いまを受け入れる | 湧flow

いまを受け入れる

「いまを生きる」というロビン・ウィリアムス主演の映画があります。
全寮制エリート男子校に赴任してきた型破りな教師が、多感な生徒たちに「いまを生きる」ことを教え、生徒たちが生き生きと変化していく青春映画です。途中悲しい事件もあるのですが、全体的にはさわやかな作品。

先々週から、日曜の朝日新聞に精神科医の香山リカさんが連載してる「仕事力-あいまいも悪くない」という文章が気になっていて、2回目までを読んで浮かんだ言葉が「いまを生きる」ならぬ「いまを受け入れる」。
求人のページに書かれているので、主旨としては「『何が何でも自分の理想の仕事を見つけなきゃいけない』『誰かが自分の隠れた素質や才能をきっと見いだしてくれる』という幻想にとらわれずに、もう少し肩の力を抜いて仕事してみない?」というものですが、その中の「やりたいことは明確に意識できない」という見出しが気に入りました。

「意識」に対しては「無意識」という言葉がありますが、以前はまっていたユング心理学では、「意識」っていうのは氷山の一角で、その下に巨大な氷山である「無意識」が層を成しており、夜みる夢は、この無意識がみせる業なのだという考えをするようです。
「やりたいことは明確に意識できない」っていうのは、「自分でわかったつもりになっていたことなんか、本当はほんの一部分で、もっともっと広く深いものがあるんだよ」ということなんだろうと思います。

いろいろな体験を通して、少しずつ少しずつ自分の心の状態をさぐりながら生きていくことでしか、「無意識」に触れる術はないのかもしれません。

また、「失敗してしまうのは、心が失敗したいから?」という見出しも気になりました。
いやだいやだと思っていたけど、結局落ち着いてしまった「いま」は、本当のところは自分の無意識の部分で望んでいた「結果」だよ、ということ。

私の作品は、決して強烈な個性を放つエッジの効いたかっこいいものではありません。その結果を「自分で望んでいたんだな」と、その都度受け入れる。
そしてまた、次の作品に取りかかる。
意識の上では「近道して一番乗り!」「一瞬のうちに多くの人の目を奪う作品」がかっこいいと思っているけど、本当は地味にコツコツを無意識に欲しているのかもしれないなぁ…カメ