崖の上から紅葉達を眺める七師長は微笑ましげな光景に肩を竦める。

  「……全く、舘野伊ったら勝手に……」
  「でも良いんじゃない?これで少しは紅ちゃんも安心して此処で暮らせるよ。……まあ、敦士が兄貴っていうのはどうかと思うけど……」

 呆れて溜息を付く蘭を宥めつつも、梨世は舘野伊が紅葉の兄貴になることに微妙な反応を示す。

  「そうですか?面白そうじゃないですか。彼は面倒見の良いところがありますし、佳直も似た傾向はありますが"兄貴"となると舘野伊の方が向いています。それに、新たに聖力という荷も加わったことですから彼の働きには注目ですね」
  「楽しみの材料が出来たみてーに云うのかよ。敦士には同情する……」
 妙に嬉しそうな海友に紅蓮は嘆息をもらす。

  「……基本、余り変わりはないと思うが」

  「そうだな。……楽しみだ」

  「黄河は海友とは違った意味で嬉しそうだろ。顔、若干笑ってら」

 月襲は特に興味はなさそうだ。黄河は何を思ったのか表情を緩めて演習場を見下ろしている。そんな黄河の表情に河心は興味深そうだ。
  「……そうか?舘野伊と同じなのかもしれないが、弟子が出来るというのは悪くない」
  「ああ、そういうことか」

 暫し談笑する七師長だが、皆の顔付きが変わり地平線を見据える。



  「行きましょう――」



 蘭の促しに皆一斉に姿を消した。演習場に残された紅葉達も顔付きを険しくさせて空の彼方を睨み付けていた。

  「……行くぞ。迎え討つ準備だ」

 舘野伊の言葉に紅葉は黙って頷き後を付いて欽聖堂へと駆け戻っていく。


        *  *  *  *  *  *

 欽聖堂内が騒々しくなり、総動員が大手門から出て城下町の大通りを、茅葺き屋根を飛び越えて四方八方に散り、駆け抜けて行く。民達は慌てて家々の中に駆け込んで行き、通りに人影はなくなり武装した総動員だけとなった。
 

 
  『――上位護衛士、保護壁を!』



 配置に付き、各部隊の隊長達が司令を出す。護衛士達は符術を発動させ、城下町手前から欽聖堂までを包み込むドーム状の結界、城下や欽聖堂の建物の輪郭に合わせて覆う結界とニ重の結界が張られる。
 
 
  「……戻った途端敵襲か……休む暇もなくなったぜ」

 茅葺き屋根の上、戦闘第二部隊隊長の佳直が白生地に黒い線模様、背中に〝㊁〟と書かれた羽織を身に纏い腕を組んで嘆息する。
  「……ま、さっさと終わらせればいいだけの話か」
  「鍛錬を怠っていないところ、しかとその目に刻んで下さい、佳直隊長!」
 下から拓馬副隊長が拳を突き上げて手を振って来る。次いで隊員達も一緒になって手を振ってくる。その光景に佳直はふっと薄ら笑みを浮かべ軽く手を上げる。
 
