これは夢だ……夢に違いない。
 
 
 クナイは額を地面に何度も打ち付ける。血が滲み、流れる。
 酷い雑音が頭に響き木霊する。もうその雑音が何を云っているのかさえ解らなくなってきた。


  「止めろ……止めろ止めろ止めろっ!!止めろーっ!!」


 ジャリッと音がし、顔を上げるともう既に死んで居ないはずの長杉が立って見下ろしていた。クナイは唇を力一杯に噛み締め、勢いよく立ち上がり目の前に立つ長杉の襟を掴み馬乗りになって地面に押さえ付ける。
 
  「お前何かが居るせいで……母上は死んだんだ……!!お前に――貴族何て肩書きで偉そうにする権限があるのかっ!!?ええ!?答えろっ!!!」

 クナイは近くに転がっている自分の短刀を手に取り長杉の喉に切っ先を付き立てる。
 
 
  「俺にとっては……母上だけが支えだったんだ…………玩具だと?そんな理由で苦しめやがって、お前と血が繋がってる何て反吐が出る!!」
 刀を振り上げ、刀の刃が光る。
  「死ねぇー!!」
 
 

   ――クナイ……。

 
 
 刺そうとした時、優しく澄んだ聞き覚えのある声に手が止まる。
 
   ――クナイ……貴方は立派な後継ぎだそうよ。良かったわね。
 
 母の顔が浮かんでくる。
 
   ――誰も憎むんじゃありませんよ?クナイ……貴方を置いて行く母を許して……。
 
 泣きながら母がそう云った。
 
   ――クナイ…………愛してますよ……。私の、大切な…………。
 
 俺の頬に手を伸ばしていた母上は、その言葉の先を云い終える前に命を引き取った。安らかな笑顔を浮かべていた。
 
 
 
 
 クナイの頬に一筋の涙が伝う。唇を噛み締め、手に握る短刀をゆっくりと下ろす。
  「……っ……母上……!!」
 母の顔が、声が、温もりが、過ごした日々が浮かんでくる。膝の上で拳を握り締め、拳の上に涙が滴る。
  「……クナイ」
 クナイの横に冶无樹が立っていたが、両膝を付いてしゃがみ込む。クナイは顔を見られないよう少しだけ顔を上げる。
 
  「冶无樹……」

  「クナイ、母親が来てるぞ」

  「!!?」

 冶无樹の言葉に顔を上げ辺りを見回す。後ろを振り返ると、少し離れたところに光に包まれた着物姿の女性が立っていた。
 
  「…………母、上……?」

  ――クナイ……。

 クナイは立ち上がり、ふらつく足取りで母親の元へ歩いて行く。

  ――もういいのですよ、クナイ。もう……。

 クナイの母親は涙を流す。母よりも背が高くなっているクナイに母親は手を伸ばし、顔を包む。

  ――大きくなりましたね。立派になって母は嬉しいですよ。

 ぶわっと涙を流すクナイは顔を歪める。そして母親を抱き締め嗚咽し始める。
 
 
  「母上……っ……俺、俺ぇ……!!」

  ――……ごめんなさい…………辛い思いさせましたね……ごめんね……。

 母親はクナイの頭を撫で、背中を優しく摩る。それにクナイは肩を大きくひくつかせ震わせる。

  ――ずっと、傍に居ますから。母はずっと……一人ではないのです。

 クナイは何回も頷く。

  ――愛してますよ、クナイ……私の大切な息子……誰よりも貴方を愛しています。

 母親はクナイの頬に軽く口付けをするとゆっくりと離れて行く。
 
 
  ――忘れないで……ずっと傍に居る事を…………何時までも見守っていますから。


 クナイは消えていく母親に手を伸ばそうとするが途中で伸ばすのを止める。母親は消える最後に優しい笑みを見せてくれた。
 
 
 クナイはその場に膝を付き、号泣する。押し殺していた声を上げ、激しく泣く。親友のその姿を片目を瞑った状態で冶无樹は見つめる。その見つめる目は潤んでいた。
  (クナイ……)
 泣き崩れる親友の背は、恨みも何もかも無くなった何時もの優しい背中に戻っていた。憎しみに蝕まれたいた心は元に戻らないかもしれないと思っていたが、母親の言葉でそれも解かれた様だ。
 
