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この設定は非常によいと思うのだが、スニーカーの場合は、それにとらわれすぎた感があった。スニーカー自身のオリジナリティが出せなくなった。
 又、番組のトーンも暗くなった。
 そして、裏番組に『3年B組金八先生』というお化け番組が始まる。
 『太陽』の視聴率は40パーセントから、一気に15パーセントまで落ち込んだ。そして『金八』の方は最終回で遂に40パーセントを越えた。『太陽』の裏でこれだけの人気ある番組が、もし、別の枠でやっていたら、50パーセントは越えていたのではないかと今となっては思う。また、もし、ボンが生きていたら、『金八』のヒットはなかったかもしれない。いずれにしても、世の中はタイミングである。『太陽』の力が落ちていた時期故に『金八』はヒットしたのも否めない事実であった。
『太陽』はどんなに視聴率が低くても、一桁まで落ち込むことはなかった。それが15年もつづいた最大のポイントである。
 いずれにしても、ボン目当てに見ていた女性ファンが『太陽』から離れた。
この時期は斉藤とも子のゲストの390話「20歳の殺人」などの力作も多いが、ややトーンが暗いのは否めない事実である。
 『太陽』はボンに匹敵する人気キャラクターを登場させなければならない危機感に襲われた。それだけ、ボンは偉大だったのである。
畑嶺明は語る
「ボンの後、『あさひが丘の大統領』でも宮内主演でやったけど、やっぱり当たったよね。
……というか、時代に合っていたんだよ宮内が。でも、それ以降残っていないでしょう。宮内。ああいう、こつこつとひたむきに生きるっていう考えが80年代以降では通用しなくなってきた。彼はもう、ボンが良すぎたんだよね。ボンを越える役はなかなかないからね。人間的に凄くいい奴だから、なんとかしてあげたいよね。優作とか、勝野、山下っていうのは太陽以外で別の面を見せて、ブレイクしたけど、宮内は『太陽』が役者人生の頂点だったから。彼の人生で一番輝いた時期なんじゃないですか。ボンの4年間。」(畑談)
『太陽』で巣立って有名になる俳優が多い中、宮内は太陽の中で完成し、燃焼しきった俳優だった。宮内は語る。
「刑事、刑事といいますが、『太陽』は刑事ドラマじゃない、人間のドラマです。文学座の研究生の頃、人を押しのけてでもいい役をとろうと必死だった。でも、『太陽』でいい先輩にめぐまれて、人を許せるようになりました。夢中になれるものがあると人間は変わるものですね。」(宮内談)
いずれにせよ、ボンの残したヒューマニズムは伝説として語りつがれていくであろう。