしては出来過ぎです」
 手に持つ資料には〝サークル名簿〟と上に大きく書かれていて、園夫の指がなぞっていって止まった先には久夫の名前が載っていた。
 
 
 
  「全てはここから始まりを告げている、ということなのか……」
 
 
 
 止めた指を動かしマーカーがひかれた名前で止まる。指先が指す先には〝中原絵美〟という名前が――。
 彼女は連続凍死殺人の容疑者とされている中畑祥平の恋人。だが彼女はこの世に居ない。
 
 
 ――そう。去年の12月24日……スキ―旅行先で彼女は遭難して亡くなっているのだから。
 
 
        *  *  *  *  *  *
 
 次の日の夕方、仕事を済ませた園夫は夏目家に出向いた。
 
 
 夏目家本家に居る組員の中でも一番若い海人(かいと)が出迎えてくれた。今では組員達と顔見知りでよく顔を覗かせるが、夏目家と出会った当初はこんなにも親しくなるなんて思ってもなかった。自分にとって居心地の良い場所を見つけてしまったということだろうか……そう思うと少し心がむず痒くなる。
 
 
 昔の事を思い出しながら懐かしんでいると、海人がお茶を園夫の前に差し出してきて傍に座ってきた。
  「茜さんにご用ッスか?」
  「ええ、まあ……」
 湯のみに口を付ける園夫の顔を海人は注視する。
 
  「……何時も不思議に思うんですけど、十文字さんは茜さんに何の用で訪ねて来るんですか?たまに連れ出してたりしてますけど」
 不思議がるのもむりない。正人以外に理由は話していないし、組員にも話せばいいんだろうが、話せば騒動が起きそうだ。変に過保護過ぎると思わくもないが……。
 
 
 園夫はニコッと微笑みを浮かべる。
  「少し取材のお手伝いをしてもらっているんです。私では対処出来ない事のお手伝いです」
  「そうなんですか。やっぱ女性でないと不味い部分に直面する時もあるッスもんね」
 素直に受け入れてくれる海人の言葉に内心ほっとする。
 
  (嘘を言っている訳ではありませんが……正人さんには話していますし、断わりもいれてますから良いという事にしておきましょうか)
 
 正直なところ、たまに事件に関わって貰っている――というのが正しい。とはいえ行き先で殺人がある訳じゃない。だが必ずしも安全というわけでもない。
 園夫としても何があっても守るし、危険だと分かれば関わらせないと心掛けている。私にとっても大切な方なので、何かあっては寿命が縮み兼ねませんから。
 
 
 
  ニャー……。
 
 
 
 他愛もない雑談をしばらく海人と交わしている最中、障子戸の隙間を自らの前足で隙間を広げ一匹の三毛猫が応接間に入ってきた。
  「おや、カナリ。そろそろ茜お嬢の帰宅時間ですか?」
 擦り寄って来て傍に座る。そして尻尾を動かしながら毛繕いを始める。
 
  「……何かセンサーでもあるんッスかね。平日毎日定時にやってきて、玄関先で待ってるんですよ。休日だろうと、出掛けて帰ってくる時も迎えに行きますけど」
  「そうかもしれませんね」
  「カナリはほんっと茜お嬢の事好きッスね。はぁ……いいなぁ~」
 海人は羨まし気な視線をカナリに向ける。大欠伸しているカナリは海人に目もくれず毛繕いを続けている。園夫は苦笑を浮かべ内心海人を労わる。
 
 
 毛繕いをしているカナリの動きが止まり、耳をピンッと立て応接間を出て行く。センサーが茜の帰宅を察知したらしい。
  「あ、帰ってきたみたいッスね」
 海人も出て行ったカナリの後を付いて応接間を出ていく。園夫も立ち上がり、海人の後を追う。
 
 
        *  *  *  *  *  *
 
  「――ただいま」
 
 
 人影が玄関前に現れ、戸が横にスライドして開かれる。
 長い黒髪をポニーテールに結い上げた小柄な少女が入って来て戸を閉める。彼女は夏目家本家のお嬢、そしてご令嬢でもある頭首、夏目正人の娘、夏目茜(なつめ せん)。
 母親の夏目春子(なつめ はるこ)とそっくりで、色白さから顔立ちまでも受け継いでいる。目立っている事に本人は気付いていないし、鈍いところまで受け継いでいる。いや、実を言うと春子よりも鈍い。
 
 戸を閉めて靴を脱ごうとする茜が顔を上げ、目をぱちくりとさせ驚いた表情を見せる。
  「…………」
  「おかえりなさい、茜お嬢。お邪魔しています」
  「茜さん、おかえりッス!」
 