  「ああ、期待しとくぜ!――拓馬率いる部隊半数は坤の方位、佐里率いる部隊もう半数は午の方位で待機!気を張り詰めておけ!」

 佳直の指示に従って部隊が分かれ動いて行く。
  「さて……何の為の敵襲だ?攫いかただの殺しか探りか……」
 南の方角の空に少しばかり黒いものが見えだしてきた。


        *  *  *  *  *  *

     欽聖堂   天集間
 
  「――戦闘・護衛総隊長、七師長とその各部隊、城塀前と裏門それぞれの配置に付き大勢準備よしです」

  「結構……紅葉さん達も出払ってるのですか?」

  「?大手門前に舘野伊総隊長と共に居るみたいですけど」

 木理羅がそう伝えると、羅沙度は外を静かに見つめる。
 
  「……腕試しの為とでもいうのでしょうか……」

 黒く染まりつつある南の空を見つめながら、羅沙度はぽつりと呟いた。


        *  *  *  *  *  *

 大手門前には舘野伊と絹や冶无樹、東鴻に些羽が揃っていた。

  「……あんた達まで出てくるとはどういうことだ?中に戻っとけよ」

  「敵襲という非常事態……それを黙って見ていることなど私には出来兼ねる」

  「東鴻隊長が出るなら僕も出るのが筋ってものよ」

 引く気はないといった東鴻と些羽の二人に舘野伊はやれやれと首を振る。
 
  「まあ、死ぬのだけは勘弁してくれよ。……で、眼帯の兄さんは戻らなくていいのか」
  「……泰志のことか。問題ない」

 それ以上聞いても意味ないと判断したのか、冶无樹にそれ以上言葉は投げ掛けなかった。神妙な顔付きの絹は茅葺き屋根に登っている紅葉を心配そうに見つめていた。
 
 
  「……医療部に配属っつってもやっぱ絹は駆り出されるか」
 絹の隣に立ち、労わるように話し掛ける。絹は溜息を付き、肩を竦めてみせる。
  「木理羅から『駆り出されると思いますから』と云われてこれだもの。医療部は仮の配属場所とでも思っておくわ」
  「まあ、要要因として数えられてるってことだな。精々頑張れよ」
  「……他人事みたいに」
 不満気な顔で舘野伊を睨めつけるがそれも一瞬のこと。紅葉を気にして頭上を見上げるも、傍に行くことはなかった。仕方ないと地を蹴り、茅葺き屋根の上に居る紅葉の隣に降り立つ。


  「……戻っててもいいんだぜ。お前に出兵令は出てねーからな」

  「いや、いいよ。中でじっとしとける程客人気分でもないから」
 
  「ふっ、そうか……俺達は此処から下手に動けない。欽聖堂を守るのが役目だからな……いざとなれば前に出て部隊に紛れてくれ。下手に指示はしねー、自由に動いて構わない」

  「うん、そうさせてもらう」

 と、空から白い何かが紅葉の隣に降ってきて舘野伊は飛び退く。
  「どわぁっ!??……え、なんだこいつ……まさか虎狐か!?」
  「うん、歩緒だよ。変化してもらって辺りの様子見てきて貰った。……どうだった?」

  ――主ナ大群ハ南側ニ集中シテルケド、北側ニモ若干気配ガ感ジラレル……デモ注意シテ?南側ト違ッテオカシンダ……。

 不安から歩緒は紅葉の顔に擦り寄る。安心させるように鼻先を撫で、優しく叩く。
  「北側には梨世と月襲と河心の部隊が居るな。手薄にはしねーけど、気になるならそっちに行ってもいいぜ?」
  「敦兄、歩緒の言葉分かるの?」
  「ああ。俺も真話霊だからな」
 片目を瞑って見せる舘野伊に紅葉もつい頬を緩めてしまう。


 南の空上空が黒く染まり、塊が広がりながら迫ってくる。大分距離が縮み、戦闘が始まる緊張感が走る。
  「敦兄、私北側に行ってくる!」
 歩緒の背中に飛び乗り、紅葉は北側の裏門に向けて空を駆けて行く。
  「気を付けろよ!見えるのだけが相手じゃねーぞっ!」

 舘野伊の注意に紅葉は手を上げて答え、紅葉を背に乗せて歩緒は飛んで行った。北側に向かって小さくなる紅葉の姿を七師長の海友は興味あり気な視線で見つめていた。
 
 

  (見せてもらいましょうか……貴女が宿す永力がどのようなものなのか……)
 
 

 北側の裏門に向けて空を飛ぶ紅葉は、歩緒の背から辺りを窺う。南の空は黒く覆われ始め、それが広がり姿が少しずつはっきりしてくる。
  「人じゃないのは確かだね。人工的に創られた人工生物ばっかりみたいだけど……」
 北側の空には青空しか広がっていない。ということは地上から攻めてくるつもりなのか?

  「……とにかく、行ってみるしかないか」

  ――この襲撃の主犯とは、一度御会いしたことがございますよ?主。

 頭の中に那与裏の声が響き、前を見据えながら紅葉は那与裏に話し掛ける。

  (会った事がある?私が?)

  ――はい。小童や眼帯殿が居たところでの事も、その者が仕組んでいたということですが。随分と主に御執心なようですのぅ。……確か、海とかいいましたか。

  (…………)

 初めて会ったのは人間界のワラサだった。霞に捕まり、連れて行かれた場所で会ったのが海だった。神国や悪国とは違う方法で世界を変えようとか云っていたが……それに十年前に会っているらしいが、全く覚えていない。
  ――それに主が妾か阿音鷹、真夜達のどれかを授かっていると覚醒前から知っていたようですし、只者ではありませんね。注意して臨むのが望ましいかと。
  (そうだね。その海って奴がこの襲撃の主犯なら、狙いは最初から私でそれ以外は目的を悟られない為の囮の演出かもしれない。……例え罠だったとしても、掛かったフリでもしてそいつと話してみるしかないかもね)


