「――はぁ……」
 
 昼休み、カラになった弁当箱の中を箸で突き未琴は溜息を付く。瑠依と夏美が顔を見合わせ、夏美が未琴に尋ねる。
 
  「どうしたの?溜息何て未琴らしくないじゃん」
 
  「雅君の事で悩んでるの?かっこいいもんねぇ~、妬けるよね~」
 
  「なんで私があんな奴の事何かで悩まないといけないのよ!……そうじゃなくて……」
 
 
 
 
 
  「え!?それって付けられてるんじゃない!?」
 
 
 未琴は2人に悩んでいる事を打ち明けた。
 此処数日前からバイトの帰り道、後ろを付けられていて不気味な気がするけど、気のせいかもしれないから親にも誰にも相談出来なくて悩んでいたと言う。
 
 
  「ヤバいってそれ……被害届けでも出して届け出なよ。何かあってからじゃ遅いよ?」
  「それはそうなんだけど……お母さんに変に心配掛けたくないし……」
 
 
 お母さんもパートで仕事をしながら家計のやりくりをしている。温厚で余り怒らない人だけど、結構なストレスは溜まっている筈……思ってる事全部言えばいいと言っても『そんなのないよ』って言って……。
 だからへんに心配掛ける様な事はしたくない。
 
 
  「大丈夫だよ。そんなに心配するとそれ相応の事が起きるんだよ?思ってなかったら起きないわよ」
  『…………』
 そうは言ったが、親友2人の顔は曇ったままだった。
 
 
         *  *  *  *  *  *
 
 学校が終り、未琴は靴を履き替えて校門を目指す。女子達が門柱に凭れている男子生徒を振り返っている。遠目でもよーく分かる……あのすかした顔はあいつだ。
 
 気付かないふりをして通り過ぎようとする未琴に瀬那が声を掛けてくる。
  「もう帰るの?少しはオレのところにも来て欲しいな」
  「あんたに構ってる暇はミジンコたりとてないのよ。バイトで忙しいんだから声掛けないでよね」
  「へぇ……バイトしてるんだ。何処でバイトしてるの?部活終わったら行ってもいい?」
 キッと瀬那に眼を飛ばし、未琴は舌を出して拒絶する。
 
  「来なくて結構!……彼女でもない庶民に構う暇があるなら、勉強して東大でもハーバードでも行く準備したら?」
 
 瀬那はクスッと笑い、未琴に歩み寄ってきて正面に立つ。
 
 
  「残念だけどその期待には沿えないね。オレ東大とかハーバードとか行く必要ないから」
 
  「何その自分頭が良いみたいな言い方……」
 
  「そんなんじゃないよ。数年フランスに居たからね、親の都合で色んな国に行って勉強してきたから必要ないって意味だよ」
 
 「ふーん」と未琴は興味無さ気に返すのに対して瀬那は寂しそうな顔をして未琴の肩に手を回す。
 
 
  「酷いなぁ……冷た過ぎやしない?でもそういうの逆に火がつくんだよね……何時か言わせてみたいな、その口から」
 頬に手を伸ばしてきて未琴の顔を自分の方に向かせ、顎をくいっと上に向かせ唇を親指でなぞる。
  「……何時か貰うから。未琴の唇はオレだけのものだからね」
 躊躇いもなくそんな恥かしい台詞を口にする瀬那に未琴は周りを見回す。周りに聞こえる声でないにしてもよく公衆の面前で言えるものだ。
 
  「ちょ……!何そんな恥かしい台詞口に出来んの!?人目ってものを……」
  「どうして?未琴にしか聞こえない声で言ったんだからいいでしょ。2人っきりならもっと恥かしい事言ってあげるよ」
 
 瀬那の悪戯めいた笑みに一瞬ドキッっとしたが、頭を振るい瀬那から離れる。
 
 
 
  「――1回三途の川でも渡ってこい!この口説き魔!」
 
 
 
 走り去る間際、口を広げて笑う瀬那の笑顔が見えた。
 
 仲睦まじく見える2人の様子を眺める人影があった。男らしき人物は拳を握り締め震わせる。
 
 
        *  *  *  *  *  *
 
 バイト中未琴は悔しい気持ちで一杯だった。何で悔しいのか説明出来ないが、何故か悔しい。
 
 
  (なんなのよあいつ……!)
 