 
 
 愛してる――その言葉で。
 
 
        *  *  *  *  *  *
 
 那弥は壁に激突し、蹲る。

  「くぅっ……お、おのれ……!!」

 体を動かそうにも動かず、那弥は痛みに悲鳴を上げる体に鞭打って立とうとする。紅葉が緑色の稲光を時折発せさせながら近付いてくる。

  「……腕も脚も使い物にならない状態で、まだ続ける?」
  「…………」

 那弥は拳を握り締めながら口を開く。
 
 
  「……我や左希にとって兄じゃは心を許せたたった一人の人だ。何時までも傍に仕えようと左希と誓った。だが、我と左希は它南嗄家が押し入ると決めた武家屋敷で死んだ……」
  「…………」
  「悔しかった……出来れば兄じゃと一緒に駆り出された戦の地にて死にたかった……」
  「……あんた」
 
 
  「殺せ……」
 
 
 その言葉に紅葉は驚く。
  「生き返る事が出来たのは嬉しいが、死人に変わりは無い……兄じゃと同じ地で還れるのなら本望」

 ……もういい。少しでも兄じゃと一緒に居られた――それだけでもう十分だ。もう悔いも何も無い。

  「兄じゃに伝えてはくれぬか?我と左希の骨を兄じゃに拾って欲しいと」
  「…………」

 紅葉は眉を八の字にする。
 
 紅葉の表情を見て那弥の口元が緩む。
  「還れと云うたであろう?お主。よく考えたら我はもう十分満足出来ている……ニ年間一緒に居られたのだ。左希はどう思って還ったかは知らぬがな」
  「……ごめん。何も知らないのに還れ何て無責任なこと云って……」
  「構わん。どっちにしろ土偶は居てはならないもの――変に感情移入は禁物だ…………」
 那弥は手に握る槍を紅葉の足元に放る。
 
 
  「お主にその槍を託す。それをどうするかはお主次第だ、好きにしろ」
  「…………」

 紅葉の表情が踏ん切りを付けたものに変わる。那弥は小さく呟き「それでいい……」と云って口元を緩める。
 
 紅葉が両腕を広げると足元に譜陣が現れ光り出す。
  「……大地を駆ける風よ……命を生み出す源の海よ……揺り籠の如く包み込む優しき土よ……温もりを与える天の光、太陽よ……」
 足元の譜陣が大きくなり、那弥を譜陣の中に。
 
 
  「万物を包み生きる糧を差し伸べ、その身に摂理を説く……我生元神世歩修解…………導け、解源天還元朝照(かいげんてんかんげんちょうしょう)!!」

 譜陣が光り出し、丁度天井に開いた大穴を通り外に光が漏れる。
 
 
 
 那弥の体がぼろぼろと崩れていく。
  「――お前、名は?」
  「……紅葉」
  「紅葉か……木々達が色付く秋の季節……紅葉する色はそれは美しい色…………」
 包帯男は立ち上がり、紅葉に語り掛ける。
 
  「お前もその紅葉の様に綺麗な色に染めれる様な何かがある……ありのままの自分でこの先生きて行くがいい。偽らず、隠さず、ありのままで……」

  「…………姓名判断みたいね」

  「そんなものだ。それをするのが我は好きだったからな……」

 ぼろぼろと崩れていき、もう少しで残りも崩れてしまう。
 
 
  「戦った相手にこんな言葉を残すのもあれだが、有り難く受け取っておけ……二度と……聞けない……」
 残りが崩れていき、天に舞い上がっていく。那弥が居た場所には骨が残っているだけだった。
  「……勿論……有り難く貰っとく」
 譜陣が消え、辺りはすっかり静まり返ってしまう。聞こえるのは誰かの叫ぶ様な鳴き声――それだけが地下部屋に木霊している。
 
 
 
  「……ありがとう。姓名判断氏さん」
 
 
 
 それに答えるかの様に、コロッと骨が音を立てる。
 
 
 
         四章③   終わり