泰志達と別れ、絹・佳直・真夜の三人は庭園に居た。池には色とりどりで模様もそれぞれ違う鯉達が気持ち良さそうに泳いでいて、絹達の気配に気付いたのか、寄ってくる。

  「残念だが、餌は持ってねぇぞ?……任に戻るのは構わねぇが、今何処の部隊も任務中で出払ってるだろ?俺が不在なら拓馬や佐里(さり)が指揮とってるだろうし、顔出すにもいねんじゃなぁ」

  「……そういえば、私や絹さんは医療部の方にと大紀美は仰ってましたけど。私はともかく、絹さんはてっきり護衛部隊の何処かに配属されるのかと思ってました」

  「美里亜がいないから守護士でないのは分かってたけれど、まさか医療部とはね……」

  「お前、医術の心得があるのか?」

 池を覘いていた佳直が立ち上がり絹を振り返る。
  「ええ。医術は両親から……」
 云い掛け、絹は表情を曇らせる。佳直や真夜が不思議そうに目を瞬かせる。
  「……なんでもないのよ。医術は両親から教えて貰ったの」
  「そうなんですか。絹さんって万能ですよね。攻撃・補助系の符術も治癒術も扱えて、弓の腕前もあって、博識で医術の心得もあるなんてまさに鬼に金棒ですよ!」
 自分の事のように誇らしげな真夜の言葉に絹は苦笑を浮かべるだけだった。その複雑そうな顔をじっと見つめていた佳直は眇めた。


  (……会った時から思ってたが、絹ってよく分からねぇ奴だな)


 美里亜大紀美の守護士で、神国随一の符術士との異名で呼ばれ、攻撃・補助系の符術や治癒術も扱え、弓の腕前もあり博識で……表面上は輝かしく才能ある奴に見えるが、時折表情に影が差す。
 十七年前の悪族襲撃を期に行方知れずの美里亜を探して人間界にまで行って、人間界で紅葉と十年一緒に過ごし、こうして俺達を連れて戻ってきた。
  (美里亜が神力を宿してたから、紅葉にもその気があって時折暗い面してたのは重ねて見てたんだろうって予測は出来るが……人間界に居た時のあの暴走は――)

 普段の絹からは感じたことのない殺気立った瞳。顔付きもまるで別人みたいで東鴻の部下であった一成を傷め付ける様は思い出すだけでも恐ろしい。あの時の絹は冷酷無情な鬼と化していた。

  (紅葉を失った喪失感からあんなにも変わるもんか?ただの暴走にしては酷く冷静だった)

 荒れ狂っていれば急所を外して傷め付けるなんて芸当が出来るだろうか?我を忘れながらも冷静に見極めてやっていたとしか思えない。

  (絹の奴、まだ何か隠してやがるな……)


 と、思った時だった。


 
  「佳直隊長ー!!」
 
 
 
 何処からともなく声が響いてきた。声が聞こえてきた方角に絹達が目を向けると、佳直は「げっ」っと嫌そうな顔をする。土煙を上げて庭園を駆けてくる男性は急ブレーキをかけて佳直の前で立ち止まり、詰め寄る。
  「戻っていたのですか佳直隊長!!では何故一早く知らせてくれないのですか!?私拓馬は心配して心配して……」
 しくしく泣く真似をしたかと思うと切り換え早く目を三角にする。
 
 
  「一月と七日、一体何をしておいでだったのですか!部隊の不始末にそこまで時間を費やしていたとは思えませんし、まさか道草を食っていたのでは!?」

  「なわけあるかよ。……色々あって時間掛かったんだ。それより、俺が留守の間に何か問題起こったか?」

  「いえ。奇襲も紛争も喧嘩もなく平和でありました。部隊の者達も鍛錬怠らず頑張っています」

 拓馬はハッとして顔を振る。
 
  「そんな事云ってやり過ごそうなんて駄目ですよ!この一月と七日、何も連絡も無く皆不安で、何かあったのではと思っていたのです!貴方はもう少し自覚と思いやりを持って下さい!なんで副隊長の私が、こうも口煩い小姑みたいに云わないといけないのですかっ!?云われない様にしようとして下さいっ!!貴方という人は――」

 拓馬の説教を佳直は聞き飽きた顔で耳を塞いで聞いている。
 
 
 
 副隊長に説教される隊長、不思議な光景だ。
  「……よく彼隊長に任命されましたね。それなりの威厳放っている人がなるものと思っているけれど……」
  「任せるだけのものがあるということでしょう。それに、威厳があるからなれるものでもないと思うわよ?現に佳直がそうなんだから」

