江南市が男女共同参画宣言都市であることを知ったのは、引っ越してから5か月ほどたった日のこと。資源ゴミ出しをめぐって、環境課との話し合いが暗礁に乗り上げ、どーしていいものかと、ある市会議員のもとを訪ねたときのことだ。
議員室の壁に江南市男女共同参画宣言が掲示されてるのが目に留まり、思わず「江南市って男女共同参画宣言してる市なんですか」とつぶやいてしまった。
市議は、「そうなんです。江南市は愛知県で一番早くこの宣言したんですよ。いいかげんもうはずそうかと思ってるんですけど」と苦笑しながら言った。
さもありなん。働く人(勤め人)がごみも出せない江南市。5か月暮らしたけど、まわりに男女共同参画実現に取り組んでる具体例も見当たらなければ、空気もなかった。
そもそも男女共同参画社会とは何か。男女共同参画社会基本法によれば、
「男女が社会の対等な構成員として、自らの意志によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的・経済的・社会的および文化的利益を享受することが出来、かつ共に責任を担うべき社会」(第2条)とある。
とても抽象的言い回しだ。が、要するに男女平等でやりましょう、ということだ。だったらなんで分かり易く男女平等としなかったのか。
男女共同参画社会基本法ができたきっかけ、それは1995年北京で開かれた第4回国連世界女性会議といえる。180を超える国から政府の代表や市民ら約5万人が参加。20世紀最大の国際会議と言われるこの会議で話し合われたのは、当時、世界の女性をとりまく様々な問題について。女性の教育、健康、貧困、性的被害者への扱い、人権抑圧、政策決定の場での少なさなど、現在でもあまり改善されていない問題だらけなのだが、とにかく、会議では女性の地位向上のための具体策である行動綱領が採択され、38項目の北京宣言が発表される。
日本はそれを宿題として持ち帰り、策定にとりかかったのが「男女平等基本法」。自社さ連立というリベラルな政権のもとだ。その中で選択的夫婦別姓導入や非嫡出子差別撤廃などが議論の俎上に上がる。が、1998年自民・公明連立政権となり、基本法は「平等」を嫌う政府を配慮して「共同参画」と言い回しを変える。で、1999年男女共同参画社会基本法が誕生する。
言葉の力は大きい。たとえ数文字でも、それが法律の看板にあると影響力だ。平等が共同参画になったせいで、当時から今も続く女性差別の深刻さがトーンダウンしてしまったと感じるのは私だけか。何とかせなあかんがね、と北京で迫られた緊張感もどこかへ行ってしまい、平和で平等?な日本においてはビール片手に片手間でやるようなニュアンスのものになってしまった。
後で知ったことだが、江南市会議員の中にも、男女共同参画を男女仲良く、夫婦仲睦まじく、とカン違いしてる人がいた。その顛末は次回に。