今日も来ていただきありがとうございます。

いつも読んでいただいて

ありがとうございます。

 

さて、今回のこの記事は、私の個人的意見として、N H Kさんにも郵送しました。

N H K放送局さんには一般視聴者からの意見を受け付ける窓口があります。

ほんの一ファンの声ですから、微々たるものとは思いますが・・・。

令和になって日本の21世紀もいよいよ本番です。

放送文化もまた、何をどう引き継ぐかが大切な課題。

ドラマ「大草原の小さな家」に関心のある方は、

どうぞご一読ください。

 

いつの間にか声優という職業が

子供たちのあこがれランキングの上位になった。

まるで人気タレントやアイドルみたいに。

 

「声優アーティスト」などと呼ばれる人たちもいると聞いた。

自分たちの子ども時代にはなかったことです。

 

アニメが日本文化として世界中から支持されると、

声優さんたちの活躍にもスポットが当たるようになったみたいです。

まさにタレントやアイドルと同じ。

声優ご本人の写真公開も当たり前のようになって、

スタイリストの付いたモデルさんのようでもあります。

 

私たちにはまだ「声優」という言葉すら、

新しくてなじんでいない。

「声の人たち」、「声の出演者」とでも

以前は言っていたでしょうか。

昔のベテラン声優は、

なるべく顔を出さないようにもしていました。

外国の映画やドラマの吹き替えもしているわけですから、

ご本人がお顔を下手に出してしまうと、

役のイメージを壊してしまうとお思いになったからです。

だから声の出演者は、

なかなかお見かけしない人たちでした。

 

ところが、今では、大々的に声優さんを

専門に養成する学校もできました。

声優の事務所もたくさんできているようです。

そして声優が雑誌やテレビにもどんどん出てきます。

顔写真もネットに出ています。

ご本人さんたちもきっとアニメ世代で、

アニメが好きで、アニメのキャラクターになりたくて、

そういう動機でこの世界に

入ってきたという気がします。

 

声優の学校とか養成所とかですけど、

声優の訓練をみんな同じように受けさせて、

それを土台にして、事務所などに所属するのでしょう。

ですので、そういう世代の声優さんのアフレコは特徴がある。

実際に声を当てた映画やドラマ、アニメなんかですけれど、

それを視聴すると、実に活舌が良くて、聞き取りやすい。

声に一定の張りを保った発声ですね。

その反面、教科書通りの画一的な話法だと感じます。

その技術はアナウンサーに近いと思います。

緊急災害時に避難を呼びかけるアナウンスには最適でしょう。

そういう声は普段の生活にはないし、生活音ではない。

作品によってはその方がよいケースもあるのでしょう。

そういう作品には、

多くのファンもいらっしゃって、支持されているようですし。

 

しかし、シリアスなドラマや映画の場合、

感情の細やかさや情緒は感じられません。

つまり、人間的な個性がなくて、全員同じように聞こえます。

そのお芝居の中の、そのドラマの中の、

生活に根ざしていない声という感じで、

違和感が大きいのです。

セリフがくっきりはっきりの棒読みです。

いかにも「声を当てましたよ」という、

その声だけが個別に主張していて、浮いていて、

画面に映った登場人物やキャラクターと

一体になっていません。

 

長年続いてきたような、

昔の名作をリニューアルする場合には、

新しい声優さんには気を使っていただかないと、

演出家もしっかり指示していただかないと、

せっかくの名作を損なう原因になります。

もちろんその声優や演出を

良しとして放送するのは制作者です。

制作者側が長年放送してきた大事な作品を、

どうして壊すような真似をするのか、

あまりの豹変ぶりには、

頭をかしげることが多くなってきています。

 

あの「大草原の小さな家」もいつの間にか

新しい吹き替えに変更し、NHKBSで

放送されているようです。

元の吹き替え音声の劣化も原因の一つではと

言われているようですが、

技術的に本当にどうにもならなかったのでしょうか。

何とか元の音声だけは、何とか工夫して残してほしかった。

この作品の生命線だったから。

 

何でも新しく作り直されると、

「昔のほうが良かった」と、単なるオールドファンの

愚痴のように聞こえるかもしれませんが、

元の吹き替えを超える声優陣は

絶対に出てこないと断言できるのがこの作品です。

 