 
 悔しさから怒りにへと変わり、瀬那の放った言葉を思い出すとその怒りが更に倍増しされて余計イライラしてくる。
  「なーにが、『2人っきりならもっと恥かしい事言ってあげるよ』……よ!……(ちょっとときめいちゃったじゃない……!悔しい~!!あんな遊んでそうな誑(たら)しの言葉に……!!)」
 手に握るトングに力が入り、パンを挟んでいることなど忘れ、コロネパンがくしゃっと潰れる。
 
  「未琴ちゃん!パン潰してるよ」
  「え?――あぁ~っ!ご、ごめんなさい!」
 
 パンの追加をしていたのをすっかり忘れて手に力を入れてしまった。元の原型はなくなって縦に伸びてぺしゃんこになっている。くっきりとトングの痕も残って。
  「それは商品にならないから、持って帰るなり食べるなりして処分しちゃってね」
  「はい……」
  「そんな落ち込まないでいいのに~。余分に大目に作ってあるやつなんだから、1個くらいなんちゃないわよ!」
  「すみませんでした……気を付けます」
 
 おばさんの言葉に未琴は頭を下げて謝る。するとドアの鈴が鳴り来客を知らせる。
  「いらっしゃいませー!」
 明るく声を掛け、未琴はレジの方に戻り片付けをする。
 
 
 数分後、来客の男性がレジにへとやってくる。
  「――以上でお会計の方が568円になります」
 パンを袋に詰めながら手際よくこなす未琴を男性はじっと見つめる。
 
 
 
  (このサラリーマン何時も定時にお店にやってきて菓子パン系統買っていくのよね。甘党なのかな?)
 
 
 
 そんな事を思いつつお金を受け取り、お釣りを男性に返し、袋にパンを入れ丁寧に渡す。
  「ありがとうございました!またお越し下さいませ!お待たせ致しました――」
 待っているお客のお盆を受け取り、未琴は笑顔で対応していく。そんな未琴の姿をお店の外でそのサラリーマンは眺めていた。
 
 
          *  *  *  *  *  *
 
 バイトが終わり、片付けが終わって出た頃には午後22時を過ぎていた。何時もの家までの通り道を真っ直ぐ帰っていて10分後、住宅街に差し掛かった辺りから背筋が冷える。
 
 
  (まただ……まさか本当に付けられてる……?)
 
 
 
 自然と歩調が速くなり、速くなってもそれに合わせる様に後ろから聞こえてくる靴音が速くなる。
 
 もう怖い何て感情だけでなく、嫌悪も混じるものが心をかき乱す。もう早歩きから走りに変わり、未琴はただ走って角を曲がって何とか撒こうと頭を働かせる。
 
 
  (この角を曲がって左に行けば影になる部分がある……!そこに隠れれば……)
 
 
 そうして左に曲がろうとした途端、腕を引かれ口を覆われる。
  「んんっ!??ふ、んふっんんっ!!」
 暴れて抵抗するが、
 
 
 
  「――しっ。オレだよ」
 
 
 
 この声……雅瀬那?何でこいつがこんなところに……。
 
  「最近思い詰めてたでしょ。気になって動向調べてたら、良い歳したおっさんが未琴をストーカーしてるって事実見つけて。ああこれかって気付いてね、見張って後付けてきたって訳さ」
 
 
   カツ、カツ――。
 
 
 靴音が近付いてきた。未琴は肩を震わせ足を竦ませる。瀬那が影に未琴を座らせ、安心させるようにウインクしてみせる。
  「大丈夫。オレが未琴を守るよ」
 そう言うと未琴から離れ、通りに出て真ん中に仁王立ちして道を塞ぐ。しばらくして正面から歩いて来るサラリーマンの男性が瀬那の姿を見て立ち止まる。
 
 
 
  「あんたが付けてた女の子なら居ないよ。良い歳してストーカーみたいな行為、恥かしくないわけ?」
 
  「な、何の事だ?私は此処を通って帰っているだけだぞ……いきなり現れて言い掛かり付けるのは止めてくれないか?」
 
 とぼける男性の手に持つ袋を指差し、瀬那は小馬鹿にする様に嘲笑う。
 
  「その手に持ってる袋……付けてた女の子がアルバイトしてるリオマージュってパン屋のだよね?何時も定時にやって来てパンを買って帰って、彼女が帰るのを見計らって後付けてるでしょ。――サラリーマンだろあんた。ストレス発散にそういう事に走るのは関心しないね、男の中の腐った奴等になりかけの部類だね。悪い見本に丁度いいよ」
  「……黙ってれば調子のいい事をっ!」
 男性が瀬那に近付こうとするが、瀬那が向けてきたものに怯えて動かなくなる。――瀬那は拳銃を手に銃口を男に向けている。
 
