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iM@Sとかなんとか(仮)

アイドルマスターSSとか駄文をのっけてます。←とか書いてても、ちっとも更新していないので「サイドストーリー」と言うタイトルはは取り下げました。最近のメイン記事はニコマスの紹介記事が9割を締めています。

 そんな感じで『偽物語』(下巻)を読了しました。なにがそんな感じなのかと言えば、読み終えたテンションそのままに模倣するかの様な駄文を連ねるワタクシメ如きのその語り口がそんな感じだと思って貰えれば、まあつまりはそう言うことです。
 例によって出来るだけネタバレを避けつつ可能な範囲でダラダラ感想を書いてみますと、西尾維新が200パーセント趣味と公言する様に、物語としてはなにも起きません。阿良々木君的日常を淡々と詳らかにすると言う、他人の日記を覗き見するかの様な、ある意味で趣味の悪さが露見されているだけと言っても過言ではないでしょう。いえ、怪異を日常のものとして享受する阿良々木君にとっては、日記に書くまでもない些末な出来事なのかも知れません。日記なんて書いているとは思えませんけども。
 もちろん常識的で現代科学のこの世の中的な物理世界を常置し、それを普通と認識する観念世界に生きるわたし達にとっては極めて非日常的で非常識な物語としてそれは看取されるでしょう。けれど、そう言ったメタファーは日常を一瞬にして区切りや終焉を担保に輪切りにし、劇的で激的な一個の物語へと変えてしまいます。その様に記述されたものをその様に既述することに瑕瑾など在りはしないのだけれど、それが何事かの如く語られた物として上梓されていないなら、それに倣うのもまた読者としての流儀では無いかと考えたりします。そうやって、切り取ったわけでも切り揃えたわけでもなく、掠め取る様に他人様の生活を盗み見たとして、それが彼其にとって日常であるなら、やはりそれは日常でしかないのです。日常には終わりも切り目も折り目もなく、片々と遍々する記憶によって繋げられて居るに過ぎません。そこに敢えて何某か語うべき物があるとするなら、それは語うべき者が其処に居ることに他ならず、つまりはそんな日記の如く日常にタイトルを付けたりト書きを加えたりするお節介の横槍的な何かを見いださずにはおれないでしょう。それこそ正に作者に他ならず、作者以外に居るはずもないのですけれど、当の本人がなんとなく韜晦してしまっているので、そうと指摘するのはいささか僭越であるような無粋である様な、そんな居心地の悪さをなんとなく感じずにはおれなかったりします。だからここは、物語の様なもの、としておくのがなんとなく妥当な気がします。
 ここで、それをして偽物語だなんてしたり顔で言うのは如何にも無礼な話なのでしませんけども。
 作品として売っているのに偽物だなんて言ったらただの営業妨害です。
 それでもまあ。
 今日も阿良々木君は汗をかいたり血を流したりと大変ですけども、そう言う大変さに自ら身を置いて終わりの始まりを生きて死んでいる彼の毎日を、こっちで勝手に切り取ってしまうというのは、なんとなく苦笑いされそうな気がします。
 だからまあ。
 元気でいたらまた会おうと。
 心の中でひっそりと思うだけにしておくわたしなのです。
 全くもってタイピングが進みません。書けない時と言うのは本当に書けないものでして、大まかな場面設計や描写を思い描くことは出来ても、それを文章に起こす作業となると途端に躓きまくって一行たりとも進めることが出来なかったりします。こう言う時、自分は活字脳ではないなと痛感させられます。立て板に水の如く、スラスラと文章を書くことが出来る人が、羨ましく恨みがましく裏返しになりそうになります。
 そんな感じで『化物語』の続編である『偽物語』の上巻を読み終えました。この人は本当に活字脳なのだなと感心すると共に、ミジンコ並みの文章力しかないほのとしてはその脳機能に関心を示さざるを得ず、そんな才能というか能力というかなんかそう言うむにゃむにゃっとしたものを見せつけられた日には歓心の極みでもあります。
 なんてちょっと文体を真似てみたりしたりなんかして。てへ。
 それにしてもページを手繰るごとにガハラさんが可愛くて可愛くてもう蕩れ蕩れです。なんとかして下さい、この甘酸っぱさ。物語もネタまみれのギャグまみれ。ちょっとぐらいはシリアスでハードな展開があるだろうと、そんな期待していたほのが愚かでした。
 ネタバレになるのでなかなか内容については触れられることが限られてしまうのですけれど、最大の戦闘シーンが人間同士ってどういうことよ。怪異譚としてなにか間違っている気がしないでもない様な気がしないでもないですが、あのバトルこそが怪異だと言われれば、そうなのかも知れません。誰もそんなこと言っていませんが。
 物語は嫌な予感を孕ませながらも、愛すべき登場人物達が皆、元気でいることにホッとさせられます。どうかこのまま、どこかの究極超人並になんの起伏も超展開も起こらずに、ハッピーでもバッドでもないフラットに終わって欲しいと願ってしまうほのは、もうかなりの深度で西尾維新の魔法にかけられてしまっているようです。
 さて、『偽物語』上巻のあとがきでは、下巻でこの話は終わると書かれていますが、なにやら続刊の予定があるようですね。wikiにその記述があります。 タイトルは『傾物語』と『猫物語』。副題がそれぞれ「まよいキョンシー」に「つばさファミリー」。なにやら嫌な予感しかしません。八九寺はどうなるんだ? また羽川が黒化するのか? そんな猜疑心を存分に膨らませてくれるタイトルです。などと思いつつも、どうせまたネタとギャグで溢れかえっいるのだろうと予想せざるを得ませんね。それならそれでよし。そうでなくともまたよし。物語としての構造美に欠いている、なんて無粋なことは言いません。趣味で書かれたものは趣味として読まれてこそなのです。
 ともかくは。
 最後の最後まで付き合いましょう。
 だって趣味なんだから。
 良くあることなのですが、長編作品を読んだ後とと言うのは、しばらくは呆けてしまって、少なくともSSを書くなどと言う想像力を使う作業が出来なくなることが、ままあります。それがまさしく今です。とは言うものの、この間書いた『自殺行き往復切符』をベースにしたSSネタ の方に妄想力が使役されてしまっているという、状況的に背反と矛盾を生じてしまっていると言うワケの分からない心理状況も付加され、このままじゃ現在書いている長編ものが頓挫するかも的な危機感もあったりして、どうしたもんかと微妙に悩ましいほのでございます。こんにちわ。
 いや、そうか。別にこれらを別作品と考える必要もないのですよね。強引に一つの作品として設定してしまっても、それはそれで面白いか。ちょっと考えてみます。

 と、グダグダでチラシの裏に書いてろ的な書き殴りでお茶を濁す様な日記的なアレと言う感じで、なんとか毎日更新してる風な姿勢をなんとなく見せてみました。
 と言うか。
 これだけでも書いている暇と余裕があるのなら、なんでも良いからとっととSSを進めるべきですね。
 ではそうします。
 また後日。