私が小学生のころに始まった、

古い作品ですから、元の声優の声で

このドラマを見て、育った大勢の人たちがいる。

そのみんなが、刷新すべきでなかったと言うはずです。

 

せめて前作と肩を並べるくらいにするのにも、

新人の発掘やら役作りのさせ方やら

大変な努力がいる仕事だと思います。

その努力も見られないリニューアルが多すぎて、

何でもやればいいというものではない。と思うのです。

 

昔の素晴らしい作品は、

だんだんと再放送されなくなっています。

全部ほとんどDVDになって商品化されてしまっています。

するとその一方では、テレビでもう一度見たいと望む、

そういう気運も高まります。

「大草原の小さな家」も商品化されましたけど、

それとは関係なく、NHKさんは再放送を定期的に

繰り返し続けることができないのでしょうか。

NHKさんがやってきた番組の中には、

時代を越えて継承していくべき作品の数々が

あると思います。

「大草原の小さな家」はそのうちの一つです。

大勢のファンがこれを見て育ち、

自分たちの子にも見せたいと願っています。

NHKさんが気づいていないわけがないです。

 

もう前作は放送しないから

商品を買いなさいという部分。

前作をいじり倒して、

別物のようになったものを

あえて放送する部分。

こういうのが同居している居心地の悪さ。

どうしていつもこうなっていくのかと思います。

変えてはいけないことがあるはずです。

 

今回「大草原の小さな家」の場合は、

新規で翻訳も吹き替えも全てを刷新して、

NHKさんはBSで放送しています。

いつかそれが回り回って、

Eテレなんかにお下がりで来たら、

嘆かわしい限りです。

見たくないのはもちろんのこと、

誰にも見せたくない。

誰にも勧められない。

たいへん残念なことです。

 

商品化された昔のものは、利権の関係で、

もうテレビで放送するのが難しい。

だから再放送のためには、訳も声も変える。

素人なりに私はそう解釈しています。

ジブリアニメなんかは商品化されてますけど、

毎年のように民放で放送されています。

違いはいろいろあるんでしょうけど。

なぜNHKさんもそれができないのでしょうか。

 

古い素晴らしい作品ほど、大勢のファンがついています。

「大草原の小さな家」は40年以上愛されてきました。

そういう人たちには、再放送があっても、

あちこち変更して昔のままでないなら、

とても残念で見ることはできないでしょう。

もし見たいのなら、DVDを買うしかない。

買いなさいと言われているようなものです。

しかしそういう問題ではないのです。

今初めて視聴する若い世代にとっても、

オリジナルの作品のほうがいいに決まっている。

絶対そうあるべきだと、

ファンならみんなそう思っています。

 

他に声優陣の選択肢が、

二つも三つもあるという、

これは、それでいい作品ではありません。

 

私は、NHKのBSで「大草原の小さな家」が

ご新規で放映されているのを最近知りました。

偶然その番宣を少し見たんです。

主人公のローラの新しい声をほんの少し聞きました。

で、もう、その瞬間に、ご新規の「大草原の小さな家」が、

どういうことになったかわかりました。

で、そのとたんに私は決意しました。

もしも、もう一度この作品を見たいと思ったときは、

「通販でオリジナルを購入するしかない」と。

私のように思う人が多いとするなら、

もしや多くのファンにDVDを買わせようとするための、

今回の事はそういう新手の商法なのかなと、

邪推もわいてしまいます。

作品をずっと大切に思ってきたファンなら、

理解できない刷新が起きると、

大きく動揺します。

自分の家族のように愛してきた作品を

確保して守ろうとして、

DVDの購入に拍車がかかることがあると思います。

それで一体どこが得をするのでしょうね。

そういう裏の損得利害を離れて、

「大草原の小さな家」をNHKさんには

保護しておいてほしかったです。

いつでも定期的に放送できるように、

音声の保守にも努めて、

国民の宝物として扱ってほしかったです。

 