 一体何がしたいのか……はっきりいって全く読めない。紅葉が深く関係している事は分かるが、なんで紅葉が深く関係しているのかそれも謎だ。目的の為に狙っているのか、はたまた個人的な感情で動いているのか――。



 北側の裏門が見えてきた。
 梨世や月襲、河心の姿に部隊の者達の姿が見えてきた。

  「……北側にまだ動きはないみたいだけど……南側はそろそろ迎え討つ頃合いかな……」

 南側が迎え討つ前に北側に着いて備えておかないと。
 裏門上空に到着し、紅葉は歩緒の背から飛び降り降下していく。



  「――ん?」

 ふと上を仰いだ梨世が空から何かが落ちてくるのを見つけた。

  「……ねえ、空から誰か落ちて来るよ?」
  「?空ぁ」

 河心が空を仰ぎ見ると、もの凄い速さで確かにここを目掛けて落ちて来る。避ける間もなく月襲達の目の前に落下し、凄まじい音と土煙が辺りに立ち込める。周りが何事かと土煙が納まるのを待つと、土煙の中から陽気な声が聞こえてきた。
  「……よし!無事に到着到着っと!」
 着物に付いた汚れを叩き落とし、姿を見せた紅葉の足元に元の姿に戻った歩緒が華麗に着地し、紅葉の頭目掛けて跳び移り落ち着く。


 派手な登場に河心が大きな溜息を付き頭を掻く。
  「……お前、もう少し大人しく登場できねーろ?」
  「え?そんな余裕ないよ!開戦するかもしれないっていうのに」
  「まあ、そうだね」

 梨世が南の空を見やり紅葉の言葉に賛同する。
  「主な大群はあっちに集中してるね。こっちは……地上から攻めて来る感じ?」
  「そうだとは思うけど、注意してた方が良いよ。向こうと違って様子がおかしいみたいだって歩緒が。勿論感じる反応からもおかしなものは感じるけど……?」

 紅葉の背後に月襲が立っていて、振り返って見上げると静かに見下ろしているだけだが何か云いたそうだ。

  「……何か云いたそうにしてるけど……」

  「……精霊達が『大丈夫か』と心配している。……大丈夫か?」

  「うん、大丈夫!この通り!」

 ニコニコ顔で両腕を回しその場でぴょんぴょん跳ねて見せると、月襲は満足そうに頷いた。月襲と話す紅葉を梨世と河心が感心した面持ちで眺めていた。

  「うん、月襲のあのぴくりともしない完璧な無表情から読み取るとは……あいつ中々やるろ」
  「私達でも分からない時あるのに凄いね~紅ちゃん!」
  ⦅感心するとこ、そこっ!?⦆←部隊の面々


 何はともあれ、開戦前に合流出来たのでそれは良かった。
 大手門前と比べたらやはり裏門の守りは手薄ではないが少し心戦力的に心配になる。
  「南と北だけに戦力分散してるけど、東や西はいいの?」
  「それは大丈夫!扇型に広がって東も西から来ても守れる様にしてるの。こっちも始まれば此処は月襲に任せて私と河心はそれぞれ東と西方面に分かれるのよ」
  「あとは状況を見て師長や隊長達独自の判断に任せてる」

 ふーんと軽く返事をする紅葉に梨世は抱き付いてきて頬ずりをしてくる。紅葉の頭上に居る歩緒が梨世に対して低い声で唸り威嚇をする。
  「えへへっ。可愛いこーうはい♪」
  「いやちょ……!く、苦しいっ……!!」
  『…………』
 月襲と河心が紅葉に哀れな視線を向けている。諫めておいた方がいいと思ったのか、河心が仲裁に入って来て二人を引き離す。
 
 
  「後輩が可愛いのは分かるが、身内に血祭り挙げられる何て洒落にもならんろ。こいつの頭に乗ってるものに気付け」


 河心が紅葉の頭上にいる歩緒を指差す。収まったみたいだがまだ毛を逆立てて威嚇している。梨世は今気付いたと云わんばかりに大袈裟に反応してみせる。
  「あやっ!虎狐がいたの!こりゃびっくり~」
  「……今気付いた」
 ぼそっと口にする月襲に河心は驚く。

  「お前もか!?天集間に居た時から居たろっ!気付けっ!」
 
 
 そんな七師長のやりとりを気にせず、紅葉は歩緒を宥めて落ち着かせる。
 
 

  ――……敵襲が来るというのに緊張感の欠片もない奴等じゃのぅ。

 
 
 頭の中で那与裏の呆れた声が響く。

 ――開戦前のほんの一時。



         八章   ~ 神国 ~   終わり