来月、インドへ旅に出ます🇮🇳


生まれて2回目の海外旅行ですキラキラ


初めての海外は、もう何十年も前。

友達と一緒に行ったアメリカ・カリフォルニアでした。


そして今年は、インド。


実はこの旅、

去年いちど申し込んで、

一度キャンセルして、

そしてまた申し込みました。


目的は観光ではなく、

霊性向上をテーマにした旅。

アシュラムやスワミジを訪ねる旅です。


「行ってみたいスター

そう思って申し込んだはずなのに、

ふと頭をよぎったのは家族のことでした。


私がいなくなったら困るのではないか。

まだ家族には私が必要なのではないか。

今は行くべき時じゃないのではないか。


そう思った瞬間、

心がずしっと重くなり、

「私は間違った選択をしたのでは…」と苦しくなりましたガーン


そしてキャンセルを伝えた時、

正直なところ――

とてもホッとしたのです。


行かなくて済んだ、って。


「行きたくて申し込んだ気持ち」と

「行かなくなって安心した気持ち」


いったいどちらが本音なのか。

その時の私は、正直わかりませんでした。


その後、家族の間で起きた言い争いを通して、

私は自分の中に強い“執着”があることに気づかされました。


・私がいないと家族は困る

・迷惑をかけてはいけない

・家事は私の仕事

・家族の負担にしてはいけない


そう信じて疑わなかったけれど、

それが結果的に

「家事は母がやるもの」という

思い込みを家族に植え付けていたこと。


それを資産構築のメンターから

気づかせていただきました。


そして私は、

もう一度インド行きを申し込みました。


…とはいえ、

「この選択は本当に正しいのか?」

そんな自問は、何度も何度も繰り返しましたもやもやもやもや


そんな時に出会ったのが

中村天風さんの言葉でした。


涙ぐましい家族への献身は
愛ではなく
自分自身の心の弱さと
恐怖、そして
相手の生命力への不信の現れである


さらに、


嫌なことや面倒なことを肩代わりすることは
相手の生きる力を奪う行為になる
人は困難と向き合うことで
自分の道を切り開く力を育てる


この言葉を聞いたとき、

私はハッとしました気づき気づき


私はただ生活しやすさを提供していただけだった。


洗濯機を回すことも

干すことも

たたむことも


気づけば、

子どもたちは“やらなくていい”状態になっていた。


その現実を、

ようやく真正面から見た気がします。


だから今は思います。


今回インドへ行くことは、

これからの流れを良くするための

ベストな選択だったのではないか、と。


もし行かずに

これまで通りの生活を続けていたら、

もっと複雑な形で

同じ課題がやってきた気がします魂


例えば――

私が怪我をして動けなくなり、

否応なく家族がケアを担う状況になる、など。


これは

「いつか越えなければならない課題」

だったのだと思います。


向き合うべきことは、

早めに手をつけた方がいい。


放っておくほど、

形を変えて、

もっと厄介な出来事になって

戻ってくる気がしています。


……もちろん、未来の話なので

私の思い込みかもしれません爆笑


それでも今は、

この旅を通して

“手放すこと”を学びに行くのだと

感じています花