ドラマの放送開始当時、吹き替えのメンバーは、

ローラ役もメアリー役もその他の子どもたちの役も、

同じ年代の子供たちが声を当てているはずです。

ローラ役の佐藤久理子さんもメアリー役の石川弘美さんも、

きっと児童劇団か何かに入っていて、

抜擢されている可能性が高いと思います。

だから映像の中の子どもたちが、

本当に日本語をしゃべっているかのような錯覚を

してしまうほど自然でした。

そもそもローラ役のメリッサ・ギルバートの地声と

佐藤久理子さんの声が似ています。

そしてドラマの中の子供たちの成長と同じく、

吹き替えしている子供たちも同じ速度で大きくなる。

つまり、映像と声とが完全に二人三脚で、

一体となって進行していたのがこの奇跡的なドラマです。

BS用に新しいローラの吹き替えをした声優さんは、

二十代半ばの女性だと聞きます。そのお方が、

「シーズン1」の幼い少女、8歳くらいのローラを演じる。

もうそこから無理が出てしまっていることを

私たちに強く感じさせます。

 

NHKのサイトには

「大草原の小さな家」の新しい声優さんたちが

顔写真で紹介されていました。

これらの若い声優さんたちは、NHKさんから

お仕事を依頼されただけであって、

言われた通りにしただけでしょう。

だから、

ネットであちらこちらから、悲鳴のように上がる、

違和感の声は、

新しい声優さんのせいばかりではありません。

刷新をやるならやるで、NHKさん側に

もっとやり方があったでしょうに。

 

いいものには、必ずいい理由があるのです。

それを後世に伝えていくのも大事なことです。

一番これが最高って、わかっているのに、

ベストのオリジナルがあるというのに、

何かにつけて「多様化」という言葉で迷わされて、

あれもこれもと、二番煎じ、三番煎じはいりません。

日本の「大草原の小さな家」は、一つだけです。

放送はそれに限ってほしいです。

 

翻訳も変える!? 森みさの名訳を。

それも商品化した利権のせいでしょうか。

あれだけのすてきな翻訳を

変更しなければならないなんて。

古い昔の話なので、

現代には通用しないセリフの

言い回しや言葉遣いがあるって!?

他国の開拓史が舞台なのですし、

当たり前のことじゃありませんか。

歴史の勉強だと思えばいいです。

むしろ昔のドラマなのに、

今風な言い回しや

現代語が飛び交う方がおかしいです。

それは、伝統芸能も否定することになる。

落語も能も浄瑠璃も歌舞伎も相撲も

昔ながらの格式と伝統の良さです。

言葉も用語もよっぽど意味不明の世界です。

しかし、素晴らしい文化として、

慣れ親しんでいるうちに、

その味わい深さ、趣というものがあります。

「大草原の小さな家」は、当時のNHKさんが生んだ、

放送文化の高級な文化財と言える作品です。

このドラマのセリフもやりとりも、

今時のドラマよりよっぽど美しいと思いますけど。

 

何よりも、人間味のあふれる、

日本の俳優陣が情感豊かに、

かけがえない個性的な声を当てている。

その迫真の演技と息遣いの見事さ。

おかげで完成度の高い芸術的な作品になり、

子供から大人まで見ごたえのある、

非常に優れた重厚な人間ドラマになっています。

これを見ている時の、そして見終えたときの、

幸福感、充実感は今なお

たまらないものがあり、

いつまでも再放送して見せるべきだった。

そういうNHKの宝物だったはずです。

どんなに時間がたっても変更しないという、

作品の誇りを示してほしかった。

 

ファンならみんな、

このドラマを心の故郷としていて、

チャールズとキャロラインを心の父母と思い、

ローラとメアリーを心の姉妹と思い、

このインガルス一家を

自分たちの家族のように感じてきたわけです。

それもこれも、俳優さんたちの真剣な、

アフレコの演技力のすごさにありました。

 

ちなみにインガルス一家に

養子として迎えられるアルバートの声は、

今バラエティーなどでご活躍の

坂上忍さんです。

 

引用・ミドルエッジ

 

父さんのチャールズは、柴田侊彦(てるひこ)さん。

母さんのキャロラインは、日色ともゑさん。

ローラは、佐藤久理子さん。

メアリーは、石川弘美さん。

エドワーズは、金井大さん。

お医者さんは、穂積隆信さん。

牧師さんは、巖金四郎さん。

などなど、他にも代わりのいない声の皆さんが

この作品に集まっています。

その配役以外には考えられません。

 