 物珍しい光景につい見入ってしまい、絹と真夜は微笑みを浮かべる。
 説教がひとしきり終わったのか、拓馬は佳直の腰帯を引っ張って連れて行く。
  「さあ行きますよ!もう皆待ち草臥れてるんですから!」
  「赤ん坊じゃねんだから一人で行けるっつぅの!」
 拓馬の手を振り解き、佳直は先頭に立って歩いて行く。その後を拓馬は付いていき再び隣で説教をし始める。口論をしながらが建物の影に消えて行く二人の背を見送るり、庭園に残された絹達の元に木理羅がやってきた。
 
  「……佳直隊長は拓馬副隊長と一緒に行きましたか」

  「ええ。……私達も医療部に行きましょう。真夜」

  「は、はい」
 緊張な面持ちの真夜を宥める様に背中を軽く叩き、そのまま添えて歩き出す。と、去ろうとした絹の背に向けて木理羅が投げ掛けてきた。
 
 

  「――医療部に配属されても、絹さんは戦闘や護衛で駆り出されると思いますから。ご了承下さい」

  「……分かってるわ」



 立ち止まることなく、振り返ることもなく絹はそう返答した。去って行く絹と真夜を見送り、木理羅は空を見上げた。
  「……空はいいわね。人の気も知らないで晴れ晴れとしてて……」

 物憂げな木理羅の横顔は何処か哀しそうで、少し憎らし気に青空を仰いでいた。


        *  *  *  *  *  *
 
 紅葉と舘野伊が演習場の荒地で模擬戦を繰り広げる様を、崖の上から七師長の面々は見下ろしていた。
 
  「……へぇ……あの子結構やるじゃん♪敦士相手に劣ってないみたいだし」
 ニコニコしながら口を開く梨世に引き換え、左隣に立つ蘭は落ち着いた口調で口を開く。
  「そうね。戦闘士としての腕は申し分ないと思うけど、戦法に安定がない。接近戦も中・遠距離も出来る万能さがあるなら、それに見合った戦法をするべきだわ」
  「蘭はこうでないといけないって結び付けがあり過ぎる。そもそも決まった戦法など個人には必要ない。瞬時に判断出来るって点は高く評価していいろ」
 河心の言葉に紅蓮も乗っかってくる。
 
 
  「そうだな。敦士の盲点を突いて仕掛けるとは中々だ」
 
 
 
  「……落ち着かない」
 
 
 
 月襲の目は何か捉えているのか、目が鋭くなっている。その呟きに紅蓮が言葉を返す。
  「何云ってるんだ?」
  「……精霊が歓喜して落ち着かない。あの紅葉が永力を宿していると聞き、更に精霊達が騒がしい…………親様(おやさま)、と云っている」
  「親?あいつが?」
 月襲は落ち着き払った態度のまま腕を組む。
 
  「……これで二度目……こうして再び会えて天にも昇る気分だと……そう、精霊達が云っている」
  「意味が分からん」
 月襲が何を云っているのかさっぱりで、紅蓮は手を広げて首を振る。紅蓮の横にいる黄河が月襲に目を向ける。
 
 
  「……あの紅葉にはもう一つの人格が宿っている。それが親様なんだろう?」
  「……簡単に云えばそうだ。だが、永力が紅葉を主と慕っているのだから、紅葉も親様だと、云っている」
 皆の会話に聞き耳を立てている海友は何も言葉を発さず、黙って演習場を見つめていた。
 
 
 
  (草子文字が読める……そしてこれで二度目ということは…………波乱の予感、的中ですね)
 
 
 
 くいっと眼鏡を人差し指で押し上げ、レンズの奥の瞳に哀しみが宿る。

  (絹……貴女はつくづく同じ境遇の人を……)

 こう何度も同じものを手にしては消えていく――そんな行き場に辿りつくこれも〝定め〟なのか〝運命〟というのか……。心で慰めの言葉を呟く事しか出来ない。もう本人は気付いている筈だから、云うまでもない。
 
 
 
 
 
 
  「――……やるじゃねーか!正直見縊ってたぜ!」

 刀を握り直し、刀身が青白くピキピキと音を立て氷刀となり冷気を纏う。そして舘野伊の足元が凹み目に見えない速さで紅葉に向かって飛ぶ。紅葉はその場を動かずに立ち尽くし目を細める。紅葉の眼前、後数ミリで触れるか触れないかの距離に差し掛かった時、舘野伊の刀が炎に包まれる。

  「っ!!?」

 攻撃を止めて後ろに飛び退き刀身の炎を消し、熱を帯びて赤くなった刀身に視線を落とす。
  「あっつぅ……!!おいおい、刀熔かす気か?」
  「熔けたとしても謝るつもりはないよ。そうなったとしても、不可抗力だ――」

 腰を屈め、駆けてくる紅葉は聖然虎力の刀身を一撫でし青い稲光を纏わせ舘野伊の横腹目掛けて横降りが繰り出され、舘野伊は赤い刀身の刀でその一撃を受け止める。

  (――くそっ……このまま受け止め続けたら刀がお陀仏だっ……!)

