泰志は噴水の囲いに凭れる。足元を見つめ、小さな石を蹴飛ばす。
 
 
 
  「……あんまり家の事とか話したくないけどよ」

 泰志が口を開き始める。
  「部屋でも冶无樹が云ったけど、俺は穂興島に住んでる貴族の出なんだ。它南嗄家っていって、穂興島に昔から住んでる由緒ある家らしいんだ」
 紅葉は泰志の横に座り、空を仰ぎながら聞き入る。
 
  「島じゃ頂点に立つ程の地位と権力があるのは確か何だ。生活とかに不満はないかもしれないけど……俺は居るのも嫌で我慢出来ずに二年前に飛び出して来たんだ」
  「何でこの世界に?」
  「あの世界に居るのも嫌だったんだよ!……だけど、帰ったら連れ戻されるんじゃないかって怖いんだよ!」
 泰志は拳を震わせる。本当に家に戻りたくないんだ。
 
 
  「……俺は、父上にも母上にも叩かれて火傷や切り傷付けられて……何時か殺されるんじゃないかって怖いんだ……!!兄上や冶无樹と居る時だけが俺にとっては居心地いいんだ……」
 泰志は凭れるのを止め、その場に座り込む。
  「居場所が欲しいんだ……「居てもいい」って云って貰える様な場所が……!」
  「…………」
 紅葉は泰志を静かに見下ろす。
 
 
  「兄は何もされてないの?」
  「……兄上は気に入られてるから何もされない。頭も良くて何でも出来て……俺は兄上とは違うから」
 泰志は上着を掴んで脱ぎ、背中を紅葉に向ける。服の下には痛々しい傷が残る背中が。
  「これだけじゃない。火傷の痕もあれば縫った傷もある。……俺は………生まれてくる必要があったのか……?」
 泰志の体が震え出す。頭が下がり、嗚咽も聞こえてくる。

  「俺はぁ………っ、生きてていいのか……!!」
 
 
 物心付き始めた頃から父上と母上の態度が変わった。
 「何でお前は出来ない!?この出来そこない!屑めがっ!!」――そんな言葉を浴びせられ続けてきた。兄上や冶无樹が心の支えで、唯一の安らぎだった。そんな二人の事を父上は斬り付け様とした時があった。俺は庇って背中に深い傷を負った。
 
 
 
 
  《止めてくれよ……!兄上や冶无樹は関係ないだろ!?》

  《お前と口を聞いているこいつ等も同類だ!!汚れる前に消して浄化してくれるわ――》

 俺は父上の手首を掴んで止め、刀を取り上げて放り捨てる。

  《俺が居なくなればそれでいんだろっ!!?何が貴族だ……何が気高いだ……屑なのはお前等の方だ!!恥だ……こんなとこに生れて何も誇れるものなどない――》
 
 
 
 
 そう吐き捨て俺は家を飛び出した。追い掛けて来た冶无樹に頼んで、人間界に逃げてきた。
 
 
 
 
 
 親に居なくなればいいと云われ、兄には居ていいんだと云われ……どっちが良いのか分からない。ただ俺は――居ていいんだと心の底から云われたいだけなんだ……。必要なんだと云って貰いたいだけなんだ。

  「俺は……俺は……っ……!!」
 
 
 
 すると、背中に温かい温もりが広がってくる。身から温くなる様な――柔らかくて、優しい温もりが。
 
 
 紅葉は左手を泰志の背中に近付けていた。掌から金色の光が出て、泰志を包み込む。
  「……いいよ。居ても。居ない方がいい何て人、誰一人としていないと思うから」
 泰志は振り返る。
  「根拠はと訊かれたら上手くは云えないけど、そんな目に遭って泰志は何を思った?」
  「…………俺みたいな気持ちになる奴作りたくない……」
  「その家に生まれて思う事は他にもあるとは思うけど……この傷は勲章だと思えばいい」
 紅葉は満面の笑みを見せる。
 
 
  「あ、ちょっと膿んでたから治癒しといた」
 
 
 目の前の笑顔が心に沁み渉って何かを解いて溶かしていく。

  (初対面の奴に慰められるなんてな…………俺、かっこわりぃ……)
 
 でも、これで良かったという思いも片隅にある。
 
 
         *  *  *  *  *  *
 
 冶无樹は何故泰志が帰るのを拒むのか、その理由を絹と佳直に全て話した。
 
 
  「…………そりゃ帰りたくもなくなるぜ……」

  「酷い……違うからってそんな事あんまりだわ!」

  「……あの家に戻れば間違いなく殺されるという思いがあるから帰りたくないんだ。だから与世地聖に戻るのも怖いのさ……家に戻ったとしても落ち付ける居場所がない。本来なら家が安らげる場でありたいものだがな」

 冶无樹は立ち上がり、窓辺に行き外を眺める。
 
  「とはいえ、何時までも居て良いものでもない。逃げてばかりいても意味がないからな」

  「泰志が一歩踏み出さないといけない、そういう事ね」

  「ああ」
 
 
        *  *  *  *  *  *
 
 紅葉と泰志は待ち合い室に戻る為に廊下を歩いていた。
  「そういや、まだお前の名聞いてなかった」
  「私は紅葉」
  「……紅葉に励まされるなんてな。何か情けねぇよ」
 泰志は俯き、嘆息する。
 
  「羨ましいよ。幸せそうなお前見てると……」
  「普通にしてるだけなんだけどね」
 泰志は紅葉の横顔を見つめる。
 
 
  「私はやりたい事やってきただけだよ?今別に苦に思うこともないし。与世地聖に戻ったら色々やるつもり♪」

  「何をやるんだ?」

  「まずは、知り合い増やして仲良くなる。んで色んな書物読んで歴史知って、色んなとこ動き回って世界を知る。そうすれば世界中の人と仲良くなれる!」

 紅葉は泰志の前に出て腰に手を当てる。
 
  「泰志もやりたい事あったらしたらいいよ。楽しいよきっと♪」
  「お前が云うと妙に説得力あるな」

 でも、それすれば少しは心が晴れるだろうか?
 
