今日はブログを書こうと思ってた。
入院したときに1年後生きていたらブログを書こうと思ってた。




2023年の7月5日に緊急入院してちょうど1年たった。

<経緯>
私は2023年4月末から息切れが発生し、疲れやすくなった。
また寝ているとき、座った状態でないと寝れなくなり、毎日寝不足だった。今思えば典型的な心不全の症状だったのに、なぜすぐに病院に行かなかったのかずっと悔やんでいる。

2か月ちょっとの体調不良が続き、自分では年のせいか、太ったせいかなのかと勝手に判断し、一日の食事は夕食だけというブックスダイエットを実施していた。一定数体重は落ちたが、ある体重からまったく落ちなくなった。「これがダイエットの停滞期なのか」と勝手に納得していた。今思えば、残りの減らなかった体重はうっ血性心不全で溜まりにたまった水分である。

息苦しく、疲れやすくなり、「ダイエットはこんなにつらいものなのか」
でもダイエットは辛くて当たり前。全国にダイエットを実践している人はたくさんいる、みんな頑張ってるんだから俺もがんばろう、と勝手に頑張ってた。

<なにかおかしい>
ダイエットの苦しみにしては、歩いているだけでつらい。はじめてダイエットをやったわけではない。階段を休み休み上っている。早歩きしている人と一緒に歩いてるとついていけない。仕事が落ち着いたら病院へ行こう。それが7月5日だった。

もちろん心不全を疑ったことはあると思う。なぜか自分の足に浮腫みはなく、判断を遅らせる原因となった。

<不幸中の幸い>
私が最初に訪問した病院は街の循環器内科だった。
なぜ最初から循環器にいったのか?
それは、会社の産業医と話す機会があり「あなたの症状なら循環器内科に行ったほうがいい」(すぐいけば良かったけど2ヶ月後に行った)とアドバイスされていたのだ。
今はもういないが、そのときの産業医には感謝しても感謝しきれない。

循環器内科で「心不全ですよ!」と言われたときは衝撃だったが、よくある誤診にみまわれることはなく、即刻入院となった。

<衝撃のEF5パーセント>
あまりにも悪いEF。「よく病院までこれたね!」「全国の循環器専門医だったら、だれでもいつ亡くなってもおかしくない、と言うでしょう」
それが循環器専門医の一言だった。
将来人工心臓、まずはWCD(着用型除細動機)の着用、ICDやSICDの手術は必至だと言われていた。ここまでの詳細は今までのブログに書いている。

<人生に絶望>
自分は間違いなく先が長くない。
絶望した。間違いなく人生で1番辛い時期だった。
「まだこの先どうなるかわからない。悩むのなら、どうにもならなくなった時に悩めばいい」という妻の言葉に励まされた。

つまり、悩むべきことだけど、毎日悩んでないでってことかな。

<幸い今は落ち着いている>
明らかに疲れやすくはなっているが、

一年間は

・再入院は無し
・仕事は継続(比較的軽めなデスクワーク、週に1〜2回程度在宅ワーク)
・薬の飲み忘れ ゼロ回
・CPAP(心不全に悪影響を与えていると思われる睡眠時無呼吸症候群の治療装置)の付け忘れ ゼロ回
・毎日ふくらはぎの運動(やらなかった日はあると思う)
・外食でラーメンを食べた回数 1回

そして、EFは今のところ上がり、BNPは下がっている。

今後どうなるかわからない。先のことを考えると絶望する。
それでも「まだこの先どうなるかわからない。悩むのなら、どうにもならなくなった時に悩めばいい」という言葉のとおり、過ごしていきたいと思う。