叔父が亡くなり、告別式が行われました。79歳でした。

75歳まで働き、体調を崩して入院後に認知症を発症しましたが、家族に長く世話をかけることもほとんどなく、あっという間にあの世へ旅立ってしまいました。

告別式で、はじめて『父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)』というお経を耳にしました。

父と母によって生を受けたことへの感謝を説くお経です。


父がいなければ、生まれることができなかった。 母がいなければ、育つことができなかった。


じんわりと胸に沁みました泣


生まれることの、途方もない奇跡

遺伝子の暗号を解読した村上和雄先生は、人間が生まれる確率を50兆〜70兆分の1と表現しています。

どれほどの確率かというと、「1億円の宝くじに100万回連続で当たるくらい」だと言います。

もはや確率という言葉では追いつかない数字です。

仏教にも、まったく同じことを伝える譬えがあります。

「盲亀浮木(もうきふぼく)」 です。

広大な海に、目の見えない一匹の亀がいます。その亀は百年にたった一度だけ、海面に顔を出します。同じ海には、穴の開いた板が一枚だけ漂っています。亀が浮かび上がったその瞬間に、その穴にぴったりと頭が入るキラキラ

お釈迦様は、それが人として生まれることの希少さだと言いました。

2500年前と現代の科学者が、言葉を変えて同じことを指している。そのことに、驚きを覚えます!


それなのに、私たちは…

そんな奇跡的な命を、なんとなく当たり前に生きてしまっています。

仕事をして、子育てをして、節約してお金を貯めて、気づけばほとんど自分のためには使わないまま終わっていく魂

「宝くじが当たったら旅行に行きたい」「あれが欲しい」と夢を見ながら、実は宝くじどころではない確率の命をすでに受け取っているのに、それを活かすこともなくただ消耗させていくだけでは、どこか虚しい気がします。


本当の宝は、もう手の中にある

盲亀は百年に一度しか浮かび上がれません。

でも私たちは、今、浮かび上がっています。

板の穴に頭を入れている、その瞬間が今日、この日です。

宝くじを買いに遠くへ出かけなくても、すでに当たっています。当たった命を、今日どう使うか。それだけが問われているのかもしれません。

叔父の告別式で読まれたお経は、そんなことを教えてくれた気がしました。



あなたの「浮かび上がっている今日」は、どんな一日でしたか?