5月の中旬に、橿原神宮に行ってきました。
第一の鳥居の手前で、たまたま近くにいらっしゃった警備の方が、境内の案内図を下さり、通りがかった数人に、ご親切に神社の見所の説明もして下さいました。ありがたや~
来年は御鎮座百三十年記念大祭だそうです。
その一環で、台湾阿里山産の総檜造りの4つの鳥居を改修しているそうです。
現在、阿里山は保全地区になり伐採禁止のため、カナダ産の檜が使われているとのこと。
第一鳥居は春に完成したばかりです。
上部の笠木と島木は今までのものが引き続き使われています。
生き生きとした色合いの新しい柱と、古の趣をたたえた笠木の組み合わせが、令和の新しい時代の象徴のように感じました。
外拝殿と大きな絵馬。
本殿は、ここからは見えませんが、元京都御所の賢所を移築したものだそうです。
そのすぐ右手の、皇后陛下御歌碑と、奥にちらっと見えるのがさざれ石です。
一旦南神門を出て、深田池沿いの西参道へ。
少し歩くと長山稲荷社があります。
木々が生い茂った木陰の中を歩いて行きます。見上げると、すごくちかくで、可愛い野鳥がさえずっています。詳しくないので名前はわかりませんでしたが、橿原神宮のある畝傍山は、いろんな野鳥にも出会えるスポットでもあるようです。
再度、外拝殿の前を通り、北神門を出て、若桜友苑へ向かうつもりが、誤って1本早く左折したため、知らず知らずのうちに、畝傍山登山道の方に入ってしまいました。
蝶がたくさんヒラヒラと飛んでいて、虫全般苦手な私は、心の中で、ちょっと待って、ヒェーと軽い悲鳴をあげながら、でも桜井識子さんの本には、歓迎の印って書いてあったよな、と、ありがとうございます~、ひぇ~とちょっと変なテンションで、坂道を上がっていました。
なんか道違うぞ?と思って引き返そうか迷っていたところ、橿原神宮のパンフレットには載っていない神社がありました。
東大谷日女命神社(ひがし/やまとおおたにひめみことじんじゃ)
※読み方が二通りあるようです
徳川時代には、氏神・熊野神社として熊野権現をお祀りされており、その祭神は伊弉冉尊だったそうです。
明治20年頃から、東大谷日女命神社とし、祭神を神功皇后へ変え、その後、姫蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)に変更、明治35年に社名を東大谷日女命神社に変更したそうです。
ひっそりとした佇まいで、歴史を感じるところでした。
また道を戻り、若桜友苑へ。
第13期海軍甲種飛行予科練の戦没者慰霊碑や、航空母艦「瑞鶴」の戦没者慰霊碑などがあります。
そして、神武天皇陵へ。
端を歩いていると、木々の間から、なんか寄ってきた、と思ったら、蛇さん登場
爬虫類も苦手なので、ひゃ~€%#と自分でもよくわからない声が出て、のけぞりそうになりました。
歓迎の印…と思いたい 笑
前から歩いてきたお兄さんは、何がいるの?と蛇をみつけて、写真撮影されていました。
私にはさんの写真撮影は怖くて無理です 笑
神武天皇陵です。
警備の方に教えて頂いたのですが、上皇上皇后両陛下が退位前に橿原神宮を訪れたニュースで参拝されていた映像は、橿原神宮の本殿ではなくて、神武天皇陵の方なんですよ~、よく間違われるんです、と仰っておられました。
ちょうど周りには誰もいなくて、とても静かな中、ゆっくりお参りさせていただきました。
お昼ご飯を食べて帰りたかったのですが、駅前は飲食店が少なめで、方向音痴なのか、ネットで見つけたお店が見当たらず。
天王寺までもどって、ViaあべのWalkにある、インドレストラン、ガンジスでカレーを食べました。おしいかったです