 
  「……悪いけど、発散対象なんかで人の彼女に手出ししないで貰おうか」
  「は……どうせ脅しの道具だろ?お前みたいなガキが拳銃なんて……」
 
 瀬那は不敵な笑みを浮かべる。冷たい目は笑っていない。まさか……。
 
  「悪いけど、外国に居た頃周りが物騒なもんでね。その癖か所持してるんだよ。玩具かどうか、試してあげようか?」
 
 引き金を引こうとする瀬那を見て男性は怯え、後ろに後退って脱兎の如く逃げていく。
 
 
 
 
 
  「――……ふぅ。なーんて、日本で所持してたら銃刀法違反で捕まるのに持ってる訳ないでしょ。玩具か本物の見分けも出来ないなんて目利きのきかない証拠だね」
 引き金を引くとポンッと旗と少量の紙吹雪が出てくる。
  「…………」
 未琴は目を瞬かせて影から始終を見つめていた。瀬那が振り返ってきて、未琴の前にしゃがむ。
 
 
  「……な、何であんたがこんな所に居るのよ!?あんたに相談何て一言も……」
 
   何も打ち明けていないのに何でバイト帰りに付けられてる何て知ってるの!??
 
  「未琴の友達が知らせにきたんだよ。『付けられるみたいだから助けてあげて』って」
  「それに誰が彼女よ!あんたの彼女になった覚えはないわよ!」
 
 ニコッと笑って顔を近付けてくる。
 
  「オレがそう決めたんだ。却下は出来ないよ」
 
  (ちょっとは良い奴かと思ったけど……こいつやっぱりムカつくぅ~!!)
 
 拳を震わせ瀬那の顔面を殴ろうとするがちゃっかりと避けられる。
 
 
  「残念♪バズレー」
 未琴は憤慨に立ち上がり、無視して歩き始める。その後を瀬那がついてくる。
  「……何でついてくんのよ!!」
  「未琴の家の場所知りたいから」
 オモチャの拳銃を振りながら微笑みを浮かべる。ていうか何時までそのオモチャ持ってるわけ!?傍から見たら危険人物じゃない!!
 
  「そのオモチャ早くしまいなさいよ!勘違いされるでしょ!?」
 
  「ああ。これ意外と使えるんだよ?手品とかビービー弾入れて威嚇射撃にも使える」
 
  「絶対にいらない!!」
 
 
 
 
 
 
 次の日からバイト先に瀬那が頻繁に顔を出す様になり、おばさんに『未琴の彼氏です』と作り笑顔満載で答え、何度も訪れている内におばさんに気に入られ、未琴のバイトが終わるまで手伝いやパンを貰ったりしている。
 
  「でも未琴ちゃんにこんなかっこいい相手がいたなんて~♪未琴ちゃんも中々やるわねぇ~」
  「ち、違います!こいつはただ同じ学校行ってるってだけの奴で――」
 
 未琴の肩に手を回して引き寄せ
 
  「照れているだけなんですよ。可愛いですよね、こういうところ」
  「まぁ~……ラブラブなのね♪」
  「ち、違います……!ちょっとあんた何ありもしないことを……!」
 
 
 
  「勿論です。相思相愛ですから」
 
 
 
 固まる未琴に反してパン屋のおばさんはキラキラとした目で瀬那を見ている。
  「いいわね若いって。しっかり青春を満喫しないな!あっははは」
 笑い声とともに店の奥に消えていく。
 
 
  「あ・ん・たねぇ~……勝手な事を次から次へと……!」
 ふっと笑うだけで、パンに目を向ける。
  「これ美味しそうだね……食べていい?」
  「流してんじゃないわよ!それに、売り物なんだから無理に決まってんでしょ!食べたいなら買いなさいよこのすかぽんたんっ!!」
 
 
 瀬那が何を考えているのか全く見当が付かなくて、未琴は毎日泣きたい気持ちで一杯だった。
 本当……何考えているのか読めないよこの男は……。
 
 
 
         2章 後編  終わり