 
 泰志は苦笑する。
  「そうしたら少しでも心の底から笑えるか?紅葉みたいに」
  「さあーな。自分から一歩踏み出さないと……居場所見つけるにも自分を変えるにも」
 紅葉の笑顔に釣られて泰志も表情を緩める。

  (こいつは不思議な奴だな……何か和む)
 
 一緒に付いて行ったら楽しいだろうか。一緒に居たら背中を押してくれそうな気がして、付いて行ってもいいと思った。俺は――あの島を変えたい。今より強くなってもっと強くなって……そしたら変えられるだろうか。
 
 
        *  *  *  *  *  * 
 
 部屋で紅葉と泰志の帰りを待つ絹達は暫し語り合っていた。特に絹と冶无樹は似た様な境遇にある為か共感しあっていた。
  「……世話というか面倒をみるというのは大変なものだな」
  「そうね。紅葉何て自由奔放で困るのよね……」

 絹は苦笑してそう零すが何処か楽しそうにしている様にも見える。
  「楽しそうだな」
  「そう……?」
 絹は目を細め、続ける。
 
 
  「……紅葉と初め出会った頃は、何考えてるか解らない子だなぁって思ってた。行動も何か不思議で、突然可笑しな事云うの。でもね、心優しくて自分よりも他人を優先するとこがあるの。住んでた村で自然災害が起こった時、崖崩れに巻き込まれそうになった老人を庇って大怪我した事があった……」
 絹は目を瞑る。
  「一歩間違えれば死んでたかもしれないっていうのに、助けた人が無事だった事を心の底から喜んでた……誰かの役に立てた――それが嬉しいみたいなの」
 絹の語りに佳直が頭を掻きながら言葉を返す。
 
  「何にも考えてなさそうだけどな。あいつ」

  「ふふっ。ちゃんと色々考えてるわよ。戦闘の時はまるで別人だけど」

  「だよな!顔付きも変わって予想外にも俊敏なんだよ……驚いたぜ全く」

  「そんなに変わるのか?」

 冶无樹の言葉に二人は頷く。
 
 

  「ただいま~」

 
 
 部屋のドアが開き、紅葉と泰志が入ってくる。
  「おかえり」
 泰志は冶无樹の元に歩いて行く。

  「?どうした泰志」

  「……俺、帰るよ。与世地聖に」

  『!?』

  「何時までも居るのが良い訳じゃないよな、俺が一歩踏み出さないと何も変わらないよな」

  「……ああ」
 
  「ちょっと紅葉。貴女泰志に何云ったの?」
  「拒んでた様子もねぇし、吹っ切れた雰囲気だ」
 紅葉はにっと笑うだけで何も云わない。
  「別に何も言ってないよ。泰志が自分で踏み出しただけ」
 
 
 
 泰志は照れ臭そうにする。
  「……俺、逃げない。あの家と向き合って自分の行きたい道進む……」
 ちらっと紅葉を見て視線を戻す。
  「そうしたら、あいつみたいに笑えるか?」
  「……さあな。俺には分からない」
  「だよな……。あんな風に笑ってみたいからさ、俺変わるよ」

 初めてみる泰志の照れ臭そうな表情を見て、冶无樹は微笑む。紅葉に視線を向け、絹や佳直と話す姿を見つめる。
 
  「そうか……」
 ろくに誰とも関わろうとしなかった泰志がな……。初対面の奴に心開いたのか……。
 
 
 
 ――紅葉は親何てものも兄弟も知らないけど、知らない分周りの人を大切にするの。……そんな人に昔救われた。
 
 
 
 そう語った時の絹は笑っていた。あいつは何かを変えるものを持っているのかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 
  「何か紅葉さん達楽しそうですね」
  「俺達何時になったら中入っていいんだ?」

 部屋の外に居るライとケビンが話していると、一人の牧師が歩いてきて二人の前で足を止める。
 
  「何をしているんだ?君達」
  「あ、スラジィ牧師。今客人の方達が面会してて」
 ライの言葉に牧師――スラジィは微笑む。
  「そうか。外で待機中という訳だな」
  「まあそんなとこさ」
 ケビンが壁に凭れながらそう云う。スラジィは「では失礼」と云って歩いて行ってしまう。
 
 
 
 
 
 
 角を曲がったスラジィは足を止める。
  「……邪魔者が増えやがった……」
 顔の前に掌を翳し、窓の外を見やる。窓ガラスには別人の顔が映っていた。
 
  「時は充ちた……これで晴らせるよ、母上――」
 
 
 
 首から提げる青い宝石が鈍く光る。
 
 
 
         三章④   終わり