私は、ローラの少女時代のエピソードが好きです。

中でも「ローラの祈り」(前編後編)はたくさんの人たちに

支持される、最高にドラマチックな物語です。

アメリカの名優、アーネスト・ボーグナインが

ジョナサン役でゲスト出演。これが効いてます。

その吹き替えを日本の名優、田崎潤さんがしています。

これがまた味わい深くて、田崎さんの声って絶妙です。

初放送が1975年の10月で、

小学生の私はテレビの前で釘付けになり、

痛切なほどの共感と素晴らしい感動をもらいました。

世の中にこんなにも美しいドラマがあったなんて。

 

私たちは、他言できないような罪の意識や

人知れぬ苦悩を抱いて生きています。

ローラが暗いうちに起きだして、

犬のジャックがついてこないように振り切り、

高い山頂を目指して上がっていくとき、

私もローラと一緒に山登りしていたんです。

そして、高い岩山の上に到着したローラが、

まだ幼いのに胸の痛いほどに自分を責めて、

誠心誠意、神に祈る時、

私も一緒に神に祈っていたのです。

そしたらジョナサンと巡り会えた。

あんなすてきな人。

そのジョナサンと暮らすひと時に癒されながら、

ジョナサンから知らされます。

あなたはもう神様から許されていて、

神様はあなたを心から愛しているんだと。

ローラと一緒に私も救われた。

清々して浄化された。

父さんが迎えに来てローラを連れて帰ったように、

それを見終えた私も自分の人生に帰っていく。

そういうリセットをしてくれる、

大事な物語なんですね、これは。

で、そういうふうに、ドラマの中に自分も飛び込むことを、

私たちファンは、再放送のたびにしてきた。

ローラ(佐藤久理子さん)と一緒に生きるわけです。

毎回一緒に生きることを楽しみにしているんです。

それをすぐに、「なんだ、キリスト教か」とか、

そういう軽口で済ませる人は、

ほんとに苦しんだことがないので、

この物語は響かない。

いや、そういう人は何を見ても聞いても

心から震えるという体験を味わうことはない。

誰にとっても苦しむというのは、

成長するための試練でもあるわけです。

それをドラマの主人公が自分と共に頑張ってくれる。

それが「ローラの祈り」。

人間や人生を見つめる機会を与えるテレビドラマなんて、

今はめったにありませんから、

「大草原の小さな家」は貴重です。

そしてそれは、元の声優陣があってこその価値です。

 

 

私はこの話が好きすぎて、30数年前、

「とし子の祈り」なんていう脚本を勝手に書いて、

当時勤めていた塾の塾生や先生らに

配役を依頼して、

ハンディカメラで撮ろうとしました。

「ジョナサンの山」には、

黒澤明監督「隠し砦の三悪人」のロケ地が

いいなぁと思って、

そこへ下見に行ったくらいです。

いざやろうとして、

もちろん却下されました。

近くの小児科の先生に出演を頼んだりもして、

これも辞退されました。

塾ですから、そういうとこじゃないですから(笑)。

一体何考えてんですか、ということです。

若気の至り。

今では懐かしいことです。

もともと、

授業の中でも、

自宅で録画した「大草原の小さな家」の

VHSテープを生徒たちに見せるくらい、

私自身が熱いファンだったなぁと思います。

この作品の教育的価値を

認めていたからです。

とにかく内容が素晴らしい。

今、この作品のDVDをすべて購入して、

自分の子供たちに見せる親が多いようです。

社会問題を扱っている、暗く難しいような

エピソードもありますが、親子で話し合うこともできる。

 

たいていの話は楽しくて、とてもよくできてます。

本当にいいものを見たと心底満足する。

音楽も素晴らしいですし、

心の充足感が半端ないドラマです。

家族で見て、泣いたり笑ったりもできる。

 

