先日、おばの介護のため、1泊2日で出かけました。


予約していたはずのホテルを、日にちを間違えて予約していたことに出発直前で気づき、急いで代わりのホテルを探すことに。丸一日打ち合わせが続いて相当疲れていたので、正直どこでもいいから近場で、と思って探した結果、手ごろな値段のホテルが見つかりました。ところが実際に着いてみるとかなり古い建物で、洗面所は下水のような匂いが立ち込めていて、とても長居する気になれない部屋でした魂

そんな日でしたが、夜にはインド哲学(叙事詩『マハーバーラタ』)の勉強会があり、そこで今の状況についてお話しさせていただきました。


実は、おばは病院を退院した後、リハビリ施設を経てグループホームへ入所する方向でほぼ話がまとまりかけていました。しかし本人がホーム入所を拒み、私たちもどう説得すればいいのか途方に暮れていました。本当は、もう家には帰れないだろうという現実が根底にはありました。それでも今すぐそれを突きつけるのではなく、「家に帰れるようにリハビリを頑張ろう」と伝えたことが、私にはどこか嘘をついているように感じられたのですもやもや


ちょうどその勉強会で、インド占星術における「ラーフ」という星の象意の話が出てきました。ラーフには「騙す」という意味合いがあるそうで、私はふと、今の自分がおばを騙しているような気持ちになっていることに気づきましたガーン


そこで教えていただいたのは、「嘘をつく」という行為の根底にある心のあり方が大切だということでした。騙して自分が利益を得たい、楽をしたいということではなく、"相手の安全を守るため"に必要な嘘であれば、それは許されるものなのだと。


今のおばの状態で1人暮らしを続ければ、一歩間違えば命に関わりかねません。本人の意思を尊重したい気持ちと、安全のために説得しなければという気持ちの間で、私はずっと揺れていました。そのせめぎ合いに一つの方向性を与えてくれたのが、「積極的に生きることを選ぶ」という考え方でした。本人の意思を尊重することも大切だけれど、まずは生きることを優先させる——その視点が、この後の占星術の教えともつながっていきます。


実は私の祖母も100歳まで施設で暮らしましたが、当時から「生きるとは何か」を考えさせられていました。大切に丁寧に生きることは大切ですが、すべてを管理された環境の中で好きなこともできず、ただ生きているだけというのは、本当の意味で「生きている」と言えるのだろうか、という疑問がずっとありましたもやもや


だから私は、本人の気持ちを優先することがとても大切だと感じていたのですが、それを優先しすぎると命に関わる事態になりかねない——それを今回の入院で身をもって知ることになりました。


インド占星術では、寿命(アーユス)を計算することができるそうです。ただしそれは神の領域の話であり、簡単に知ることのできる技術ではないとのことでした。そして教えていただいたのは、もし本来生きるべき寿命を生ききらずに——たとえば自ら死を早めるような行為によって——命を落としてしまった場合、死後もなお、天が定めた寿命に達するまで魂として生き続けなければならない、ということでした。だからこそ、積極的に「生きる」ことを選ばなければならないのだと。自ら死を急ぐ行為は非常に危険で、天が定めた寿命に達するまで、その苦しみを繰り返し味わい続けることになってしまうのだそうです。


死後の世界について書かれた本の中には、亡くなったことに気づかないまま、死ぬ瞬間の恐怖や痛みを何度も繰り返し味わい続ける、という話が出てくることがあります。もしそれが本当なら、その苦しみを無限にループするよりも、この世界で悲しみを経験し、それがいつか必ず過ぎ去っていく——そんな「有限の悲しみ」を生きる方が、よほど楽なのかもしれません。本当に恐ろしい話だと思いました。


だからこそ、どんな形であれ「生きる」ということはとても大切で、そこに罪悪感を持つ必要はなく、「生きる」方向へ舵を切ることこそが大切なのだと教えていただきました。正直、これまでの私は「頑張れない時は、消極的に生きてもいい」と思っていた部分がありました。でも、必ずしもそうではなかったのだと、今回気づかせていただきました星


そしてこの後、予期せぬ展開が起こり始めました。それはまた次回、お話しさせていただきます。キラキラ