 熱を帯びて硬度が弱まった刀で紅葉の重い攻撃を受け続けるのは不利だ。このままではこちらが押されてしまう、そう思い弾き返し刀を鞘にしまい戦術を変える。
  「――体術、硬・鋭武装強化!――」
 腕で聖然虎力の刃を受け止めた途端、刀身が短くなり短刀に変わる。

  「!?なにっ!!?」
  「体術――鋭利強化――」

 短刀に変化した聖然虎力を逆手に持ち変え、左手で腹部を右手が舘野伊の顔目掛けて上段突きを繰り出す。腹部を狙った攻撃は腕で受け止め、上段突きは擦れ擦れで交わしたが頬を微かに掠め、血が滲む。



  「……やるじゃねーか!このままやりあいたいくらいだが、これ以上すると本気になっちまう」



 舘野伊の言葉に双方戦闘態勢を解き、離れる。
  「はっ。まさか変化自在の刀とはな……隙作っちまった」
 短刀に変化していた聖然虎力は長刀に戻っていて、紅葉の左手から薄れ消えていく。

  「舘野伊さん、頬の傷……」

  「ん?ああ、構いやしねーよ。これぐらい自分で治癒出来る」

 頬の傷に手を翳し、治癒術で治していく。


  「十分な腕だな。まあ、お前が部隊に配属されるかは分からねーが、配属されなくても戦闘士としてはいれるから安心しろ」
  「本当!?……そっか、全く腕がなかったらどうなるかと思ったー」


 安心したのか笑顔でそう云う。模擬戦が終わって紅葉から離れていた歩緒が駆けてきて、頭目掛けて跳び移り、張り付く。
  「歩緒!私それなりに腕はあったみたいだよ!舘野伊さんがそう云ってくれた!」
 歩緒にそう報告する紅葉を舘野伊は真剣な面持ちで見つめていた。


  (こいつ……一体……)


 実際に手合わせをすれば相手の腕前が分かるというもの。てっきりへっぴり腰なのかと思ったが、全然違った。最初は俺の動きに戸惑っていたのが、あの模擬戦の中で俺の動きに付いてこれるだけでなく冷静に見極めて隙を上手く突くまでになっていた。吸収力が異常だ。

  (――いや、元からそれが紅葉の戦闘力だったとしたら……?)

 戦い方が分からず、どうしていいか分からなくて今まで持て余していたとしたら……。

 そう思うと、少し背筋が冷える。戦闘を重ねるごとに成長していくとしたら、それはまるで戦闘をする為に生まれた兵器のようで――。
  (……いや、考え過ぎだな。元からこいつには戦闘能力があって、それが成長しただけに違いねー)
 その為だけに生まれたなんて道具みたいな事があるはずがない。余計な雑念を振り払い、舘野伊はある事を思い付き手を打つ。



  「そうだ!……紅葉、お前兄弟いねーって云ってたな」

  「?うん、そう云ったけど」

  「よし、俺がお前の兄貴になってやる!」

 
 
 唐突な舘野伊の提案に紅葉はきょとんとしていた。歩緒は小首を傾げ尻尾を揺らす。
  「身近にそういう間柄の奴が居たらお前も気が楽になんだろ?兄貴だったら何時でも頼れるぜ!それに、師弟関係になるんだったら兄妹も大して変わらねーし」
  「舘野伊さんが、私の兄貴……?」
  「妹が欲しいなって思ってたんだ。妹分より妹の方が良くねーか?」
 ぱぁっと表情を明るくさせた紅葉は少し照れくさそうに笑う。

  「うん!私も兄ちゃんが欲しい!」

  「よし、じゃあ決定だ!……改めて宜しくな。紅葉!」

 差し出された手に紅葉も差し出し握手を交わす。
  「宜しく、えっと…………敦兄(あつにい)!」
  「ははっ。……自分から云い出しといてちょっと照れるな……!」
 照れくさくて頬を掻く舘野伊だが、誤魔化す様に紅葉の頭をがしっと掴みくしゃくしゃにする。


 ――こうして新たな地に来て初めての兄妹が出来た紅葉であった。
 
 
 
         八章④    終わり