その1
蒼い鳥 もし幸せ 近くにあっても
あの空で 歌を歌う 未来に向かって
あなたを愛してた でも前だけを見つめてく
『蒼い鳥』作詞:森 由里子 作曲:NBGI(椎名 豪)
……ベースが1/64ずれた。次は少し前気味に声を入れてみよう。それならオケとのバランスも丁度良い。ああ……。春香のハーモニーが心地良い。なんて素敵な世界……。
「はぁ……」
「どしたの? 溜息なんかついて」
「唄うのが気持ちいいわ」
「うん、そうだね! なんか唄う度に気分が乗ってくるよね!」
「でも春香、あなた、少し声張り過ぎよ。これでは本番で声が出なくなってしまうわ。少し抑えなさい」
「わ、分かってるんだけどね、つい……。あは」
もう。
そう言いかけた時、ブースの扉が開いてプロデューサーとディレクターが入ってきた。それが合図であるかの様にアシスタントディレクターが、
「今日はこれで終わります。お疲れ様です。765さん以外のスタッフは、これから一時間の休憩に入りまして、その後メインスタッフとバンドメンバーで打ち合わせがありますので、諸々よろしくお願いします」
と、スタジオの皆に声を上げた。
なにか物足りない気もするけれども、春香はもう休ませた方が良いだろうから丁度良い。わたしはわたしで何処かで練習しよう。
「お疲れさん」
「お疲れ様です」
「お疲れ様です! プロデューサーさん!」
「いい出来だった。ディレクターも褒めてたぞ」
「いえ、まだまだ……」
「ホントですか!?」
「ああ、明日が本番でも問題ないって」
「ふふ。わたし今、凄くノってるんです! プロデューサーさんにも分かりますか?」
「充分すぎるくらいにな。でも春香、今からあんまり飛ばすと本番まで保たないぞ」
「あう~~……。千早ちゃんにも言われました」
「本番で発揮してこそプロだ。それまでは我慢しろ」
「は~い」
そう言うとプロデューサーは、春香の頭をポンッと優しく撫でた。
この二人を見ていると、なんだか安心する。
わたしにとってプロデューサーは、わたしを、わたし達をここまで連れてきてくれた掛け替えのない人で、信頼のおける人で。でもそれはやっぱり仕事をしていく中でのことで、もちろん人として頼りにしているけれど、それ以上の、愛とか恋とか、そんな感情はわたしにはない。
でも春香は違うだろうな。
この二人は、わたしから見ると、なんと言うか、兄妹の様な、親子の様な、恋人の様な。そんな、仕事の間柄を越えた繋がりを感じる。子犬の様にじゃれ合うこともあったり、オシドリの様に寄り添うこともあったり。決してわたしが除け者にされているということは無いのだけれど、そんな二人に割って入ることが出来ないなにかを、感じることは出来る。
そのことを少しだけ寂しく思ったこともあった。でも今は違う。それぞれがそれぞれにわたしの支えになってくれていることを、凄く感じることが出来るから。
この二人が、わたしの居場所だと思えるから。
「さて」
パンと一つ、プロデューサーが柏手を打った。
「さっきディレクターさんと話をしたんだけど」
「はい」
「もう一曲増やそうかという話なんだが、どうだ? 行けるか?」
「わたしは構いません」
「わたしも全然大丈夫です! 一曲と言わず、二曲でも三曲でも」
「よし、決まりだな」
「それで、どの曲を加えるんですか?」
「それはまだ決まってない。これから構成会議で決めるそうだ」
「そうですか……」
「どうしたの? 千早ちゃん」
「ううん。なんでもないわ」
「……そうだな。千早」
「はい」
「お前も構成会議に出るか?」
「え? わたしが、ですか?」
「出たいんだろ?」
いけない。顔に出てしまったみたい。
「いえ、ですが、そんな……。わたしみたいな小娘が行っても、みなさんのご迷惑になるだけですから……」
プロデューサーなら、こんな時、いつもの様に、わたしが言い出そうものなら、「そんなに焦らなくても大丈夫だよ」と言ってくれるのに……。
「はいはいはい! わたしも出たいです!」
「……いや、すまん。もう時間も遅いしな。今日は帰って休もう」
「え~~、なんでわたしが言うとダメなんですか~?」
「いや、そう言うわけじゃないんだ。すまんすまん。リハーサルの出来が余りに良かったんで、つい、な」
……? なんだろう……。プロデューサー、迷ってる?
「結論は明日にでも聴こう。それから俺達で相談しても良いじゃないか」
「そうですね」
「さあ、とっとと着替えを済ませろ。帰るぞ」
「はい」
「は~い━━━━わたっ! どんがらがっしゃーん☆」
「こら! 大事な機材が壊れるだろ」
「うぅぅ~……。わたしの心配はしてくれないんですか?」
それからわたし達は着替えを済ませて、帰路についた。
走り始めて五分も経たないうちに、春香は隣で寝息を立て始めている。いつもならわたしも、移動時間は睡眠に充てるのだけれど……。
「……らしくありませんね」
ヘッドレストに頭を預けたまま、わたしは、体を弛緩させながらも、まるでわたしとプロデューサーが見えない木綿糸で繋がっている様な、なにか張り詰めたものを感じていて。言葉が自然にこぼれた。
「……起きていたのか」
プロデューサーの手繰るハンドルは、緩やかなカーブに沿う様に、ゆっくりと左に傾けられた。真後ろの座席に座ったわたしからでは、その表情は伺えない。
「まったくだな。初めてのドームライブに、俺も浮き足だってしまっているのかな」
「わたしも少し……」
「ん?」
「わたしも少し、緊張してきました。それが移ってしまったのかも知れませんね」
「……だとしたら、俺はプロデューサー失格だな。そんなお前達を察して、サポートするのが仕事なんだから」
「いえ、そんな……」
「はは。冗談だよ。誰に何を言われようと、今さらお前達を手放す気はないよ。失格だろうと、なんだろうと」
「わたしも……、わたし達も、です……」
「……良いライブに、いや、最高のライブにしよう。今はそれだけを考えようぜ」
「はい」
高速道路のオレンジ色が、外灯の白や先を走る車のテールランプの赤を横切ってゆく。それが地面を蹴立てるタイヤの音と一緒になって、不思議なリズムを刻んだ。
トスっと、春香の頭がわたしの肩に当たった。寝息を、体重を感じる。
走り続けている様で、一歩一歩を踏みしめる様な、不思議で、しあわせな感じ。
繋いだ春香の手が暖かい。
「姉妹みたいだな」
夢見心地に、そんな声を聴いた様な気がした。
キュッと握りかえしてきた、春香の手のひらの温もりを感じながら。
蒼い鳥 ある日の風景 その1