 
 園夫に抱きかかえられたカナリが「ニャー」と鳴き声を上げる。
 
 
        *  *  *  *  *  *
 
 その夜は夏目家と共に食事をとり、大広間の方では春樹、春子を交え何時もの様に組員達が騒いで晩ご飯中。途中で正人や清正を交え賑やかに食事をしている。
 
 そんな中園夫と茜は共に大広間を出て行き、居間に居た。茜がお盆にお茶を汲んだ湯のみを乗せて台所から暖簾をかき分けて出てくる。園夫の前と自らの前に湯のみを置き、園夫の向かい合わせに正座して腰を下ろす。
  「うちに用事があるみたいやって、海人から聞いたんやけど」
  「……ええ。物騒な話題を出すのは申し訳ないですが……茜お嬢もご存じだと思います、今世間を騒がせている〝連続凍死殺人〟」
 少し表情を曇らせながら茜は頷く。
 
  「その事件についての情報収集を終えた昨日、正人さんの元に森岡食品の佐々原氏から電話がありました。ご子息の久夫さんが暴漢に襲われたと」
 横に置いている鞄を開け、クリップでとめられ纏められた資料を出し、茜の前に差し出す。茜は資料を手に取りペラペラと目を通していく。
 
 
  「佐々原氏からご子息を襲った暴漢を見つけて欲しいと依頼を受けました」
  「……連続凍死殺人と何か関連があるん?」
  「資料の最後に、連続凍死殺人の被害者5人が通っていた大学のサークル名簿があります。見てみて下さい」
 園夫の言う通りに茜は資料を最後から捲ってサークル名簿を見つけ、目を通す。
 
  「被害者5人はテニスサークルに所属していたみたいです。――益岡健三(ますおか けんぞう)さん、金田康介(かねだ こうすけ)さん、渡辺さくら(わたなべ さくら)さん、山口真菜(やまぐち まな)さん、浜崎大毅(はまさき だいき)さん……その5人の名前にマーカーで印をしていると思います。そして、名簿欄をよく見て下さい、佐々原久夫とありませんか?」
 園夫の言葉通り、確かに〝佐々原久夫〟と名前が載っていた。その他に丸印された人が2人……。
 
 
  「被害者5人に次いで久夫さんが襲われた……同大学出身、同サークルのメンバーが次々と狙われるというのは如何にも何かあるとしか思えません。これを偶然とは言いにくい」
  「この丸印が付いた人達は?」
  「男性の方は、連続凍死殺人の容疑者とされている方です。女性の方はその男性の恋人〝だった〟人です」
  「?〝だった〟……?」
 過去形に疑問を覚え、茜は問い返す。
 
  「……去年12月24日、彼女はスキー旅行先で遭難して亡くなっています」
  「……て事は、まさかこの中畑翔平さんが容疑者になってるんわ……恋人を殺された恨みでこの5人を殺害したと……?」
  「読みが速いですね。その通りです。スキー旅行に行ったメンバーは、被害者5人と佐々原久夫さん、中畑さんと中原さんの8人で行ったそうです。旅行先で何があったのかはまだ不明ですが、警察は少なくともその様に仮定して捜査を進めているようです。ただ1人――鮎川さんを除いて、ですが」
 読む手を止め、資料を畳んで机の上に置く。湯のみを手に取り、口を付けて一口飲むと息を付き肩を竦める。
 
 
  「うちを助手として誘うくらいなら、助手を雇った方がええんやない?」
  「前もって正人さんには断わりを入れています。それに……解ってるでしょう?」
 園夫はニコッと笑う。言いたい事は解っている、その笑顔もそう言っているのだから。園夫の言いたい事が解っている茜は苦笑を浮かべる。
 
  「ほな、十文字さんもうちがどう返すかって解ってるやんな?」
  「ええ」
 2人の視線が重なり、ふふっと笑い合う。
 
 
 
  「――では、また明日迎えに来ますね」
 
 
 
 資料は茜に預け、目を通しておくようにと言い残して今日のところはおいとまする事にした。正人達や組員に声を掛け、玄関に向かう。
 
  「お見送りしなくても良かったのですよ?……ですが、ありがとうございます」
 茜が園夫を見送りに履物を履いて玄関先に出てきた。……後ろを付いて来ていたのは知っていましたが。
 園夫は茜の頭を撫で手を上げて去って行く。
 
 
 茜が笑顔で「また明日」と言って手を振る姿を振り返って見つめながら。
 
 
 
        凍てつく氷悪②   終わり