はじめに。





この記事は2年前に一度投稿し
その後保存していたものです。





一部加筆と訂正をして
再度投稿します。

















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わたしは三姉妹の三女。












小さい頃のわたしは



親思いの
優しい子どもではなかったと思うぶー















3人の中では一番やんちゃくれで
言うことを聞かず周りを手こずらせ



いたずらをしては
周囲の反応を楽しむような子どもだった。




自分でいうのもなんだけど




両親は子育てにかなり苦労したと思うにやり

















そんなわたしだったけど

いつも心のどこかで孤独を感じていた。





甘えたいのに素直に甘えられない
思っていることを言葉で伝えられない。





今思うと





とても不器用な子ども時代を
過ごしていたなあ。






























5歳年の離れた

両親にとって理想的な娘だったとおもう。







しっかりしていたし
勉強もできたし

親に楯突いたところは見たことがない。






仕事を掛け持ちしていた
忙しい母に代わって

わたしたち妹の面倒もよくみてくれた。







姉であり母親のようでもある人。







結婚して離婚を経験して
ひとりで5人の息子を育てた
肝っ玉母ちゃんで



みんなから頼られる存在であることに
今でも変わりはない。
























ひとつ上の年子の姉

長女とは真逆で小さい時から
ものすごく甘えん坊ねー






見たくないものは見ない
やりたくないことはやらない!笑






でもそんな姉を母は溺愛。

分かりやすいくらいに
全力で愛情を注いでいた。








姉も母を慕い

まさに相思相愛の母子ねー








年子ということもあって
昔は顔を見ればケンカばかりしていたけど




今ではめっちゃ仲良くなってね

ふたりでランチいったり
映画観に行ったり。




なんでも忌憚なく話せる

どちらかというとというよりは
友だちのような存在かなぁ。





































生まれながらにして

両極端なふたりの姉をもったわたしは






家族の中で自分の立ち位置を
見出だすことができず






家以外の場所で

自分の居場所を探し続けている子どもだった。


























小学校の頃から
自立心が強くなったように思う。



親に滅多に甘えることはしない。
頼ることもしない。



遠足のお弁当も
運動会のお弁当も

なぜか?全部自分で作っていたにやり














スポーツ万能で
クラス対抗リレーは
毎年アンカーを任されていた。

でも勉強は「中の下」。笑



背が高かったコト以外は
特に目立つことのなかった

小学生時代。
















でも



思春期を迎える頃には

親を困らせるような悪さが
大の得意になっていたニヤニヤ












世間的に見ても
素行のよろしくない娘だったけど











が 当時のわたしの唯一の
心の拠り所として

厳然と存在してくれていたおかげで






大きく道を外れることがなかったんだろう と






そこは確信している。























































は当時では当たり前の

休日は日曜日だけ!
仕事が人生の生き甲斐!!の

仕事人間だった。











一方で子ども好きな父は

やんちゃなわたしの
良き遊び相手になってくれた。










仕事を終えて帰ってきた父の背中に
待ってましたとばかりに勢いよく飛び付いて

柔道の投げ技をかけてもらうのが
大好きだったニヤニヤ!!