私が常に秀逸だと感じてきたのは、

食卓のシーンです。あるいは、

食前食後も含めた一家だんらんの時間を、

このドラマはとても豊かなものに描いています。

貧しい西部開拓者のつつましい暮らしぶりですから、

高価な食材でもホテルのレストランでもないのですが、

この一家の食事風景こそ、

世の中で一番豪勢なごちそうです。

母さんの心がこもる手作り料理を

父さんがとても楽しそうに食べて、ほめちぎる。

心あったまるジョークも父さんの得意技。

食卓に笑顔の花が満開です。

子どもたちの消化吸収にもよいでしょうね。

まるで視聴者はそのテーブルに招かれた客人、

いいえ、私も家族の一員として大いに楽しみ、

あの手造りのイスにくつろいで座っていたのだと思います。

とても幸せな気分で。

 

「ローラの祈り」

当時の私はハンディカメラで

小児科の先生と診察室が

撮りたかったわけですよね。

 

生まれたばかりの乳幼児が亡くなってしまう。

そういうお医者さんの場面がありましたから。

 

ドラマの中では、

一家には初の男の子誕生で、

特に父さんは興奮して大喜び。

あまりに父さんが赤ん坊に熱心になりすぎて、

他の娘やローラへ関心がいかなくなってしまう。

その前に、父さんとローラの仲の良いエピソードが

何話か続いてますから。それも伏線になっていて、

ローラに嫉妬が生まれます。父さんを横取りされた気持ち。

こういうのは兄弟姉妹でよくある感情ですね。

「赤ん坊なんて・・・」っと、ローラが思い始めた矢先に

その弟が突然死んでしまう。

それで、赤ん坊をよく思わなかった自分を責めて、

弟の死を自分のせいだと思うようになる。

 

幼いころから朝な夕なに祈る生活です。

祈りは神様に届くという信仰ですから、

しばらくでも弟の事を邪険に思ったら、

それが弟に悪影響を与える可能性がある。

弟の病気が発覚してすぐに考えを改めて、

弟を助けてくださいと思っても、

もう遅かったのだというローラの気づきがあり、

その反省の苦しみでいっぱい。

自分が悪かったのだから、

自分の命と引き換えに、

弟を父さんに返してほしい。

自分が神様の所へ行く代わりに、

弟を返してください。

高い岩山の上で、そのことを神様に祈ります。

 

こういう、行き場のないような人生の苦悩を、

視聴者に届けようとするドラマでは、

優れた性格俳優の吹き替えなしにはできません。

赤ん坊を失ったという一家全員の悲しみも

背景になっているわけですから、各々が、

それを声で表現できなければならない。

言葉の響きや声音、声色で人生の奥深さ、

奥行きを表現できるのは、それをすることを

第一に目指してきた性格俳優です。

ジブリアニメでも吹き替えとなると、

宮崎さんも高畑さんも、

舞台や映画やドラマなどで実績のある

ベテラン俳優ばかり指名して起用していました。

学校しか出ていない若い声優、

マニュアル通りにしかできない声優、

そういう方々には無理で不可能な仕事だからです。

 

「大草原の小さな家」にしても、

ドラマを生き生きと脈打たせたのは、

前作の吹き替えだったわけです。

これは当時のNHKスタッフの大手柄です。

ずっとずっと定期的に再放送を続けて

この成果を守ってほしかった。

声優の仕事が何か、そこにあると思うから。

2百年たっても3百年たっても

古びない貴重な成果は、

それはその通りの扱いをしないといけません。

下手に新しい声を当てるくらいなら、

字幕を付けた吹き替えなしの方がいい。

字幕はもちろん森みささん訳で。

 

長らく続いたような

人気作品の声優を替えるときには、

ファンにも意見を求めてほしいです。

どうしても声優を替えなければならないのなら、

一般の希望者も大勢審査に加わり、

一般投票にしてはどうですか。

一般公募もいいですね。

ファンを置いてけぼりは悲しいです。

 

