みらびいが初めて
コンビニで
働いたのは
23歳のとき
1988年に高校を卒業後
日本橋の大手企業に就職。
21歳で電撃・国際結婚
勤めていた会社を寿退社したのち
ダンナさんの生まれ故郷である
ミャンマーに渡航し
あちらで1年ほど生活した。
そして日本に帰国した直後のこと
ある日
住んでいたマンションの
すぐ目の前にあるコンビニで
買い物をしていると
すっかり顔馴染みになった
その店のオーナーの女性に
こう、声を掛けられた
ね、よかったらウチで働かない?
早速、翌日から
働くことになった。
みらびいのコンビニ店員歴の
スタート地点がここ笑
店までは徒歩30秒
笑
7:00〜13:00で
週に4日くらい働いた。
忘れもしない
当時の時給は650円
コンビニにPOSレジが
導入されるまであと一息!
って時代だったから
当時はすべての商品に1個1個
ラベラーでガシャンガシャンと
値札を付けて
品番と値段を手打ちで
レジ入力していた
店は家族経営で
店舗の上階がオーナー一家の自宅だった。
「ゆで玉子50円」
と達筆な筆文字で書かれた
手書きのポップが添えられた
レジ横に積まれたゆで卵が
飛ぶように売れる店だった。
ゆで玉子は
オーナーのおばあちゃんが
2階の自宅の台所で茹でたもの。
紙でひとつひとつ丁寧に
折り畳まれたゆで玉子用の「塩」は
「欲しいって言った人だけに差し上げてね」
と口酸っぱくして言われていた。
そのコンビニ店は
妊娠が発覚するまで続けた。
オーナー家族の人柄も良くて
客層も申し分なく
お客さんからもたくさん
可愛がってもらってた。
上の写真も
常連のお客さんが撮ってくれたもの。
辞めなければならない、
となった時はしばらく泣いた。
「うちの看板娘だったのに・・
本当に寂しくなるわ。。。」
スカウトしてくれたオーナーの奥さんも
涙を流して惜しんでくれた────
で
長女を出産してからは
しばらくの期間育児に専念
家族が増えて引っ越しをして
そろそろまた働き始めようかな
そう考えるようになったのは
3人目の子どもが
幼稚園に入園するタイミングだった。
春には
年長さんになる長男(5歳)と
年少さんになる末娘(3歳)
子どもたちを通わせていた
私立幼稚園の保育料は
諸々の諸費用込みで
ひとり月3万円を軽く超えた
月7万近い出費
区や都から一部
補助金が出るとはいえ心許ない。
そこで
とりあえず1人分の幼稚園代を
稼げる程度で構わないから、と
約10年ぶりにパートを
はじめることにした
髪を振り乱して
必死に3人の子どもたちを育て
いつの間にか経っていた
10年という年月────
ブランクは決して小さくないけれど
何して働こう???
という発想はなく
どこのコンビニで
働こう???
これのみだった笑
思えば自分はこの時から
もうコンビニの沼から
抜け出せない状態だったんだなーー笑
フロームAを買って
家から自転車で通える範囲内にある
コンビニの求人広告にもれなく
目を通す👁👁
すると
新規オープンの文字が
!
家から自転車で10分くらいだし
距離的にもちょうどいい
なになに?
時給710円
年齢不問
経験不問
みんな仲良く一緒にスタート♡
明るく元気な人待ってます!
だと?!
やだあ♡
明るくて元気ですぅ
ここで働かせてください
さっそく電話連絡して
面接に行くことになった。
「夫の仕事の関係で
土日の夕勤(17:00〜22:00)
しか働くことができません」
「平日はまだ子どもたちが
小さいので厳しいです」
「PTAの役員をやっているので
学校や幼稚園の行事があるときは
休ませていただかなくてはなりません」
けっこうなわがままを
つらつらと言わせてもらった笑
経営者の奥さんは
笑ってこう言った
わたしも子ども3人育ててきたから
よくわかるわー
小さいうちは子どものことを
最優先にしてあげてね
あなたのその笑顔がいいわ!
ぜひうちで働いてください
即日採用が決まった。
───新店舗のオープンは数日後。
オープンに向け絶賛準備中の
まだ商品が並び切っていない
業者とコンビニ社員がもみくちゃ状態の
ざわざわする店内で
1時間、レジ研修を受ける。
バーコードを
ピッ♡
と読ませるだけの進化したPOSレジに
ただただ衝撃を受けながら
研修は終わった笑
そして
2005年3月
コンビニみらびい店が
いよいよ新規オープンした───
明日につづく