柔らかい布団の上に投げられるたびに
父の力強さを

肌で感じることができたから。









































わたしは
父親っ子だった。















週末になると
父は小さなわたしの手を引き

近所の公園に連れていってくれた。









時間を忘れて

暗くなるまで遊んで








散々遊んだあと
父の大きな背中におぶられながら
寝たふりをするのが


何よりも幸せな時間だった。




























高校生になったわたしは
バイトをするようになった。



最初は蕎麦屋と喫茶店で1年間。
時給は600円。





友人に誘われて2年生から始めたバイトは


とある結婚式場の宴会場で
チャイナドレスに身を包み

チョコレートやタバコを宴会客に勧める
売り子さん。








年齢を誤魔化して
始めたこのバイトは、時給1500円。

お客さんから
おひねりもたくさんもらった。

悪くないバイトだった。







このバイトは1年半続いた。

























ある程度の
自由に使えるお金と時間を手に入れたわたしは


窮屈に感じ始めるようになった
家にはあまり帰らなくなり



友だちや彼氏の家を転々として
過ごす事が増えた。


















長い、長い
反抗期の到来笑



















当時はカラオケ店も
ネットカフェもなかったからなぁぶー




あればそこに入り浸っていたかも。






















お父さんに頼まれたの。
と言えば



未成年でも
タバコも
アルコールも



簡単に手に入れられる時代だった。



そこは難なくクリアー。笑












でも
盗んだバイクで走り出す
ところまではいかない絶妙な非行具合。










いろんな悪さをしたけど
警察に厄介になるところまではいかなかった。











それでも
たまに帰ると 母の小言が始まってにやり



いたたまれなくなって
またすぐに出て行く。




その繰り返し。

















に対しては



いつもなにかを見透かされているような
後ろめたい気持ちでいたわたしは



余計に父を避け



なるべく父のいる日曜日には
家に帰らないようにしていた。














それでも時々
顔を合わせてしまう時があって











そんな時に父がわたしに
言った言葉が







元気そうだな。






この一言だけ。



















この言葉を耳にする時ほど



胸の奥がぎゅーっと締め付けられるような
気持ちになる時はなかったな。














心配かけてるよね。


ごめんね。

















素直に言えればいいけど

そんな可愛い気のある部分をとっくに
どっかに置き忘れていたわたしは






じゃあね。






とだけ言って






また家を離れる日々を送っていた。






































家にはあまり帰らなかったけど

学校は大好きで
高校には真面目に通っていた。











勉強も嫌いじゃなくて

成績は「上の中」笑











2年生になるとまわりで進路の話題になるけど



家族に迷惑と心配ばかり掛けている自分が
進学という道を選ぶハズもなく








クラスで二人だけしかいなかった
「就職希望」を選択。








ホントは進学したかったのに
就職することにしたの?



と思われちゃうかもしれないけど



いや。当時のわたしは
いち早く社会に出て
働きたくてウズウズ♪











当時は
バブル期だったので

早く大人の仲間入りをして
贅沢三昧したくて
仕方なかったねー













そしてまんまと大手企業に就職。







就職してからのわたしのその後は・・・





以前blogに載せた通りですニヤニヤ
(アメ限でごめんね)
































20歳の時に彼と知り合い

親に何の相談も報告もないままに
勝手に五反田の古いアパートで

同棲生活を始めた。










結婚を真剣に考えるようになった時に初めて









彼を両親に紹介しなければ
という思いがよぎり

ある日
ふたりで実家を訪れた。










父は
並んで座る私たち二人を交互に見て一言。









そうか。
よかったじゃないの。










そして無言で立ち上がり

サンマを焼きはじめた。










焼けたサンマを彼に食べるように促すと

自分はビールを飲み始めた。











あとで母から聞いた話しだと

海の無い県で育った父にとって
サンマはご馳走だったらしい。










それは父の

一番の「祝福」の表現だった。
































21歳で国際結婚して

5年後に長女が誕生。










この頃には

両親との仲もすっかり改善していた。











実家から歩いて5分程度の
ところにマンションを借りて
住むようになると










それまでの溝を埋めるかのように


父は


毎日のように
仕事帰りに我が家に足を運ぶようになった。 














孫を膝に乗せながら


顔をくっしゃくしゃにして
笑っている父の姿をみるのが嬉しかった。










こんなわたしにも
少しだけ

親孝行ができている気持ちになれたんだ。

















一緒にテレビで野球観戦したり
娘の将来のはなしをしたり
仕事のはなしをしたり



他愛ない会話をしながら
過ごすことが多かったけど











父は

わたしが家を離れて
一番心配を掛けていた頃の話しには

一度も触れなかったな。









それはなぜだったのか


今も 
わたしにはわからないけど。




































その日も




父の大好きなモツの煮込みを
大きな鍋にたくさん作って

父の訪問を待っていた。










でも









父はいつまで経っても
来ることはなかった────
































突然のことだった。










母の知らせであわてて
病院に駆けつけた時には








お医者さんが父の上にまたがって
心臓マッサージをしていた。








その状況が

なかなか現実のものとして
受け入れることができない。










夢の中の一場面を

自分以外の誰かの眼で
見ているかのような感覚だった。













ただただ呆然と

無感情のまま
それを見つめていた。































享年60歳。
























父の最期の姿を看取って





フワフワとした状態のまま
自宅に着くと





モツを煮込んだ大きな鍋に

小さな火が着いたままになっていたことに
気づいて

あわてて火を止めた。












水分が少しとんでしまった
モツの煮込みは

いつもよりもちょっとしょっぱくて









でも
それまで作ってきたどの煮込みよりも




美味しかった。












その夜は




父と一緒に
静かに




モツの煮込みを食べた。








































まもなく父の20回目の命日を迎える。










あと10年で
わたしは父の年齢に追い付く。























心配ばかりかけていたけど


わたしはあなたの娘で本当に
幸せだったと


心から、そう言えますよ。





















あなたは幸せでしたか?


















わたしを、

誇りに思ってくれていましたか?



















そうだったら、嬉しいなあ。