ローラ役のメリッサ・ギルバートが、

半生の暴露本を出していることを

この記事を書いている途中で知りました。

本が出たのが10年くらい前のことらしいですけど。

目を覆うような内容の本みたいですね。

500ページもそういう内容を読みたくありません。

その代わりに私は、

ネット上の、読んだ人の感想をたくさん見せてもらいましたよ。

主役級の出演者が不祥事を起こし、

そのドラマがお蔵入りになるということは、

日本でもあることで、熱心なファンにとっては、

裏切られた残念さがあります。

暴露本はまるで自爆テロのようなぶち壊しで、

それ以前の名作に水を差される行為でしょう。

私もいろいろと考えた末、こう思うことにしました。

しょせんは暴露本です(笑)。

そういう低俗な暴露本を出すのですから、

内容の真実性うんぬんよりも、

まずは売ることが一番の目的だったろうと思います。

メリッサにはそれが必要な状況だったのでしょう。

そして、ローラ役のときの思い出は、

そのかっこうのネタになったのです。

普通に書けばなんでもないことも、

わざと刺激的な書き方をすることができます。

書き方次第であっと驚かせることもできる。

そう踏み切ることで書けるのが暴露本。

そう思うと、

優等生のメアリーとは違って、

いたずらっぽく赤い舌を出して笑う、

ローラの姿が浮かびます。

何かたくらむのもお手のもので、

そういう茶目っ気が、

「大草原の小さな家」に生かされて、

たくさん笑わされました。

砂金でぼろ儲けを夢見たり、

乞食に扮して物を売ろうとしたり、

ドラマの中のローラも

なかなかの野心家で策士ぶりを見せます。

そしてそれは全部、家族のためや、

誰かのお役に立ちたいという、

心の優しさから出ている行動力です。

そういう人間的な幅の広さを出せる子役として、

マイケル・ランドンはメリッサを一目見て選んだと思うのです。

アメリカンスピリットを代表する西部開拓者の魂を

ローラ役からも発揮させたいお考えのようでした。

つまり、チャーミングなかわいらしさと共に、それ以上の、

困難を乗り切ろうとする、強くて明るいたくましさです。

それはいつまでも、当のメリッサの中にも健在だろうと、

そう思っています。

 

それに今日たまたま、あるブログさんで、

NBC「Today Show」という番組の、

「大草原の小さな家」放送40周年を祝った動画を見ました。

2014年の放送ですから、メリッサの暴露本から5年後です。

スタジオに集まった8名のメンバーを役名で言うと、

キャロライン、ローラ、メアリー、キャリー、

アルバート、ネリー、アルマンゾの7名で、

チャールズこと他界したマイケル・ランドンには

その代役で実の息子さんが参加。

 

The Illustrated Little House Prairie Episode Guide

 

みんなまだきれいで、かっこいいですね。

和やかで、楽しくて、笑いの絶えない、

みんなよくしゃべって、懐かしい同窓会みたいです。

出演者みんなのお父さんだったというふうに、

マイケル・ランドンを写真でしのんでいました。

こういうのを見ると、暴露本の確執は全くありません。

アメリカの芸能関係の暴露本なんて、よくある副業として、

出演者全員了承済みって感じを受けました。

もしもメリッサの暴露本が許せないなら、

これだけ多くのメンバーが同席することはありませんし、

同窓会の企画は流れたでしょう。

集まるのは、いつまでもファミリーなんですね、お互いが。

皆さん元気そうで何よりでした。

 

追記

本場アメリカの芸能界こそ、輪をかけてすさまじい世界かもしれません。生き残るには厳しい現実があるのだと思います。

大人になったメリッサにもきっといろいろあったことでしょう。スキャンダルな自伝を出すに至ったのには、何か精神的なものも多分に影響しているかもしれません。暴露本の出版は、そうでもしなければとても自分を維持していけないような、そういう状況があったかもしれません。私たちは想像するしかありませんけど。

いずれにしても、何がどうであろうと、「大草原の小さな家」が素晴らしい作品であることに変わりはありません。そして、二百数話にも及ぶ、ドラマ史に残るこの大傑作を築くためには、メリッサ・ギルバートの出演が必要だったことも事実です。メリッサの子役としての素質を見抜いたマイケル・ランドンが、メリッサの力を認めてほれ込んだからこそ、メリッサの抜群の存在感と能力を引き出せたのです。おかげで今なお万人が愛してやまないローラ(メリッサ・ギルバート/佐藤久理子)が、この名作と共に私たちの中に生き続けています。そのような幸せをもらえたせめてもの恩返しに、二人のローラのご活躍とお幸せを祈り続けたいと思います。